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赤攝也「ラッセルの背理(パラドックス)」
『数学100の問題−数学史を彩る発見と挑戦のドラマ−』
(日本評論社、『数学セミナー』1984年増刊号)pp.205-207.

*赤攝也氏(せき・せつや: 1926〜 )は、数学基礎論専攻(理学博士)で、立教大学教授、東京教育大学教授。放送大学教授を歴任。
*ラッセルのパラドックスは、命題関数に関するものと、集合に関するものとがあるが、下記の解説は集合論バージョンにあたる。
*パラドックスには、意味論的パラドックスと論理的パラドックスがある。両者の違いは、『岩波・哲学思想事典』p.1287 所収の内井惣七氏の解説を参照。


 よく知られているように,いわゆる「集合論」の根幹的部分は,カントル(G.Cantor,1845-1918/カントール)によって,ほとんど独力で建設された.前世紀後半のことである.こ れを「古典集合論」という.
 この理論では,集合の概念は次のように規定される.
集合とは,われわれの直観または思考の,十分に確定され、かつたがいに区別されるもの(対象)を,1つの全体にまとめたものである.これらのものを,その集合の要素という.
 今日,「もの」mが「集合」Mの要素であることを m∈M と書く.またその否定を  で表す.

 上の定義で「十分に確定された」とは,たとえば「xは自然数である」とか「xは正の実数である」とかいうような,「あらかじめあたえられた,何らかの明確な条件にあてはまる」ということである.また,「たがいに区別される」とは,「2つのものがあたえられたとき,それらが同じものであるかどうかを判定する規準がはっきりしている」ということである.さらに,「1つの全体にまとめたもの」とは,「1つの全体にまとめた結果としてでき上ったもの」ということであって,「まとめ方」の相違は問題にはならないことを暗々裡(implicit)に主張している.したがって,2つの集合は,たとえ,互いに違った条件をみたすものの全体として定義されたとしても,それらの要素がまったく同じであれば,同じ集合とみなされるのである.

 さて,以上の集合の定義は,一見,まったく明確なもので,そこには何らの問題も含まれていないように思われる.しかしながら,実はそうではないのである.もっと具体的にいえば,1895年ごろから,この定義を出発点とする古典集合論の中に,いろいろと不都合なことが起ることがあきらかとなって来た.その中でもっとも有名で,かつもっともわかりやすいのが,標題の「ラッセルの背理(パラドックス)」(1901)なのである.
 上の集合の定義が,一見まったく明確なものと考えられる以上,「xは集合である」という条件もまた,ひとまず,まったく明確なものとしてよいであろう.さらに,集合は,互いによく「区別される」.何となれば,どういうときに2つの集合が同じであるかがはっきりとわかっているからである.だとすれば,「集合全体」(集合の集合)はまた1つの集合であるとしてよい.
 さて,この集合(集合全体)をMとすれば,これは集合を全部集めたもの(集合の集合)なのであるから,MはM自身の要素となる:
 M∈M 
 これはちょっと奇妙なことではあるが,Mの定義から必然的に結論されることなのであるから,認めないわけにはいかない.したがって,こういう集合もあるのであるから,集合は,一般に次の2つの種類に分類できることになる:

 第1種 自分自身の要素になっているもの
 第2種 自分自身の要素になっていないもの

すると,ここに,「xは第2種の集合である」という明確な条件がえられる(これを条件と考えてよい)ことになる.その当然の結果として,「第2種の集合全体」という集合Aができ上る(をつくることができる)ことはいうまでもない.(もちろん,「第1種の集合全体」という集合もえられるが,それはいまは必要でない.)
 では,この集合A(第2種の集合全体)は第1種なのであろうか,それとも第2種なのであろうか− 実は,この疑問から、ラッセルの背理がうまれ出るのである.まず,かりに,Aは第1種であるとしてみよう.すると,第1種の集合の定義により,それは自分自身の要素になっているはずである:
 A∈A
ところが,Aは第2種の集合を全部集めたものなのであるから,その要素であるところのAは第2種だということになる.しかし,これは,Aが第1種ということに矛盾する`したがって,'Aは第1種ではない.だとすれば,Aは第2種だということになるが,実は,そうもいかないのである.
 Aが第2種であるとすれば,それは自分自身の要素になっていないはずである:
 
ところが,Aは第2種の集合を全部集めたものなのであるから,その要素でないAは第2種ではないということになってしまう.これも矛盾である.こうして,われわれは,ニッチもサッチもいかない泥沼に入りこんでしまう.何とかしてこの泥沼から抜け出そうとして,上の推論をいくら検査してみても,それは徒労である.上の推論は完全に論理的なのである. −この脱出不能な推論が,すなわち,「ラッセルの背理」に他ならない.
 実はそのころ,ラッセルは,集合の概念にもとづいて,全数学を整理しなおそうとしていた.そのいきさつをもっとくわしくいえば,それに先立って,フレーゲ(G. Frege, 1848-1925)やデデキント(J. W. R. Dedekind,1831-1916)が,集合の概念にもとづいて自然数の概念を再構成することにすでに成功していた(と思われていた)− ラッセルは,このうち,フレーゲの仕事の方をもっとわかりやすく整理し,かつそれをもっと押し進めようとしていたのである.しかしそれは,この背理の出現によって不可能になってしまった.ラッセルから連絡を受けたフレーゲは次のように言っている(1902).
「科学者にとって,自分の仕事が終ったあとで,でき上った建築物の礎石を振りうごかされることほどいやなことはない…『不幸なものの慰めは,不幸な仲間をもつことである(Solatium miseris, socios habuisse malorum).』私にもこの種の慰めはある;それが慰めといえればの話ではあるが.……デデキント氏もその不幸な仲間の1人である.」
 実際,デデキントも,1911年に,彼の有名な書物『数とは何か,何であるべきか』(初版1887)の第3版を出すにあたって,次のように述べている.
ざっと8年前に,本書の第2版がそのときすでに絶版になっていたので,第3版を出すよう求められたとき,それに応ずることをためらった.というのは,その間に,私の見解の重要な基礎の確実性に疑念が起ってきていたからであった」(河野伊三郎氏訳)
 「1911年のざっと8年前」といえば1903年ごろであるから,デデキントが『数とは何か,……』の第3版を出すことをためらったのは,ラッセルの背理の出現後まもなくのことである.フレーゲのいう通り,たしかに,彼もまた,フレーゲの不幸な仲間だったのである.

 ところで,古典集合論にいろいろと不都合なことがおこることは,もっと早くから,何とカントル自身がすでによく知っていた.たとえば,彼は,1895年に,「順序数全体」を集合と考えると背理が起ることをヒルベルト(D'Hilbert,1862-1945)あての手紙の中で述べているという.しかし,公表はしなかったので,この背理は,1897年にこれを再発見したブラリ・フォルティ(C. Burali-Forti,1861-1931)の名をとって,「ブラリ・フォルティの背理」とよばれるようになった.また,カントルは,1899年に,順序数だけではなく,基数全体や,集合全体を集合と考えても,やはり背理が生ずることをデデキントに書き送っている.そこで,「集合全体の集合から生ずる背理」を,今日「力ントルの背理」という.
 しかし,その手紙を見ると,カントルは,これらの背理をさして深刻なものとは考えていないように見える.すなわち彼は,その手紙の中で,矛盾するような「集まり(Vielheit)」は「絶対的無限者(absolut unendliche Vielheit)」であって,これを1つの「もの」と考えることはできない; 矛盾がおこらない集まりだけを「集合(Menge)」とよぶべきだ,と主張しているのである.しかし,どういう集まりが矛盾をおこさないかについては,何ら考察していない
 この手紙を受け取ったデデキントが,カントルと同じ程度に楽観的であったかどうかはわからない.

 しかし,上に引用した彼の言葉から,おそくとも彼が「ラッセルの背理」を知って以後の1903年ごろには,すでに事態をまことに深刻に受けとめていたことがわかる.ところで,結果的にいえば,危機に瀕したこの古典集合論は,いわゆる「公理論的集合論」に脱皮することによって救われることになった.すなわち,うまく選ばれた公理系から出発する集合論である.
 今日,そのようなものとしてもっとも有名なのは「ツェルメロ=フレンケル(Zermelo-Fraenkel)の集合論」と「フォン・ノイマン=ベルナイス=ゲーデル(von Neumann-Bernays-Goedel)の集合論」とである.これらは,簡単のために,それぞれZF集合論」および「NBC集合論」(ないしは「BG集合論」)と略称される.
 前者は,矛盾の出ないような単純なものだけに集合を制限するとともに,なるべく古典集合論の結果が保存されるようにしよう,という思想にもとづいている.これに反し,後者は,上に述べたカントルの考え方を深めたものである.すなわち,そこでは,「集まり」はかなり自由に作りうるが,ある集まりを「集合」とよぶのには,それが集合であることを公理にもとづいて証明しなければならないのである.天才カントルの楽観は,おそるべき先見の明であったといわなければならない.