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斉藤忍随「バートランド・ラッセルのこと」

* 出典:『東京大学新聞』1958年10月8日号 掲載 * 斉藤忍随(1917~1986)氏は、執筆当時、東大助教授。東大文学部長(1972~1974)の後、1978年に東大を定年退官し、成城大学教授となる。この間、哲学会理事長、日本西洋古典学会常任委員、日本ギリシア協会理事などを歴任。1986年1月21日、世田谷区赤堤の赤松公園内で、虚血性心不全のため死亡、享年69歳。

哲学者が昔とはちがって、はるかに控え目になり、人々にいかに生くべきかを説く使命を放棄して以来、小説家やドラマティストが、このギャップをみたすために動員されることになり、現在では哲学者になりたくない人が哲学者として待遇をうけることになった。」

ラッセルの言葉366
 これはイギリスの有名な新聞「マンチェスター・ガーディアン」紙に掲載された一文であるが、ジャーナリズムは、概念の厳密な分析にいそしむ現代のイギリス哲学に絶望しながらも、哲学というものにあるセンチメンタルな感情をいだいているらしい。こういう感情に満足を与えることができる現代のイギリスの哲学者といえば、おそらくバートランド・ラッセルくらいのものであろう。
 人工衛星第1号があがって人々が狼狽するなかに、ラッセルは皮肉な文章を「サンデー・タイムス」紙に寄せた。
「月やその他の遊星にでかけてシャベルを振りまわすことを考えるよりも、人類が一体この先、自分自身の遊星の上に住みつづけることができるかどうかを考えて見るべきである。シェークスピアやニュートン、ダーウィンの像の高さに比べて、途方もなく高いネルソン記念塔をつくり出す人類の好戦的性質の処理を問題にすべきである。
 アメリカ、ソ連はともかくとして、イギリスだけでも一方的に原子兵器を破棄すべきであるというのが最近の彼の持説であるが、この説にはもちろん保守党側からの非難が出て、現実にうとい「老衰哲学者」(A superanuater philosopher)という口汚い言葉がある代議士から発せられたほどである。だがラッセルの応酬もこれに劣らぬ悪舌調である。
「代議士を辞して、しぱらく原子エネルギーの勉強をつづけ、それから政界に返り咲く方が君のために得策である。だがその時君は老衰しきって、政治家としては、使いものにならなくなっているにちがいない。」
 実際これが80歳をこえた人かと疑われるほどの若々しい武者振りである。そのラッセルが去年(1957年) Why I am not a Christian という本をあらわした。(松下注:主論文 Why I am not a Chiristian は1927年に発表。その他の宗教関係の諸論文とともに Why I am not a Christian and Other Essays として1957年に刊行) この本のラッセルは論理学者らしく、さまざまの神の存在証明が論理的に他愛ないものであることを指摘したり、あるいはすぐれたエッセイストとして、警抜な文章を見せてくれる。
「無言な行動に罪の烙印をおしておきながら、しかもそのような行動をする人々を許しておくということは、確かにその社会が賢明である証拠である。そうしておけば、誰にも害毒を流さずに、悪の楽しみにひたることができるはずである。」
 だが『クリスチャン(=Why I am not ...)』の読み捨てにできないのは次のような一節かもしれない。
「ゲ・ペ・ウ(*注)と宗教審問は、量的に異なるにすぎない。その残酷さは同じ種類のもので、ゲ・ペ・ウがロシア人の知的、倫理的生活に与えた損害と、宗教審問官が与えた損害とは同じ種類のもので、コンミュニスト(Communist)は歴史を偽造したが、教会もルネッサンスまでは、これと同じ所業を試みてきたはずである。」

(松下:GPU(ソ連の国家政治保安部の略称)は、1922年~1934年まで、反革命分子の探索・捕縛・処刑を任務とした組織)
 この本にはたちまち反響があって、ラッセルは全く歴史感覚が欠けているという率直な意見や、ラッセルは残忍ということを絶対に否定するがそういう絶対性は何処から来るのかという哲学めいた意見を新聞紙上に見ることができた(参考:/邦訳書『宗教は必要か?』)。とにかく批評のすべてがアンチ・クリスチャンに対する不満と非難であるのに、私は驚いた。老齢紳士と思っていたが、ことキリスト教になるとこのようにむきになるのである。もっとも後になって私のさらに驚いたことがある。ケンブリッジ大学の学生が「汝はイエス・キリストが神の子であることを信ずるや」という問いに対して、その6割までが「イエス」という答を出していることであった。もちろん私は疑ってみた。ケンブリッジの青年ははなはだ大人で、さして有害なものでもない以上良いものには手をつけず、というコンヴェショナリストかもしれないと考えた。しかし事実は事実である。
 「パシフィスト」ラッセルの活動は早くからこの国(=日本)にもしられているが、ラッセルの『ワイ・アィ・アム・ノット・ア・クリスチャン』もいずれ、この国でたちどころに読まれ、たちどころに理解されるだろう。気の早い出版屋ではすでに翻訳を始めているかもしれない。しかし『我は何故に仏教徒たらざるか』という本が出版されたことのない国(松下注:即ち、宗教や神に真正面から対峙したことのない国・国民性)では翻訳無用の書である。(←皮肉)