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(対話)佐伯彰一×木田元「思想の力・文学の力」

* 出典:『大航海』n.38(2002年4月刊)154-170.
* ここに掲載するのは、pp.154-170(=全文)のなかの前半、pp.154-158 の部分。後は購入して読まれるか、図書館等で閲覧してください。因みに、省略した部分(pp.159-170)には次のような「見出し」がつけられています。大変面白いと思いました。
和辻哲郎のアングロサクソン批判/和辻・キルケゴール・ニーチェ/保田與重郎の呼吸/ハイデガーと保田に通底するもの/伝記から見た哲学者/西田幾多郎と阿部次郎
* この(対話)佐伯彰一影一×木田元「思想の力・文学に力」は、特集「文化への問い:二十一世紀の視座]の中の一つ。

ラッセルの語り口

佐伯 林達夫(はやし たつお、1896-1984:日本の思想家、評論家)に『思想の運命』という本があります。この対談のテーマも「思想の運命・文学の運命」でお話ししようかと思ったんですが、正月早々から「運命」なんて景気が悪い。(笑)むしろ「思想の力・文学の力」というテーマではどうでしょう。ただぼくと木田さんとでは調子が合い過ぎるので、どこへ行くのか分からない気もするんですけれど。

木田 はじめに、佐伯さんとぼくとの出会いから話しましょうか。

佐伯 そうですね。木田さんとぼくとは年齢はいくつちがいでしたか。

木田 六つちがいですね。

佐伯 そう。ぼくのほうが六つ老人ですし、お互いの専門は哲学と英文学。出身大学も違う。まったく縁がなかったんですが、ぼくが東京大学を定年になってから行った中央大学でふと出会った。じつはそのときまで木田さんの本は全然読んだことがなかった。(笑)たしか、中大の朝の食堂でお知り合いになったんでしたっけ。

木田 そうでしたね。とにかく中央大学は八王子の山の中にあるもので、遠距離通勤者のために学内に宿泊施設が設けてあるんです。そこに毎週、佐伯さんが水曜日に泊まっていらして、ぼくも同じ日に泊まっていました。そこで木曜日の朝御飯をご一緒するようになったんです。国文学の塚本康彦君も同宿だったもので、毎週木曜日には三人で朝御飯を食べるようになったわけです。

佐伯 「朝餉(あさげ)の会」と称していましたね。

木田 ほんの五十分くらいですが、ぼくにとっては刺激的な時間でした。毎週これを楽しみにしていたんです。

佐伯 ぼくもそのあと授業に行くのが勿体なくってねえ。(笑) とまあ、このような縁で知り合ったわけです。ところで、木田さんは敗戦のとき十六歳で、たしか江田島の海軍兵学校にいましたね。一年くらい行ってらしたんですか。

木田 いえ、四ヵ月なんです。

佐伯 ぼくもじつは三、四ヵ月ほど、海軍兵学校にいたことがあるんです。

木田 ということは、海軍兵学校に教官として行かれたんですか。

佐伯 確かにはじめ英文科の研究室で助手の人が教えてくれた情報では、海軍兵学校が教官を探している、という。自分が軍関係の学校の教官向きの人間にはどうしても思えなかったけど、一つには陸軍よりは楽に思えたんですね。すっかり行く気になっていたら、海軍からある日、通知がきた。教官になる前にまず、予備学生の訓練を受けろと言ってきた。これ、約束が違うなあ、と。(笑)

木田 ぼくが江田島にいたのは佐伯さんの一年半後くらいですね。昭和、二十年の四月から八月までですから。

佐伯 そうか、でも木田さんとぼくとは兵学校訓練の期間はほぼ同じですね。

木田 変なところでいろいろ縁があるもんですね。

佐伯 当時のぼくがいちばん恐れていたのは水泳訓練だったんですが、兵学校に入ったのが九月だったから、なんとか助かりました。水泳訓練はもう済んでいたんです。

木田 ぼくの場合も、入ってから四ヵ月間、水泳訓練はほとんどなかったですね。その理由というのが、海が汚れてしまって全然使えない。

佐伯 空襲のせいですね。

木田 ところがある日、今日からいよいよ水泳訓練をするというんで、カッター(大型のボート)で島の裏手まで漕いで行って、さあ泳ごうと服を脱いだ瞬間、広島に原爆が落ちました。朝、八時六分だったわけですね。褌(ふんどし)一丁になったらピカーッと光りました。ちょっと間をおいてどーんと爆風が吹いてきて、身体が吹っとびそうになりました。

佐伯 まあ、こんな話ばかりしていると思想や文学の話がどこかに行ってしまうので、そろそろ切り上げましょう。

 哲学について木田さんと好みが一致して嬉しかったのが、イギリス人のバートランド・ラッセルの『西洋哲学史』ですね。これは一九四五年に出た本で、ぼくは戦後まもなく米軍の払い下げ図書だったのを手に入れました。ラッセルが一般向けに行なった解説風の講演をまとめたんですね。これが読み始めたらもう巻措く能わず、哲学が生きた形で、それこそナマナマしい力でこっちに伝わってくる。しかし、ぼくがラッセルの本で感激したのは、その本が初めてではありません。まだ高校生のとき、一般向けの啓蒙的な文庫シリーズがイギリスで出ていて、そのなかにラッセルの哲学の本があったんです。たしか The Problems of Philosophy というタイトルでした。これも、じつに面白かった。

木田 あれは名著です。

佐伯 とにかく、その当時の日本の旧制高校生は哲学カルトというか、やたらと哲学を有り難がっていて、例の「デカンショ節」までその語源を辿ると、カルト、カント、ショーペンハウエルですか、それをもじってるという説があるくらいに、昔の高校生は妙に意地を張ってね。難しくて読めもしないのに哲学書を何冊か持っていなくてはならなかったわけです。それでぼくも、岩波書店の哲学叢書は何冊か読まなくてはならないとか、出隆の『哲学以前』とか、倉田百三の『愛と認識の出発』や阿部次郎の『三太郎の日記』などは必読で、必須科目みたいな気がしていたのです。そして期待して高等学校の哲学の授業を受けてみると、たしか教科書は西田幾多郎の『善の研究』でしたね。あれはたしかにいい本ですが、難しくて一年生にはよく分からなかった。「純粋経験」というアイディアは、新鮮で魅力的だったが、なかなかついてゆきかねる。何となく哲学は苦手だなあという印象が残りました。そういうときにラッセルを読んだら凄くよく分かったわけです。難しい「実在」という言葉だって、英語だと reality だし、「現象」だって appearance だしね。それに説明の仕方がうまい。「desk がここに「ある」として、では「ある」ということを君はどうやって prove するんだ」とかね、とにかくうまい語り口ですよ。ぼくが高等学校で教わっていた哲学と大違いで、ラッセルのほうが断然面白い。日本の哲学書はどれを読んでもゴツゴツした硬い文章で、ドイツ語を直訳したようなものばかり。とくにカントの岩波文庫の旧版『純粋理性批判』(天野貞祐訳)の訳なんて、何がなんだか分からない。哲学というのはわけの分からないことを、しかめつらしい顔をしてやるものなんだ、という偏見が植え付けられてしまったんですね。その偏見をバートランド・ラッセルが、たった一冊の本で払拭してくれました。この The Problems of Philosophy は、日本では訳が出ていないんですか。

木田 いや、何種類も出ています。中村秀吉訳の『新訳・哲学入門』とか、生松敬三訳の『哲学入門』とか。

日本の哲学が忘れたもの

佐伯 ラッセルの面白さが、じつは今日の対談のテーマに関係している。つまりぼくは、哲学とはまず「生きたパワー」だと捉えたいんです。

木田 哲学をただの理論体系として捉えるのではなく、「現実にどのくらい力を持ったか」で捉えるわけですね。ラッセルは『西洋哲学史』に採り上げる哲学の選択の基準を、やはり「力」に求めていますね。その思想にどれだけ現実を動かす力があったか,に。

佐伯 だから(ラッセルの『西洋哲学史』における)十九世紀以降の哲学の選びかたを見ると、最初はルソーからですね。次にカント。あとに出てくるのも、ショーペンハウエル、ニーチェ、ウィリアム・ジエイムズ、ベルグソン、それからジョン・デューイでしたね。

木田 とにかくドイツ版の哲学史とは違います。

佐伯 ドイツ哲学の人からは、「ルソーは哲学者なのでしょうか」なんて言われるに決まっているけれど、あれほど影響力を持った人ですから一種の思想家、それも大思想家に違いない。ラッセルは、世界を動かした力を持った思想家という観点で選んでいる。その語り口には時折ジョークまで入ってくる。ぼくがよく覚えているエピソードの一つは、これは彼の『自伝』に出てくるんですが、アウグスティヌスの『神の国』についてですね。ラッセル一家は夕飯のあとで読書会を開いていた。何冊か本を選んで朗読し、そのあとでその本について皆で話し合う決まりがあった。その一つが『神の国』で「素散に面白かった」なんて書いてある。ぼくはそれまで、『神の国』なんて中世の畏る(おそる)べき神学で、とても手に触れるものじゃないと思っていた。それがまんまとラッセルの口車に乗ってね、岩波文庫を全巻買ってしまった。全部を通読とまでは行かないけれど、やはり「素敵に面白かった」ですよ。

木田 あれは面白いですよね。

佐伯 アウグスティヌスが執筆した当時(四一三~四二六年)のローマは、ゲルマン民族、いわば蛮族の侵人で危なくなる時期です。これは、ローマ人がキリスト教を信じたせいだという噂も広がって、アウグスティヌスの本のモチーフの一つは、それに反論することだった。そこで、たとえば異教徒が襲ってきて、キリスト教徒の女性が襲われ、犯されたりする。そこで「異教徒に身を凌辱されたとき、これを罪と言うべきでしょうか。穢れと言うべきでしょうか」なんて問いが出てくる。それに対してアウグスティヌスは「その際にその女性が快感を覚えたなら、それは身を穢したんだ。快感を覚えなければ、それはただの暴力であり、まったく穢れではない」。見事な答えではあるんですが、この立派な神学者が「そんな問いに俺は答える気がしない」なんて言わずに、きちんと答えているところが凄い。しかもその答えは、クリスチャンではないぼくらが聞いても、その通りと思いますよね。そういう形で歴史哲学が展開される。ところが、『西洋哲学史』は翻訳が出たとき全然評判にならなかったですね(松下注:いうまでもなく、日本での話)

木田 そうでしたね。

佐伯 むしろ、冷たい書評が出ましたよ。アカデミックな哲学から見たら全然オリジナリティがないとか、最後を論理実証主義で閉じているから我田引水だとか。確かにそう受け取られても仕方がないかもしれない。いくらでも弱点は見つかるでしょう。ただやはり、本自体の持っているパワーが全然違いますよ。

木田 本当にそうですね。ぼくは大学一年生用の演習には必ずラッセルの『西洋哲学史』を使っていました

佐伯 やっぱり木田さんは違う。(笑)哲学ってやはり、世の中を動かしたり、人の心を目覚めさせる生きた力が大事でしょう。その起源において、ソクラテスは偉かったし、プラトンは尊敬されたわけですから。問題の根本にあるのは、ドイツ哲学の翻訳だと思うんです。旧版の岩波文庫で出ていたドイツ語の翻訳では、読むに堪えるものは本当にわずか。

木田 あの翻訳は、ふつうの人は読めない。哲学科の学生が演習の準備をするときに、原文を横において参照するためならまだしも。とくに天野さんの『純粋理性批判』は、演習用にはいい訳なんですが、あれだけを読んで分かるとはとても思われない。

佐伯 日本の知識人は、明治維新以降、学問というものは西洋直輸入で、いわば文明開化の直輸入こそがわれらが使命と思い込んでいた。たとえばドイツ語の文脈どおりに辿って読んで直訳する。これが、一番正しい理解の仕方だと思い込んだのではないか。もっとも、これは無理からぬところもある、とぼくは考えています。なぜなら、それは江戸時代からの「伝統」ではないかと思うからです。

木田 なるほど。

佐伯 漢文を中国語として読まず、返り点をつけて読むでしょう。「豈……ならんや」とかね。戦前の中学では白文で返り点の練習とかやらされましたよ。要するにこれは漢文を日本語として読むことでしょう。しかも江戸時代に山ほどそうした習練を積み重ねたから、もとの中国語を知りもしないのに、平気で漢詩をつくるようなことまで行われた。これはある意味では大変な'離れ業'には違いなかった。しかし、大筋が、どうもおかしい。
 一九六〇年代後半、カナダのトロントに教えに行った際、ショッキングな経験をしました。教官会議のときに、来年度の日本の Intellectual History (思想史)をどうするかという話し合いの場で、江戸時代を担当する、ケンブリッジを出たジョン・マクマレンという男が面白いことを言ったんですよ。彼が「徳川時代の日本思想史は教えられない。なぜならあれは、学問として成り立っていないからだ」と言い切ったんです。要するに「儒教研究に尽きる」と言うわけです。「'国学'もあるけれど、おもなものは Chinese Study や Chinese Learning の研究史。そんなものは思想史とはいえません」ってね。日本思想史はいわば中国の儒教研究史なんだ、これを日本思想史として学生に教えることに意味はない、という。ぼくも彼の説明を聞いたら、なるほどと思いましたよ。儒教研究というのはそれはそれでなかなか面白いものだし、武士道を作る上での刺激をそこから引き出したりして、日本人が無駄骨を折ったとは思いません。日本人のモラルを作る意味で実質的に役立ったとも思うんですが、「これは思想史というものじゃない」ということもまた確かだと思う。
 
木田 カナダの学生に、日本における中国の儒教研究史を、日本の思想史として教える。これは意味をなさないですね。

佐伯 そうなるわけですよ。日本で教える西洋哲学史、つまり、ぼくらが教えられたような日本の哲学史も、生きた哲学史とは言えなかったんじゃないか、ということなんです。明治・大正期における日本のドイツ哲学受容というものは、その原パターンとして、江戸時代における日本の儒学受容にあるんじゃないかという気がします。

木田 ほとんど同じですね。でも、それは卓見です。そんなふうに考えたことはありませんでした。

佐伯 対象こそ違え、よく似通っていますよ。

木田 近頃は朝日新聞の書評委員をやっているんです。書評委員会には哲学書も何冊か出てくるんですが、一般読者に「これを読みなさい」と薦められる本は、ほとんどありませんね。西洋の哲学者についての研究書をなんで日本人が読まなければならないのか、とても納得してもらえるように説明することができない。片からそうだったのかもしれませんね。かつてのドイツ哲学が、英米流の分析哲学に変わったところで、結局は、輸入物であることには変わりはないわけです。

佐伯 論理実証主義や分析哲学、ラッセル、フレーゲ、ホワイトヘッド、ウィトゲンシュタインとかね。彼らは二十世紀の大業績を成したとは思いますけれど、日本で研究したりするならば、日本語に則して捉え直さなければいけません。

木田 その通りですね。(以下省略)