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野田又夫「『(対談)ラッセルは語る』について」

* 出典:「週刊読書人」1964年6月29日付掲載
・原著:B. Russell Speaks His Mind, 1960
・邦訳書:東宮隆(訳)『(対談)ラッセルは語る』(みすず書房,1964年5月刊、みすず叢書 n.4)
湯川秀樹「『ラッセル放談録』について」『ラッセルは語る』訳者あとがき


 これは一九五九年にラッセルの行なったテレビ対談(BBC)の記録であって、対談者は現在労働党下院議員となっている人である。「哲学とは何か」という問いからはじまって、「戦争と平和」「共産主議と資本主義」「幸福とは何か」「ナショナリズム」「水爆」などを次々にとりあげ、「人類の将来はどうなるか」という問いを最後に、十三の項目について、ラッセルの率直な意見がのべられている。本の表題は、「バートランド・ラッセルがその思うところをあけすけに語る」というのであるが、彼はその著書でいつでも意見を無遠慮にのべて来たから、この本には持別の打ち明け話というものはない。いつもの調子で、例のごとく辛辣に自分の意見を吐露している。ラッセルの本に親しんでいる人ならば、この一問一答は、ラッセルの思想の理想的な要約と受けとれるだろう。
 しかしはじめてラッセルに接する人は、いわゆる「哲学者」の談話とはひどくちがった印象を受けるだろう。この九十歳の老思想家は曖昧なことを少しも口にせず、偶像を打ちくだこうとする情熱を青年と共にしているからである。
 二、三の点を拾ってみよう。まず哲学は科学のまだ明らかにしえない問題についての思弁であって、それが本当の知識になればもう哲学ではなくて科学になるという。そうするとそういう不完全な科学みたいな哲学は、いかに生くべきかについての確固たる信念を与ええないであろう。その辺はどうするか。ラッセルは答えて、むしろ確信をもつべきでない、信念には常に疑いを添えているのがよい。しかしその疑いをものともせずに勇気をもって行動しなければならないのだ、という。
 共産主義と資本主義とのちがいと一致点とをのべたあとで、両者は共存しうるかという問いには、もちろんと答え、キリスト教徒とマホメット教徒が六世紀もの間戦って結局仲直りしたことを歴史の教訓として引き合いに出している。
 ナショナリズムは、文化的には有益で保存の必要があり、今のように例えば世界中どこでも一流のホテルが同じようなものになってはつまらぬ。しかしナショナリズムは政治的には全く有害であって、世界政府をつくらねばその害をとめられまいという。そして大英帝国が強国でなくなったのは、いささか残念だが大したことでない。その将来はオランダのようになるだろう。ああいう立派な小国になるのはよいことだ、という。
 ラッセルの説に腹を立てている人が国の内外に数多いことを私も承知しているが、私自身はこのたびもまた、得がたい正直な思想家だという感を新たにするのである。