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(内外雑報)「ラッセル氏来朝」
『婦女新聞』1921年(大正10年)7月第4日曜号掲載

* 賀川豊彦(1888〜1960):社会運動家でクリスチャン、日本生協連初代会長、ノーベル平和賞の候補にもなる。/ 賀川記念・松澤資料館  鳴門市賀川豊彦記念館


 バートランド・ラッセル氏は、愈々(1921年7月)十七日正午、神戸入港の栄口丸にて来朝せり。同じ思想の流れを汲む賀川豊彦氏真っ先に出迎え、同氏並びに改造社・山本実彦氏(=社長)の介添えにて、ラッセル氏は、目下罷業(=ストライキ中)の職工団と挨拶を交換せり。なお、氏は病後いまだ健康旧に復せず、(決まっていた)各大学にての講演も或いは見合わすやも知れず、なお努めて、新聞記者等にも面談を避け居れり。十七日は深更二時まで(神戸の)トア・ホテルにて、賀川氏と歓談せる模様なり。此の世界的学者が労働争議中の神戸に先ず上陸せるは皮肉なりというべし。因みに、今回は、当局官憲も尾行を付さざる由にて、同氏は、大阪、奈良、京都等を巡遊して入京、本月末横浜解纜、加奈陀(カナダ)に向かうという。

上記関連記事:『婦女新聞』1921年第三日曜日号掲載)
 京阪神地方に続発せる労働争議は、其後愈々形勢悪化の兆候あり。去る十日には参謀・賀川豊彦氏指揮の下に、無慮五萬(50,000人)の労働者神戸に集まり、全国空前の大示威運動を挙行せり。次いで、十一日、三菱川崎両造船所に於いて、職工の暴行より官憲の干渉を誘発して、流血の惨事を惹起し、各工場はそれぞれに怠業(サボタージュ)・休業状態に入り、なお続々として、社会主義者の潜入するあり。赤化の色彩漸く濃厚ならんとするより、警察、憲兵合同にて警戒に務めつつあり