バートランド・ラッセルのポータルサイト


[質問]
 昨今のパレスチナ/イスラエル情勢の悪化にともない、パレスチナ問題について多くの方々に知っていただけたらと、パレスチナ問題についてやさしく解説しているような書籍はないものかと考え、以下のような書籍をすすめることにしました。
 エドワルド・デル・リウス(著),山崎カヲル(訳)『(新版)リウスのパレスチナ問題入門』(第三書館刊,2001)
 ところで、その76頁に、次のようなラッセルの言葉の引用があります。

 「私たちはしばしば、ナチスがユダヤ人に行った迫害のゆえに、イスラエルを支持すべきだと言われる。こうした議論は私には、いかなる意味でも正しいとは思われない。イスラエルが現在行っていることは許しがたい。過去に迫害されたという口実で現在の自分たちの迫害を正当化するのは、まったくの偽善である。イスラエルは、きわめて多数のパレスチナ難民の貧窮に関して有罪であるだけでなく、植民地から解放されたばかりのアラブ諸国の貧困化に関しても有罪である。これら諸国は、イスラエルに対する軍備に費やす資金を国民の発展に投下することができるからである。」

 この文章の出典及び邦訳の有無について教えてください。
(2001/12/18 (火):17:15 メールにて問い合わせ)

[回答]
 ** 様

 なお次のページには一部掲載されています。→http://peacepalestine.blogspot.com/2005/08/bertrand-russell-on-palestinian.html/著作権は、ラッセル平和財団が持っています。)
 お尋ねの文章は、ラッセルが死ぬ2日前(1月31日)に執筆したものであり、1970年2月、カイロで開催された世界国会議員会議に当てたメッセージです。(ラッセルは1970年2月2日死亡)
 この原文(英文全文)は、***に掲載されています。(追記:以前掲載されていましたが、2006年11月27日現在ではなくなっています。)

 邦訳は、岩松繁俊著『平和への告発』(精文館、1971年刊)pp.240-242 に掲載されていますが、この本は多分、出版元にも在庫はないと思われます。長崎の岩松先生がまだ何冊かお持ちかもしれません。是非入手したいということであればご紹介します。
 長いですが、以下、スキャナーで読みとったものを掲載しておきます。


 カイロにおける世界国会議員会議(1970年2月開催)にあてたバートランド・ラッセルのメッセージ

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 「中東における宣戦布告なき戦争の最近の局面は、重大な誤算にもとづいている。エジプト領内ふかく侵入した爆撃は、一般市民を降服する気分においこむのでなく、逆に、抵抗への決意をかためさせるだけであろう。これが、あらゆる空襲の教訓である。何年にもわたって、アメリカのはげしい爆撃をたえしのんできたヴェトナム人民は、降服ではなく、逆に、ますます多くの敵機を撃墜するという反応をしめした。1940年には、わたし自身の同胞国民は、かつてない団結と決意とをもって、ヒトラーの爆撃に抵抗した。こういう理由から、現在のイスラエルの攻撃は、その本来の目的を達成できないであろう。同時に、かれらは、世界中からきびしい非難をうけなければならないのである。
 中東における危機の発展は、危険であり、かつ、教訓的である。20年以上にもわたって、イスラエルは軍事力を増強してきた。各段階の増強がおわるたびごとに、イスラエルは'理性'に訴え、'交渉'を提案してきた。これは、帝国主義強国の伝統的なやりかたである。なぜならば、帝国主義強国は、すでに暴力でうばいとったものを、できるだけすくない障害をもって、統合したいからである。ひとつひとつの新しい征服地は、ちからずくの交渉の新しい基礎となるのである。そして、この交渉では、それ以前の侵略の不正は、無視されてしまうのである。イスラエルがおこなった侵略は、非難されなければならない。その理由は、ただ、いかなる国家も外国の領土を併合する権利をもっていないから、ということだけではない。さらに、あらゆる領土拡張を、どれだけまでの侵略ならば世界中がだまって見ているだろうか、という限界を知る実験的こころみとしているからである パレスチナ周辺にいる何10万もの難民のことを、ワシントンのジャーナリスト、I.F.ストーンは、最近、『世界中のユダヤ人の首にかけられた道徳的重荷』とのべた。難民の多くは、いまや、仮の住居に、他律的で不安定な生存をしいられて、30年になんなんとしている。パレスチナ住民の悲劇は、かれらの国が、新しい「国家」(Israel)をつくるために、外国権力によって他国の人民に'あたえられた'国である、ということである。その結果、何10万もの罪もないひとびとが、永久に家をうばわれているのである。新しく紛争がおこるたびに、かれらの数は増加していった。これからさき、いつまで、世界中のひとびとは、この無慈悲で残酷な光景をだまって見ているつもりなのだろうか。難民が、すべてそのおいたてられた母国にかえる権利をもっていることは、きわめて明白である。この権利の否定こそが、うちつづく紛争の核心をなしているのである。世界中のどこにいるひとびとも、自分たちの国から、集団的に追放されることを承諾するものではない。いったい、だれが、どうして、パレスチナのひとびとにたいして、よそのだれもががまんできない苦痛を受諾せよ、と要求することができるだろうか。難民が、母国で、永久に正当な定住をえることが、中東での真の問題解決のための不可欠の要素である。
 ヨーロッパのユダヤ人は、ナチスの手で苦しめられたから、われわれはイスラエルに同情しなければならない、としばしばいわれている。しかし、わたしは、この提案のなかに、あらゆる苦しみを永久化すべき理由を何ら見いださない。今日、イスラエルがおこなっていることは、ゆるされえないことである。現在の恐怖を正当化するために過去の恐怖に訴えることは、はなはだしい偽善である。イスラエルは、膨大な数の難民を悲惨な境遇にあえぐよう運命づけているばかりではない。占領地区の多数のアラブ人が、軍事的支配を余儀なくされる運命にあるばかりではない。イスラエルは、さらに、ごく最近、植民地の状態からぬけだしてきたアラブ諸民族にたいして、軍事的要求は民族の発展より優先するからといって、いつまでも貧困状態のままにしておくと宣言しているのである。中東における殺戮の終止を見たいとおもうひとはすべて、将来の紛争の禍根をふくまないような解決をのぞまなければならない。正義はつぎのように要求する。すなわち、解決への第一歩は、イスラエルが、1967年6月に占領した全地域から撤退することでなければならない、と。長いあいだ苦しんでいる中東のひとびとに正義をもたらすのを支援するために、新しい世界的キャンペーンが必要とされているのである。(終)