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湯川秀樹「第30回パクウォッシュ会議に寄せる−
「ラッセル=アインシュタイン宣言」25周年にあたって
『世界』1980年10月号pp.160-161.

* 「核廃絶、署名運動を−湯川博士夫妻が呼びかけ」(1980年) / ラッセル=アインシュタイン宣言の着想
* 第30回パグウォッシュ会議は、今年25周年を迎えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」の署名者で生存される3名の方の一人として、湯川秀樹先生のメッセージを熱望した。先生は大病後の御静養中にもかかわらず、軍事化と核拡散の道を辿る事態の深刻さを憂慮され、メッセージ(英文)を起草され、前記会議に出席する私に托された。ここに掲載するのは、その日本語訳である。なお会議は8月20日から25日にかけて、オランダ、ブロイケレンで開かれた。(豊田利幸記)

 私が「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名してからすでに四半世紀が経過しました。当時と現在を比較し、事態は改善されるどころか、ますます悲劇的な様相を呈していることに、私は深い憂慮を覚えます。
 東西間の緊張はいっ時緩和され、平和に関する米ソ両国間の対話も活発になったかに見えましたが、最近にいたって、それと逆行する動きが顕著になってまいりました。これは「宣言」の精神に反するものであります。私たち科学者自らが国際的な対話の道を閉ざすようなことは愚かというより危険であります。国際、国内を問わず、自由な意見の発表と相互の交換は、科学自身の発展にとってはもちろん、世界の平和にとって極めて重要であります。私たちが相互理解への努力を放棄した後に残るのは、武力による対決しかないでありましょう。
 武力の対決、あるいは武力による相互威嚇が何をもたらすか、今や明白であります。25年前とは比較にならぬ巨大かつ高度に複雑化された核兵器体系に依拠する「恐怖の均衡」はもはや限界に達しているように思われます。しかも、最近、その巨大な核戦略システムの重要部分に事故が頻発し、当事者はその度に慄然としたと伝えられています。これは人類の核破滅が今や大きな現実味をもってきていることの具体的な警告であると思います。
 われわれ人類はどうして今なおこのような愚かしくも危険な道を歩んでいるのでしょうか。螺旋的に上昇し続ける軍備競争から一体何がえられるのでしょうか。私たちは自らに問いかけねばなりません。私たちはこのような事態を招いたことに責任がないのかと。まことに残念ながら、パグウォッシュ会議に集まり、平和への道を探求してきたつもりの私たちにも責任がないとはいえない、と私は考えます。

ラッセルの『常識と核戦争』(邦訳書)の表紙画像  このようになった根本的原因の一つは、バートランド・ラッセルの初心である「核兵器は絶対悪であり、除去されなくてはならない」という考えを、非現実的であるとして斥け、核兵器と共存しながら」平和を保とうという幻想にとりつかれたことにある、と私は思います。これは原理的に間違っているだけでなく、核兵器保有国の既得権益に無意識的にせよ、あるいは意識的によりかかったものであり、この上に立てられたいかなる世界の平和構想も、到底多くの核兵器非保有国に対して説得性をもちえないでありましょう。
 もう一つの重大な原因として、一方で全面完全軍縮を支持しながら、軍備なき世界の新しい秩序の探求を怠ってきたこと、もしそれが言い過ぎであるなら、その作業に臆病であったことがあげられると思います。これは現在の政治的状況に何らかの変革を伴うでありましょう。それゆえ極めて困難な仕事であるに違いありません。しかしながら、将来への展望を欠いた小手先の操作で、現在の悲劇的状況を打開することは恐らく不可能でありましょう。
 「宣言」では将来の展望については具体的に触れられていません。しかし、私の知る限り、ラッセルもアインシュタインもこの問題を念頭においていました。事実、この2人は核時代における国家主権を制御するため、世界連邦について考えていました。私もこの考えに原理的に賛成であります。この考えはなお十分に熟しておらず、多くの専門家の協力によって練りあげられるべきであります。にもかかわらず、過去2、30年、少なくともパグウォッシュ会議に関する限り、このような問題の設定そのものが脇におかれ、軍備管理の技術的側面の詳しい議論に多大の時間が費されてまいりました。
 私は皆さんに、もう一度「ラッセル=アインシュタイン宣言」の初心に立ち戻り、たといそれがいかに困難であろうとも、「宣言」の精神の実現に向って、力をあわせて努力されるよう訴えます。(ゆかわ・ひでき 京都大学名誉教授)