Search Engine     

沢田允茂「バートランド・ラッセルと論理学」
表紙 発刊のことば 目次  p.1 p.2 p.3 p.4 p.5 p.6 p.7 p.8 p.9 p.10 p.11 p.12 p.13 p.14 p.15 p.16 p.17 p.18 p.19 p.20 p.21 p.22 p.23 p.24 p.25 p.26 p.27 p.28 p.29 p.30 p.31 p.32 p.33 p.34 p.35 p.36 p.37 p.38 p.39 p.40 p.41 p.42 p.43 p.44 p.45 p.46 p.47 p.48 p.49 奥付
(p.12)  

三段論法の限界

 話はずいぶん横にそれてしまいましたが、アリストテレスの論理学の中で一番機械的にはっきりと体系化された部分と言えば私たちは有名な三段論法を思い出します。彼は③のような主語-述語の命題を二つ組み合わせて、その二つ(前提)から第三の主語-述語の命題を導き出すことが出来ると考えたのです。この有名な三段論法なるものは昔の伝統的な論理学を支配していたもので、お習いになった方ならばすぐに思い出されるのがつぎのような例です。
 「すべて人間は死すべきものである」 ⑤
 「すべてギリシア人は人間である」 ⑥
 「故にすべてギリシヤ人は死すべきものである」 ⑦
 しかし現在、新しい論理学を学んでいる人には論理学といえば「p」とか「q」といった文字のイメージが浮かんでくるわけで、印象からしてまるで違っているわけです。それでアリストテレスの論理学は、三段論法を主としているわけで、その他に多少ちがった推論の仕方も形式化されてはおりますが、その中心はあくまで三段論法であったと言えるのです。(次のページに続く)