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沢田允茂「バートランド・ラッセルと論理学」
表紙 発刊のことば 目次  p.1 p.2 p.3 p.4 p.5 p.6 p.7 p.8 p.9 p.10 p.11 p.12 p.13 p.14 p.15 p.16 p.17 p.18 p.19 p.20 p.21 p.22 p.23 p.24 p.25 p.26 p.27 p.28 p.29 p.30 p.31 p.32 p.33 p.34 p.35 p.36 p.37 p.38 p.39 p.40 p.41 p.42 p.43 p.44 p.45 p.46 p.47 p.48 p.49 奥付
(p.8)これは可知論、或いは不可知論というような形をとってまいります。
 以上みてきましたように、西洋の哲学、とくに形而上学の歴史は、我々にとって非常に大切な歴史だというふうに言われておりますけれども、私は少し反逆な意味で、そういうものは、実はギリシアの哲学者の(我々からみれば誤った)特殊な思考様式からみんな出てきたのだというふうに言うことができます。それは極論すぎるかもしれませんが、ある意味でそういうことが言えるのではないかと思っております。   

論理と存在

 ついでに申し上げておこうと思いますのはアリストテレスにおいていわれた「範疇」(Category)の意味についてであります、これは要するに「……である」という言い方の、いろいろな違いを現わしたといえます。たとえば
 「人間は理性的動物である」
 「アメリカの大統領はジョンソンである」
といった文章においては主語の位置にくるものと述語の位置にくるものは「=」であります。(次ページに続く)