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ブライアン・マギー「分析哲学の限界−現代哲学における大きな分裂
『哲学人(てつがくびと)』下巻(日本放送出版協会、2001年3月刊)pp.304-316

*ブライアン・マギー(1930年〜 )は、オックスフォード大学で史学、哲学、政治学を、エール大学で哲学を学ぶ。テレビ・ラジオの哲学解説番組の制作・出演、及び、執筆活動を通して、哲学をわかりやすく紹介している。国会議員も経験。
*今回は、ブライアン・マギー(右の写真)の分析哲学批判を紹介。:『哲学人』下巻第23章(=「分析哲学の限界−現代哲学における大きな分裂」)のなかの3節(「分析哲学者たちが共有していた哲学観」「分析哲学への不幸なリアクション」「'分析哲学は本当の哲学ではない'という非難は正しい」)


 分析哲学者たちが共有していた哲学観

 すでに述べたとおり、ムーアとラッセルが、それまで手引きとしてきた新へーゲル主義的観念論と決別したのち、分析的アプローチを創始すると、これが大学の哲学に広く定着して、分析すなわち哲学であるとされるまでになった。哲学とは、取りも直さず、興味深い信念や重要な信念の分析、明晰化、正当化であり、それゆえに推論や論証、概念の使用、方法に関する明晰化も哲学になると考えられるようになった。この哲学観が、それ以後分析の伝統内でしのぎを削ってきた、あらゆる学派や流行の根拠となっている。そして、この共通の仮定こそ、そうした努力をすべて台なしにしているのである。というのも、その仮定を立てることは、すなわち、第一級の哲学的問題などない、もしくは、あるとしても哲学の内部や周辺の技術的なものであるとの見解を信じることだからである。また、それは別としても、問題の分析と理論の明晰化、そして問題と理論双方に関する見解の正当化にのみ哲学が存在するとしたら、問題そのもの、理論そのものは哲学の外から哲学に与えられることになる。
 ムーアの見解では、一般に「哲学的」と言われる問題のほとんどは、常識(common sense)を真剣に受け止めていないために生じるものであり、常識に訴え、常識を駆使することで解決できるとされている。かならずしも認識されてはいないが、ここでも仮定が立てられている。常識による世界観は本質的に正しいはずであり、私たちが哲学の問題と思うものは、行きすぎた知的処理によって人為的につくられる、という仮定である。かつてムーアはこう言った。世界そのものが問題を提示し、私を哲学的思索に駆り立てるのではない、私を哲学者にしたのは、哲学者の語る無意味(ナンセンス)だけである、と。
 ラッセルはまったく異なる見解を抱いていた。彼は「常識」を見下し、「常識」は皮相的で、はなはだ的はずれであると認識し、興味深い真理の大半は容易に理解できず、その多くが直観に反することを、きわめて正確に把握していた。ラッセルの考えでは、これまで数百年にわたり、私たちとこの世界に関する興味深く有用な真理の源泉としてずばぬけて豊かだったのは科学であり、科学の数かぎりない発見の大部分は啓示として現れる。しかしラッセルはその一方で科学も、科学の大半で広く用いられる数学も、自己実証をしないばかりか、できないことを認識していた。そのため、ラッセルにとって最も重要な哲学上の仕事は、数学と科学への信仰の合理的根拠を発掘して明らかにすることにより、その信仰を正当化する試みとなったのである(若きウィトゲンシュタインを通じて、数学の真理は同語反復(トートロジー)であるとの確信に至るまで、数学は現実に関する知識の体系であると、ラッセルは信じていた)。ラッセルも、ムーアやのちの分析哲学者と同じように、私たちの発言の大多数は、その論理形式を誤った方向へ導く文法形式に覆われているので、論理形式(それゆえ、私たちの言明の意味と真の価値)は、分析をして初めて明確になるのであり、そこに分析の重要性があると信じていた。だが、ライル(Gilbert Ryle, 1900-1976)が言ったように、それが「哲学の唯一にしてすべての機能」であると(ラッセルは、)考えることはなかった。ラッセルは人生最後の日まで(そのように)信じていたのである。そう考える者は、哲学の中心的な務めを、世界を理解する試みを放棄したのだと。とすると、そうした人たちは、本質的なところで哲学者であることをやめたことになる
 青年期のウィトゲンシュタインは、世界の真の知識はすべて観察と経験から導かれ、その最も豊かな集積が科学のなかに体系化されると信じていた。だが、主にショーペンハウアー経由で吸収したカント的な考え方から、私たちにとって最も重要な事柄は知り得ないと彼はとらえていた。その事柄とは、倫理と価値の本質、生と死の意味、世界全体の意義である。こうした事柄に対する彼の態度はどこか神秘的である。(ウィトゲンシュタイン本人は神秘的なるものの例として、何はともあれ世界が存在することを挙げている)。しかし彼は、フレーゲ論理学の影響下にもあったため、一貫性のある答えを定式化できない場合は、一貫性のある疑問を呈することもできないと考えた。したがって、知ることが可能な範囲を越えたところにあるものは、哲学的探究の坪外(らちがい)にあるのだ、と。けれども、哲学的に問うことのできる有意味な疑問だけが、解答できる疑問であるとすれば、哲学は知りうるものの領域内での明晰化という仕事に限定されることになる。まさにこうしたことを、若きウィトゲンシュタインは信じていたのである。彼はこれを、原理上、完遂できる仕事であるとみなし、自分は「すべての本質的な点において」その仕事をやり遂げたと信じていた。ただし、「こうした問題が解決されても、ほとんど成果はない」とすぐさま認めてもいる。このように彼は、ごくかぎられた哲学観を意識的に抱いていたのだった。
 論理実証主義者たちは、若きウィトゲンシュタインの哲学を信奉したが、神秘的な次元には無頓着で、それが存在することを認識しなかったため、その哲学がいかにかぎられたものであるかに気づかなかった。彼らは、実際に可能な経験の世界が、存在する唯一の現実であり、その世界に存在するものはすべて科学的探究の対象になりうると信じていた。このことから、あらゆる有意味な発言を科学的発言に同化させ、その結果、哲学とは科学の補助手段であり、哲学の仕事は科学的発言の明晰化、とくに科学による概念と論証の使用法の明晰化、さらに科学の方法と手順の明晰化であるととらえるようになった。哲学そのものは、私たちに現実の知識をもたらすことはできない。哲学が提供するのは明晰化と正当化というわけである。論理実証主義者は、科学とは常識を拡大したもの(拡大の過程でさらに統制され、自己批判的になった常識)であるとみなしたために、分析的アプローチは、日々の談話のなかの命題に適用できると固く信じていた。むしろ、そうした命題は、自己批判による統制のレベルが低いという特徴をもつだけに、とくに分析的アプローチが必要なくらいである、と。そのため、哲学的分析を適用すべき命題は、科学と日常生活によってもたらされるのであり、そのどちらも重要であると彼らはみなした。だが、いずれの場合も適切な基準とされたのは、明晰さと真理に関する科学の基準だった。周知のとおり、論理実証主義者には価値言明や道徳言明を、説得力のある根拠を欠いた、えせ断定とみなす傾向があったのである。
 言語分析哲学者たちは、あらゆる形式の発言は、科学的発言に同化できるという考えを否定し、私たちは多種多様な目的のために言語を使用するのであって、科学的発言はそのひとつにすぎないと主張した。そのため、言語のさまざまな使い方を吟味し、各用途にふさわしい意味と妥当性のさまざまな基準を明確にした。これが転じて、言語を主題としてとらえ、哲学的問題は言語の使用法に関する問題であると本当に信じるようになった。バートランド.ラッセルはこれに関してつぎのように述べている。「(後期ウィトゲンシュタイン)以前のあらゆる哲学者と同じで、私の根本的な目標は、世界をできるかぎりよく理解し、知識と認めてよいものを根拠のない意見として退けるべきものから分けることである。(ウィトゲンシュタインが)現れなかったなら、私はこの目標を当たり前のことだと思い、あえて述べる価値があるとは考えなかっただろう。しかしいまや、こう言われている。われわれが理解に努めねばならぬものは、世界ではなく、ただの文章である、と…」。オースティン(John L. Austin, 1911-1960)率いるオックスフォード学派の言語哲学者は、「日常語法」とやらをその企図の試金石として採用した。「これこれは実際にどのような状況で話されるのか? そして、その状況のなかで日常的に何を意味するとされるのか? その意味するところは何かとあなたが尋ねるのなら、まさにその何かこそがその意味である。また、それが実際に話される状況が想像できない場合、それは使用することができず、ゆえに意味をもたない」。言語哲学者の見解によれば、私たちは普通の意味での使用に反する方法で言語を使うことで、混乱を招いており、それが哲学の問題になっているという。こうした概念のもつれが哲学の問題であり、哲学的分析の機能はそれを解きほぐすことにある。もつれが解かれれば、問題は、その性質から言って、もはや存在しない。
 やがてこのことは、主にふたつの理由から立証できないことが判明した。真に思慮深い人たちのなかに、こうした日常言語と日常語法の王座をいつまでも正当化していられると思った者はいない。このことについても、ラッセルの言葉に同意せずにはいられなかったのである。「それにひきかえ、私は確信しているが、日常的な言葉は曖昧さと不正確さとに満ちており、明確かつ正確であろうとするなら、かならず、日常的な言葉を、語彙についてのみならず、統語法についても変更する必要に迫られる」。だが、それはさておくとしても、哲学的脳死状態でもないかぎり、言語の誤用による混乱が整理されれば、哲学的問題のない世界に向きあうことになるとは思えないだろう。こうして、哲学とは、言語の用法の精密な区別などより、人間にとってもっと重大な事柄に関するもの、という見解が求められるようになる。論理実証主義者による哲学観は、少なくとも哲学に敬意を払い、科学の方法と手順の批判と再定式化という点で生産的な働きをもたらした。だが、言語分析哲学者は、おおむね科学の素養に欠け、多くの者ははなはだ不案内で、なかにはまったく受けつけない者もいた。彼らの活動は、区別することが自己目的化する傾向にあり、さらには日常言語の細目にこだわりがちだった

 分析哲学への不幸なリアクション

 これが原因となって、分析哲学に対する最大の反動が引き起こされた。プロの哲学者仲間からも、分析哲学はばかげていると判断され、と同時に外部からは、前例のないほど激しい非難を浴びた。この時期、ほかの誰にもまして、聡明な人たちが哲学の専門家によって哲学から遠ざけられていた。若者たちは哲学を学ぶつもりで大学に進んでも、哲学者が話すのを耳にすると、哲学は時間の浪費だという結論に達し、それぞれに別の道を歩むことを決意した。ほかの学科の知性にすぐれた学者たちも、哲学科の同僚がやっていることは、知に関して無価値だと結論づけざるをえなかった。この学問の評判は(おそらく、職業として行なわれる哲学も)、どん底に達した。
 残念ながら、この反動は確かに起きたとはいえ、徹底したものではなかった。分析的アプローチ自体を捨て去ることこそ、望ましかったはずである。当時、人々がそのかわりとなるモデルの必要性を感じたとき、手近なところにあったのが力ール・ポパー(Karl R. Popper, 1902-1994)の著作だった。ポパーはそのころ全盛期にあり、言語分析派からも傑出した人物として認められていた。ところが、彼らは口先では称賛をつづけながら、その著作を無視していた。一世代前の論理実証主義者たちは、ポパーによる批判を軽く受け流し、その後、ポパーが指摘した理由により、みずからの立場を断念せざるをえなくなったが、今度は言語哲学者たちが同じ轍を踏んだのである。どちらの時代にも、頑迷な人々は、ウィトゲンシュタインの知的指導力にしがみついた。先の世代は『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインに、あとの世代は『哲学探究』のウィトゲンシュタインに。20世紀なかばにおける哲学の悲劇をざっとまとめるなら、ポパーを模範とすべきときに、哲学者全般がウィトゲンシュタインに範を仰いだということになるだろう。ようやく塹壕(ざんごう)から抜け出て前に進みはじめたときでさえ、哲学は分析というお荷物を引きずっていた。
 より自由な新しい時代になると、きわめて有能な者を含む多くの人々が、意味、指示内容、真理の本質の論理・言語学的研究を推進した。志向性が大いに注目され、アイデンティティの問題も関心を集めた。こうした分野は全体として心の哲学という分野を構成するとされ、当時の分析哲学の中核とみなされるようになった。分析哲学の技術を、自然科学以外の学科の中心概念へ応用することに興味をもつ者も増えつつあった。この応用はすでに少し前から法学の分野に採り入れられていたが、ここにきて言語学、心理学、厚生経済学など、多くの分野で用いられるようになったのである。分析の技術を具体的な社会問題に適用した者もいた。妊娠中絶、胎児組織研究、遺伝子工学、人口政策、安楽死、核兵器使用、そして交通規制。社会のコンピュータ化にともない、哲学の内部にまったく新しいテーマ、すなわち人工知能の研究が登場した。これは基本的に、人間の精神の働きと、それとおおむね同じ結果に達するコンピュータの方法を比較することで、人間の精神の働きに関する理解を深める試みだった。表面上、哲学は古い殻を打ち破り、新たな自由を発見しつつあった。それとともにもたらされたのが新たな多様性である。哲学者が執筆する主題は、音楽からセクシュアリティに至るまで、多岐にわたった。論理実証主義者なら、いや言語分析者でさえ、こうしたテーマが哲学的探究の主題として有望とは思わなかっただろう。哲学者はますます大胆になって、哲学をほかの学問と融合させていった。そして初期の分析哲学者が闇に葬った過去の偉大な人物、とりわけへ一ゲルと二ーチェを復活させつつあった。衆目の見るところ、哲学の現場がこれほど多様になるとはとうてい考えにくいことだった。古き悪しき時代とは対照的である。以前の哲学は閉鎖的で、みずからの過去をほとんど顧みず、つぎつぎと移ろう流行に左右されていたのだから。しかし、こうした活動すべてに依然として共通していたのが、分析的アプローチだった。ほかの欠点には目をつぶるとしても、活動が不満足なものになるにはそれだけで充分だったろう。分析は問題を明晰にすることができ、その解決を容易にするかもしれないが、明晰化そのものは解決たりえない。その問題が実質をともなうものだとしてもである。本当の問題などなく、混乱や混同だけがある場合にかぎり、明晰化の補助になるくらいで、けっして解決そのものにはならない。しかも、この影響は多大であり、分析哲学者は、自分の問題ばかりか、解決をも哲学の外に探すよう強いられる。このようなとらえ方による哲学は、取るに足らないレベルに通じることになり、重大な問題やその解決の源にはなりえない。言語哲学者は、哲学的問題などなく、疑似問題があるだけであり、解決というのは誤解を突き止めることに尽きると公言した。だが、どの派の分析哲学者も残念ながら、哲学的問題そのものを分析の問題、つまりいかに明噺化を達成するかの問題としてしか見ず、いかに解決を達成するかの問題だと見てはいない。これは数多くの分析哲学者が実際に言っていることでもある。彼らによれば、哲学の機能とは、私たちの発言、とりわけ信念と問題に関する全言明を、私たち自身にとって明快にすることなのである。
 問題を解決するには、ある種の説明、それも本当の意味で解き明かしてくれる説明が欠かせない。そうしたものを手に入れるには、検証可能で、検証を見事に乗り切る説明の理論が必要である。言い換えれば、求められるのは新たな思想、説得力があって理論の面でも(状況に応じた)実践の面でも、批判に堪えうる思想ということになる。その中心となるのは、説明、理解、洞察である。哲学思想の中核となる価値は、その説得力にある。そうした説明理論こそ、知に関して真剣な哲学の主な内容であ。いわゆる大哲学者の著作は、何よりもそこが評価される。説明理論の欠落は、分析哲学者たちの著作と先達たちの著作との違いを最も顕著に示すものである。
 明晰化が、その名に恥じないものとなるには、ふたつの意味で目標地点が必要である。問題を明快にする、あるいは説明理論をわかりやすくするといった目的がなくてはならないし、その地点でひとまず終了しなくてはならない。原理上、明晰化をさらに進める余地は常にある。あらゆる区別はよりいっそう厳密にすることができ、あらゆる説明も(さらに細かく、という意味でも、さらに拡張して、という意味でも)、よりいっそう詳述することができるが、こうした活動を当面の問題に必要な範囲を越えて進めるとしたら、それは目的を欠くばかりか、無限遡行におちいることをまぬがれない。そうなると、言葉遊びや理屈をこねることが自己目的化する。したがって、目的のない区別はしないという方式を定めるべきである。すなわち、考慮中の問題や、その解決策である説明理論のいずれかを理解するのに必要な限度を超えた区別はしない。説明の遂行に関しても同じことが言える。区別なり説明なりがさらに求められるなら、必要なだけ追究してかまわない。不必要なときに区別や説明を推し進めれば混乱が生じ、役に立たないどころか、明晰さが薄れるので、理解の妨げになる。そのため、純粋に理解を追い求める者は誰ひとり、そんな真似はしない。そうした行動をとる者の動機としてとくに多いのは、能力を誇示すること、技能を使って楽しむこと、そうした活動そのものの魅力を堪能することである。いずれも、世界を理解したいという欲求の現れではない

 「分析哲学は本当の哲学ではない」という非難は正しい

 バーナード・ウィリアムズは、おそらく最も注目すべき若い世代の分析哲学者だったが、彼が分析哲学の言語学的段階を振り返って述べた事柄は、たいへん重要なので、ずいぶん前に引用したこととはいえ、この文脈でくり返す価値がある。「区別の多様性について不平を言われると、(オースティンは)ある種の昆虫には数千もの種類があると指摘し、こう尋ねました。『言語にもそれくらいの区別が見つかったっていいはずだろう?』。 さて、これに対する答えはもちろん、昆虫の種類を識別する根拠は、種類の相違を生じさせる要因についての理論的解釈、進化論によって得られる解釈に根ざしているということになるでしょう。ところが、背景となる理論的解釈がない場合は、あるものをほかのものから好きなように区別できてしまいます」。同じページで、ウィリアムズは、ほかにも重要なことを語っている。やはり一度引用したことだが、くり返すのも無駄ではない。「思うに、言語分析の根本的な限界は、理論の重要性を過小評価したことにあったのでしょう。とりわけ、哲学における理論の重要性を過小評価していたのです(もっとも、ウィトゲンシュタインの場合は、とても過小評価と呼べるようなものではなく、完全な拒絶でしたが)。それから、ほかの学問の理論の重要性も過小評価する傾向がありました。科学に関してさえ、理論の重要性をさほど理解していたとは思えません」
 理論を拒絶する哲学観を表明することは、哲学の最も意義深く、価値のある内容を、つまり哲学の存在理由(レーゾン・デートル)理由を退けることにほかならない。それはまるで、過去に関して意味のある言明をなすことはできないという主張を基礎とした歴史観を築くようなものである。ウィトゲンシュタインは、こうした見解を抱いたばかりか、そこに論証の使用の拒絶も組みこんでみせた。したがって現在、彼の名声の最大の要因となっている後期の著作には、説明理論も論証も含まれていない。バートランド・ラッセルが次のように記したのも意外ではないだろう。
その(ウィトゲンシュタインの)肯定的学説は私にはささいなことに思われ、その否定的学説は根拠を欠いているように思われる。ウィトゲンシュタインの『哲学探究』には、私にとっておもしろい事柄が見あたらず、どうして一学派全体がこの書物に重要な知恵を見出すのかわからない。心理的に見ると、これは驚くべきことである。私が親しかった初期のウィトゲンシュタインは、熱烈な思索に没頭している人で、彼と同様に、私も重要と感じた困難な問題を深く認識しており、(少なくとも私の考えでは)真の哲学的天才を備えていた。しかるに後期のウィトゲンシュタインは、真剣な思索に倦んでしまい、そういった活動を無用とする学説を発明したように見える。そうした怠惰をもたらす学説が真だなどと私は一瞬たりとも信じない。とはいえ、自分がそういう説に対して抑えがたい偏見を抱いているのはわかっている。というのも、もしそれが真であるとしたら、哲学は最善の場合でも、辞典の編集者のわずかな助けとなるだけであり、最悪の場合には、くだらない茶飲み話になるからである。
 力ール・ポパーがラッセルの姿勢に公然と賛同したのも驚くにはあたらない
 ラッセルやポパーとは異なり、分析哲学者の大半は、自分がもっぱら世界を理解する試み、つまり言語とはかかわりのない現実を理解する試みに携わっているとは考えなかった(もちろん、言語の使い方を理解することが、取りも直さず言語とかかわりのない現実を理解することであると思ったとしたら、そのかぎりでない)。哲学的な説明理論を前にしたとき、彼らが通常見せる反応は、いまも昔も変わらない。自分の理解が深まるかもしれないとの考えから、熱意、共感、希望をもって、その理論を調べ、その理論に照らして経験を再検討するのではなく、理論の筋道を検証するだけである。つまり、理論の目的という見地から、理論を評価しようとはしない。理論の目的は、世界や、世界に関する私たちの経験の一部について蒙を啓くことだが、その機能を分析哲学者は忘れている。彼らの関心は、理論が概念に関してうまく表現されていて、論理的に完壁であるかどうかにあり、それを調査することに彼らは興味を引かれる。そうすることが哲学だと考えているのだ。彼らが考える難解な哲学的問題とは、分析上の難問である。そして彼らの考えるすぐれた哲学者とは、分析に熟達した者である。新しい思想をつくり出すことは、彼らのとらえ方によると、分析哲学者の関心事ではない。他人の仕事である。彼らは世界に関する洞察を差し出されてもしばしば拒絶する。そんなものなどありえないと信じているか、洞察は危険とみなして疑いの目を向け、敬遠しているかのように思われる。プロの哲学者に少なからず見受けられる類の性格を、精神分析学者なら防衛的と呼ぶことだろう。その性格は新しい思想や新しい洞察を受け入れず、それらを撃退して寄せつけない。
 このように、どの分析哲学も、哲学の最も有意義で価値のある内容をみずからの活動からたくみに排除してきた。その内容とは、私たちが直面する哲学上の問題についての理解を深めるとともに、その解決に貢献できる説明理論の提示である。分析哲学は木当の哲学ではない、それに携わる者は、本当の哲学者ではないといった、よく聞かれる非難は、根本的に正しい。私は数十年にわたる経験から知っているが、一部の者を別にすれば、個々の分析哲学者が哲学の基本的な問題(たとえば、カントの問題など)に当然興味を引かれたろうと考えてはいけない。ましてや、そうした問題を主な関心事とするすぐれた哲学者たち、古くはショーペンハウアー、現代ではポパーといった人々の著作に、彼らが興味をもつとは考えられない。現在、哲学を職業としていても、自身の学問を真剣に受け止める必要がないために、分析哲学者は多くの面倒をまぬがれている。分析哲学に引かれてその専門家になる人がいる大きな理由のひとつは、頭がよくて興味をもちさえすれば誰にでもできるからである。それに対して、私が本当の哲学と呼びたいものは、思想をもつ者にしかなしえない。
 言うまでもなく、まさにその理由があるために、哲学を職業とする者全員が真の哲学者となることはありえない。思想をもつ人はわずかしかいないからである。西洋全体で見ても、著作に広く関心がもたれつづけている哲学者の数は、せいぜい一世紀につき5、6人程度でしかないだろう。これは、哲学が職業化されてからというもの、必然的にこの職業に携わる者の大半は、すぐれた哲学の提示以外の仕事に時間を割かなくてはならなかったことを意味する。誰もが実際にすぐれた哲学者になることは不可能だったわけである。最も確実な選択肢は、才能ある者が生み出した哲学を教えることで、これは大半の人々が行なってきた価値のある仕事である。だが、その仕事に専念しても、出世を望む者に必要な個人的名声を確立する機会は、派生的にしか訪れない。彼らは個人としての貢献を認められる方法を見つけなくてはならなかった。分析哲学はそれにうってつけだったのである。分析哲学を使って注目を集めるには、主にふたつの方法がある。まず、とにかく流行しているものを手がけて、あなたの仕事に人々の注目を喚起すること。あるいは、これまでまったくと言っていいほど研究されたことがない隠れた分野を見つけて、自分の独壇場にするかである。どちらの場合も注目され、うまくやれば出世できるかもしれない。その場合、あなたの仕事はねらいどおりの成果をあげることになる。そうなったら、これを成功と呼ばないわけにはいかない−あなただけでなく、同じように栄達を求めるほかの人たちも、その仕事を、そしてあなたを、成功とみなすことだろう。