バートランド・ラッセルのポータルサイト


往復書簡 n.15 (1962.10.18)
『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.32-35.

一九六二年十月十八日
ガボン、ラムバレネ
A.シュワイツァー

 プラス・ペンリン
 ラッセル伯爵


 親しい友よ
 今しがた十月十一日附のお手紙を受けとり、大へん考えさせられます、なぜなら、あなたが核爆発実験の中止と核兵器の廃絶を要求する世論を作り出すことに私たちがまだ成功していないことで苦しんでおられるからです。これは議会と報道が陥っている無感覚の状態と関連しています。それゆえあなたと、わたしたち・あなたの戦いの仲間とにとって、世論の向きを変えることがとてもむつかしい。私たちの宣伝を新聞や映画でひろめるため、もしより多くの資金が自由に使えるなら、よりよい成果が得られるとあなたはお考えになり、それゆえ大きな平和財団を設立して、それが資金をかきあつめ、より大きな宣伝のために役立たせるという御計画です。たしかにそれも意義あることでしょうが、しかし私は財団を過大評価してはならぬと思います。最大の宣伝力をもってしても、諸国民の陥っている無感覚の状態を著しく改善することはできません。
 これまで私たちは、私たちの明噺な判断と人類が陥っている危険の認識とを拠り所として語り、かつ戦ってきました。それによってわたしたちの戦いに若干の成果が得られました。それに信条の意義(誤訳?)をもつあなたのデモは成功でしたし、これからも成功するでしょう。それらは人から人への自然な宣伝です。
 もし私たちが財団の設立に成功するならば、私たちはより大きな財力を宣伝のために使えるわけで、それは意義あることであり、試みらるべきことだと思います。しかし私たちはそれによって、あることのため全力をあげてつくす通常の大量宣伝に入ってゆくことは許されません。私たちは人から人への宣伝をやるのであり、その力の秘訣は、それが真正であり理性を代弁する点にあります。私たちの宣伝には尊厳があります。単純な手段で宣伝しますが、品位があります。これを放棄することは許されません。そしてあらゆる宣伝手段をもっていまや一つの宣伝の準備をすべきです。私たちは世界を救い得る真理を告げる者です。かかる者として私たちは起ち上り、かかる者として注目され、かかる者として成果をあげることができます。これを私たちは先へ進めましょう。義務がわたしたちをせき立てます。勇気をもちましょう。
 親愛な友よ、あなたは世間におけるあなたのデモの効果がまったくお分りではない! デモをつづけて下さい! しかも私はあなたよりも状況はかなりよいとみています。今日多くの人々が、支配的な通常の見解ゆえに、道に迷っています、これを認めることなしに。
 そして世間で起っていることは、人々に、私たちが真理を語っていることを裏書きしています。原子兵器の軍備はついには経済的破滅に至ること、これが明らかになりつつあります。人々はこれを十分に跡づけることができ、これはますます明らかになるでしょう……そのとき無思慮はなくなり、人々は私たちの告げる真理を受けいれやすくなります。
 私は事態がそうなるのを見ましたが、こんなに早くまたこんなに明らかになるとは思いませんでした。ですから私たちは勇気をもちつづけましょう、そして単純なやり方で倦むことなく、このひじょうに厳粛な真理を告げましょう。
 私はまたモスクワ会議の雰囲気を東西関係における一つの進歩とみています。さすがに人々は共産主義を判断するに当り、以前よりは冷静になり始めました。ダレス時代からの反共主義はゆらいでいます。
 私にとって重要なことは、原子兵器をもたない国々をそれから遠ざけること、原子兵器の問題はかれらには関係ないということです。私はこんな経験をしました。これらの国々の新聞雑誌がよろこんで私たちの論文を採用し、原子兵器の問題について考え込むようになったことです。
 そしてフルシチョフが平和を欲していることをすべての人が承認せねばならない、これは貴重な成果だと私は思うのです。
 それゆえ私は、原子兵器を捨てたいという真理を勇気をもって告げることを単純なやり方でつづけてゆきたいと思います。私たちの言うところを正しいとする時が始まっています。人々は同じことを始めるほかありません。

 心からの思いをこめて、あなたの忠実な 敬具  アルベルト・シュワィツァー

 この手紙はあなた個人宛です。私はそれが印刷されることを好みません。しかしあなたが戦いの同志にその内容を知らせるなら、私はそれに反対しません。


 シュワィツァーがこの手紙を重要とみていたことは、ラッセルの手紙の封筒に記された言葉が示している:「1962年10月19日、ラッセルの手紙に返事」、その下に「重要で急ぐ」とある。
 シュワィツァーはラッセルの平和財団の考えを支持しながらも、彼がこの支持に意味づけた「思想」には、「人から人へ」の接近に代る大量宣伝の危険に対する倶れが消えていない。「人から人へ」はシュワィツァーの晩年におけるお気に入りの表現の一つである。この頃のシュワィツァーの当座の楽観は、ラッセルが公衆デモによるこれまでのやり方を捨てたのと対蹠的に、フルシチョフ下のソ連の態度にみられた顕著な変化に托す希望を反映している。