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往復書簡 n.14 (1962.10.11)
『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.30-31.

一九六二年十月十一日
バートランド・ラッセル

 ガボン、ラムバレネ
 A.シュワイツァー博士


 親愛なるシュワィツァー博士

 原子核戦争に反対する私たちの奮闘の数年間に、私が経験して強い印象を受けたことは、もし私たちがこの危険に関する知識を大規模にひろげることができなければ、正気の沙汰として十分に強力な世論を動員することは望み得ないということです。
 このようにして民衆に近づくことなしには、それだけよく現在の政治の愚かさについて絶えざる事実を示すことなしには、私たちの努力は一定の敷居を越えて上ってゆくことはできません。すべて大国政府の広報と宣伝の能力は、もし私たちの努力がかなり大規模に行われないかぎり、私たちの努力を凌駕するほどのものです。
 私はそれゆえ、税のかからない大金を集め得るような大きな平和財団を設ける必要があると確信するに至りました。そのような財団ならば、世界のあらゆる方面から実質的な財政援助を正当に受けることができ、国際的に平和のための努力を調整してゆけるでしょう。これを達成できそうな手段は、新聞、雑誌、映画などさまざまな情報機関を後援することでありましょう、民衆を教育して抵抗の条件を創り出すために。
 私は、まことに不本意ながら、この財団はバートランド・ラッセル平和財団とよばれることを承知しました。私はこれですべて安心とは思いませんが、これによって私たちが必要とする大勢の人々を惹きつけるチャンスが増大されるように思えます、最近私がそのような仕事で交際してきた著名な人々ゆえに。もしあなたが私とともにこの財団の発起人になることに賛同して下さったら、私はことのほかに感謝するでしょう。この点であなたの支持をぜひ得たいし、企て全体についてあなたのお考えをぜひ知りたく思います。

 心からの願いをこめて  バートランド・ラッセル

 追伸 すぐに御返事頂ければ大いに助かります。

 ラッセルは「民衆を教育し、現代政治の愚昧に対する抵抗の情況を創出すべき」大きな国際的平和財団の計画を当時の彼の助手ラルフ・シェーンマンの手柄に帰している。シェーンマンは若いアメリカ人で、一九六〇年にラッセルに近づいたが、一九五八年に核軍縮の委員会に加わっていた。一九六九年まで、彼はかなりの影響をラッセルに与えた。両者の詳しい関係についてはロナルド・クラークの『バートランド・ラッセル伝』の第二二、二三章をみよ。ラッセルの手書きの追伸は、彼がどんなにシュワィツァーの支援と「計画全体についての考え」を重視していたかを示している。