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(ラッセル=シュワイツァー)往復書簡 n.12 (1962.09.02)
『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.27-29.

一九六二年九月二日
ガボン、ラムバレネ
A.シュワイツァー

 南ウェールズ
 プラス・ペンリン
 バートランド・ラッセル様

(アリー・シルヴァよりラッセルへ)
 五月末以来、今晩はじめて雨が降りました。乾季がやがて終るでしょう、一月も早く。シュワィツァー博士は数日来この天候の変化をみとめて、できるだけ早く、新しい建物のためのコンクリート打ちを終えようと努めています。シュワィツァー博士にはよい助手たちがいますが、早朝から日没まで監督し、手配しなければなりません。手紙は延ばさなければなりませんでした。これがシュワィツァー博士があなたの八月十日のお手紙に返事が書けず、今日私が代って書くようにいわれた理由です。
 シュワィツァー博士は、大へん共鳴している百人委員会(Committee of 100)の仕事を推進するための基金のアピールによろこんで参加します。つぎの日曜日、航空省(注:「国防省」の誤訳)で大デモの折、博士の思いはあなたとともにあるでしょう。

  心からの尊敬をもって   アリー・シルヴァー(オランダ人看護婦)

(シュワイツァーによる追伸)
 親しい友よ、私はよくあなたのことを思い出し、あなたが人々につよい印象を与え、人々が核兵器に反対の態度をきめざるを得ないようにと企てられたすべてに感心しています。核兵器は廃止されるに至らぬでしょう、これをつよく求める世論がありませんから。廃止(運動が?)が要求する〔安全〕保障というものは(現在)存在しません。ただ廃止を要求する意志と世論だけが保障を示すことができます。私たちはいまだにこの保障からはほど遠くあります。ヨーロッパでもアメリカでも原子兵器に反対する者は誰でも悪人のようにみなされるのですから。……
 今年はヨーロッパヘゆき、ロンドンであなたと再会したいところですが、この計画の実現は断念しなければなりませんでした。ラムバレネでなすべき仕事が私の不在を許しません。

 心からの思いをこめて、あなたに深く傾倒せる  アルベルト・シュワィツァー


 この手紙の前半(英文)は、シュワィツァーの病院の主なオランダ人助手の一人アリー(ダ)・シルヴァーの手で書かれており、彼女は英語の文通の世話をもしていた。彼女はいま(1982年)アルザスのギュンスバッハにあるシュワィツァー文庫の運営責任者である。彼女はまた百人委員会のためのアピールに対するシュワィツァーの支持を伝えることによって、シュワィツァーが参加できなかった九月九日のロンドンのデモを彼が気づかっていることを明らかにしている。シュワィツァー自身のフランス語の追伸は、欠けている世論の形成者としてのラッセルを讃えているが、シュワィツァー自身がその頃ドイツ民主共和国〔東ドイッ〕との友好的関係ゆえに非難されたが、ラッセルも共産主義者として非難されることを怖れなかったのである。