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往復書簡 n.10 (1962.06.27)
『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.24-26.

一九六二年六月二十七日
 ガボン、ラムバレネ 
 A.シュワイツァー 

 ウェールズ、メリオネス
 ペンリン・ペンドレス
 プラス・ペンリン
 ラッセル卿

 親しい友よ、
の画像  一九六二年六月二十日附のお手紙に心からお礼申上げます。イギリスの軍人がかくも軽率に核ボタンを押すことについて語ることができるとは、私には解せません。ただし世間で重要な地位にある人々のかくも愚かな話を世間の人が知るのはよいことです。私たちがどんな状況におかれているか、この偏狭な軍人の精神を通して知るために。
 かかる軽率に反対する九月九日のデモに参加するようにとのお招きに、残念ながら私は応じられません。私はヨーロッパヘゆくことができません。今年も〔病院の〕仕事のためヨーロッパゆきは諦めなければなりません。あなたとともに私も、核兵器反対の戦いは国際的にやるべきだと確信します。核兵器の廃止に関する交渉がすべて成果なしに終っているのは、この廃止を要求する国際的世論が存在しないからです。私がラムバレネから手紙や新聞の論説やアピールの形で行っている核兵器反対のすべての宣伝において、強力な世界的世論の必要を訴えています。あなたもよくご存知のように、この世論の台頭に対する西欧での大きな障害は、各国政府がこの世論の発生をはばみ、この意見に賛成するすべての人を共産主義者として疑う武器としているということです。この誹誇は、なんらかの仕方で〔政府に〕依存している者が恐れざるを得ない恐ろしい武器です。それだけに、いくらかでも依存してない人々は、この世論に賛成する勇気を示さねばなりません。議会はこの問題では信用がおけません。議会はまったく無定見になりましたし、その結果諸国民がおかれている大なる危険の問題にまったく無責任になりました。十五年前でしたら議会のかかる態度は、不可解なこととみなされたでしょう。今日ではそれが、何かしら現代に必要なものと受け入れられています。(注:右上イラスト出典:B. Russell's The Good Citizen's Alphabet, 1953.)
 残念ながら私は、過去数力月の間に私が書きましたものの英語訳は持っていません。私たちはけわしい前途を控えています。私たちを脅かす破局を前にして、なお終りまで辿る時間があるでしょうか。新聞もまたその責任を自覚していません。新聞には意見がなくて、ただ報道の態度を示すだけです。日本のある新聞が東京から核兵器について論文を求めてきたとき、私は、送った原稿にこんな題をつけました:「世論ぬきの原子核政治」と〔一九六二年一月一日付の朝日新聞〕。ぜひともまたお会いしたいものです! ロンドンの友人エーミル・メトラーのレストランにお越し下さったときのことを私はたのしく思い出します。あの家でのあなたと私の会談の写真があることはうれしいことです。当時私たちは、いつか重たい車をいっしょに曳いてゆかねばならぬとは、予想しませんでした。

どうかまだまだお達者でいて下さい、親しい友よ、心からあなたの アルベルト・シュワィツァー

(追伸)うっかりしてあなたにフランス語の代りにドイツ語で書いてしまいました。どうぞお許し下さい。
 シュワィツァーがラッセルのデモの招待に応ずることができなかったことは、彼が一九五八年以降もはやヨーロッバヘは帰らなかった事実からも説明される。彼が新しい国際的世論を起こす必要をとくに強調する態度は、五十年代以降の彼の政治的文章の到るところにみられる。