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往復書簡 n.7 (1961.09.02)
『シュワイツァー研究』n.11(シュワイツァー日本友の会、1982年9月)pp.17-19 所収

一九六一年九月二日
ガボン、ラムバレネ
A.シュワイツァー

 バートランド・ラッセル卿
 ロンドンN4グッドウィン通73番
 百人委員会(Committee of 100)気付


 拝啓、
 私はあなたが核武装に反対するためお企てになったことにつき、すべての事情を知りました。あなたが抗議の行進を組織なさるのは全く正しいと私は思います。行進は世界の人々を動かし始めるでしょう。
 私はトレヴァ・ハットン氏から手紙を受け取ったばかりですが、それは私にベルリーンの(壁の)ことで戦争に訴えないよう、東西の諸政府へあてた文章をあなたにとどけることを求めています。私はあなたと全く同意見です、ただあなたの方がこの文章を作って欲しいのです、なぜなら私の方はこの頃とても忙しく疲れていて、文章を作れませんし、それに私はべルリーン問題には全く精通していませんから。この問題で資料を集めることが私には容易でありませんし、ラムバレネでこの問題ついて誰かと話すこともできません。あなたが私よりもはるかによく起草することができると私は思います。もちろん私は他の人たちとともにそれに署名するでしょう。
 私の領分はむしろ軍縮の問題と平和の問題に専念することです。私はあなたがリードする戦いにいっしょにとどまります。
 しかしながら私は、ホウリ・ロッホ事件に関するあなた方の声明には署名すべきではないでしょうね。これはとりわけイギリスに関係する問題です。私のような外国人がイギリスの問題に関する文章に敢えて署名することは悪く取られかねないと、あなたは心配なさいませんか。どうぞ決めて下さい。ベルリーン問題に関する文章にはもちろん署名します。今年の秋は、そのつもりはありながらヨーロッパヘゆけないことを私は残念に思います。病院の前進のために私がせねばならぬ仕事のせいで、私はそれを諦めねばなりませんでした。私はイギリスヘもゆくつもりでしたし、あなたとの再会をたのしみにしていましたのに。

   よき思いをこめて  頓首  アルベルト・シュワィツァー



 シュワィツァーが賛意を表したラッセルの核兵器反対の抗議行動は、一九六〇年(松下注:一九六一年の間違い)二月十八日に非核武装のキャンペーンとしてホワイトホール通りの行進があり、それに新しい百人委員会が始めた航空省(→国防省)まえの坐り込みがつづいたが、ヒロシマの日(八月六日)にはトラファルガー広場にデモ行進あり、その結果ラッセルは起訴され、七日間拘留された。
 トレヴァ・ハットン氏の手紙に対する返事として、シュワィツァーは東西の強大国の政府あてにベルリン問題について戦争に進まぬよう訴える文章の起草をことわった、必要な資料を集めることがむつかしいというだけの理由で。それにも拘らずシュワィッァーは、ラッセルの書く文章や軍縮と平和に関する行動には署名する用意があると明言している。とくに当時の戦争の危機は、この手紙の書かれた半月前の八月十三日に造られたベルリーンの壁の結果であった。しかしながら「ホウリ・ロッホ」事件におけるラッセルの声明には、シュワィツァーは署名しようとしなかった。ホゥリ・ロッホは、スコットランド(グラスゴーの西)にあり、アメリカのポラリス潜水艦の基地が建設される筈で、この計画に対してもラッセルのトラファルガー・デモは抗議した(一九六一年二月十八日)。しかし、シュワィッァーは、これはイギリス国内の事件とみなし、外国人として証言しようと欲しなかった、その計画が核ミサイルの使用に関係あったけれども。