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「核の危機訴える科学者京都会議−15年ぶり7日に
『朝日新聞』1981年6月2日付夕刊第8面

* 「(第1回)科学者京都会議声明」(1963年)湯川秀樹「パクウオッシュ会議を目前にして」(『朝日新聞』1975)
* 伏見康治氏(ふしみ・こうじ,1909-2008.05.08):老衰のため2008年5月8日死去。東大理学部卒。量子統計力学専攻。阪大教授、名大プラズマ研究所長などを歴任し、1978〜1982年まで日本学術会議会長。また、1983年から参院議員を1期務めた。戦後、原子力の平和利用3原則「民主・自主・公開」を日本学術会議に提案、1955年に公布された原子力基本法に盛り込まれた。「世界平和アピール7人委員会」のメンバーとしても活躍(2008.05.10追記)


 病床の湯川氏が提唱、現状をふまえ声明も切実に

 核兵器をめぐる内外の危機的状況をみかねたノーベル物理学賞受賞者湯川秀樹博士(74、京大名誉教授)が病床から発起人となり、七日、京都市の御車会館(みくるまかいかん、右写真)で、第四回科学者京都会議を開くことになった。第三回会議以来、十五年ぶりの開催。物理学者の伏見康治名古屋大学名誉教授、評論家中野好夫氏ら、日本を代表する学者や文化人約二十五人が集まる予定で、会議後、核兵器の削減を求める声明を発表する。

 科学者京都会議は、昭和三十七年、湯川、朝永振一郎、坂田昌一各氏の提唱で第一回を京都・天竜寺で開き、「核兵器と軍縮」「世界平和と日本国憲法」をテーマにした。翌年広島県竹原市で第二回、昭和四十一年に東京で第三回を開き、それぞれに日本の代表的学者らが参加、核廃絶を訴えた。この動きが誘いとなり、昭和五十年には日本で初の「パグウォッシュ・シンポジウム」が京都で開かれた。が、この直前の五月、湯川博士は前立腺腫瘍で倒れ、以後、科学者(京都)会議は途絶えていた。
 湯川博士は五年余の闘病生活からやっと回復すると、ただちに昨年十一月、夫人スミさんと核兵器廃絶の署名運動を始めたが、これと同時に第四回会議の開催を計画した。
 会議は、「核兵器開発の現状」「国際政治の現状」「国内の軍事化の動きをめぐって」をテーマに討議する。出席者は、湯川、伏見、中野各氏のほか、京大基礎物理学研究所の牧二郎所長、日本学術会議副会長の岡倉古志郎(中央大学教授、国際関係論)ら二十五人が参加を表明している。
 今年二月から、湯川博士の意向を受け、事務局長として会議の準備を進めてきた名古屋大学の豊田利幸教授(物理学)は、「声明書草案を作ってから、米原子力潜水艦のあて逃げ、米艦隊のはえなわ切り、'ライシャワー発言'などが続き、事態は急激に変化している。声明文ももっと厳しいものになるだろう。」と話している。湯川博士は病状が回復したと言ってもなお定期的に通院生活を続けている。五月末にかぜをひき、こじらせているのが心配だ。しかし「なんとか会議には出席したい。」と、変わらぬ平和への熱意を述べている。