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一柳富夫「ラッセルの認識論」
『理想』1970年9月号、pp.16-25 掲載

* 一柳富夫(ICHIYANAGI Tomio:?〜1979)氏は当時、専修大学教員。


 序 ラッセル哲学の動機

 ラッセルは1959年につぎのように書いている。
「私の哲学の発展は……さまざまの段階に分けることができるであろう。ただひとつ常に心にかけて来たことがある。すなわち、われわれがどれだけのことを、またどの程度の確かさまたは疑わしさをもって知っているといえるか、を見出そうと、私は終始渇望していた。(1)
 ここには近代哲学の認識論的伝統が脈々として生きている。この意味で、ラッセルは、イギリスそのもののように近代市民精神の嫡出子であり、従ってまたイギリス経験論の遺産相続人でもある。端的には、彼はヒュームの後継ぎであるといえよう。しかも彼によれば、ヒュームは「18世紀合理性の破産を表わしている。(2)」 従って、彼の哲学の動機は決してヒュームのように「楽しみ(3)」といえるような幸福な(または無邪気な)ものではなかった。後継ぎは常に先代の知らぬ苦しみを苦しむものである。彼はヒュームの懐疑論に対する態度を批判してつぎのようにいう。
「彼は自分の懐疑に対して、彼が推賞する療法、"不注意と怠慢(carelessness and inattention)(4)"を適用している。ある意味で、彼の懐疑論は不誠実である。なぜなら彼は、それを実践においては主張することができないからである。にもかかわらずそれは、ある方向の行動が他の方向の行動よりもよいということを証明しようとするすべての努力を麻痺させるので、厄介なことになる。(5)
 ラッセルはヒュームのように理論と実践とを巧みに使い分けることに甘んじられなかった。彼は、ヴィクトリア時代の後半期に生を享け、歩一歩終焉に近づく同時代と共に成長し、その終焉と共に、矛盾に充ちた世界の中へと、哲学的活動を展開して行ったのであった。彼の生きた時代が多様性と矛盾に充ちたものであったと同様に、彼の哲学も絶えず多様性と矛盾を孕んでいたが、それにもかかわらず、終始一貫して彼が求めたものは、人間世界のそのような多様性と矛盾を超えて確実なもの、統一的なものであった。それは潜在意識的にみれば、あるいはほとんど記憶に残らぬ幼年時代に死別した両親の面影であったのかも知れないし、さらにはかつて永遠不動の繁栄を誇ったヴィクトリア王朝への見果てぬ夢であったのかも知れない。しかも、そのようなものが求めて得られぬものであることを彼は常に自覚していた。彼の90年にわたる精力的な哲学的営為の秘密はこの精神的緊張のうちに求めざるをえないであろう。彼は1943年に書いている。
「私の知的旅程はある点で失望的であった。若かりし頃、私は哲学の中に宗教的な満足を見出そうと望んだ。……私は崇敬の念をもって数学を考えた。……人間生活の外側にあって畏敬の感情に値いするようなあるもの、に鼓舞された情感に対してなんらかの理由づけを見つけようと、私は常に熱心に望んで来た。それは一方、星の輝く天空や岩だらけの海岸の嵐の海のように極めて明らさまなことであり、または人類の生活に比べた科学的宇宙の時空的な広大さのことであり、または非人格的な真理の体系、とくに数学の真理のように、たまたま存在する世界を単に記述するだけではない真理の体系のことである。人間より偉大な何物も認めない宗教をヒューマニズムから作ろうと試みる人びとは私の情感を充たしはしない。しかも私は、いままで知られたままの世界において、人間存在と、またズッと小さい程度において動物と、以外に価値ありとすることのできる何物かがあるとは信じられない。星の輝く天空そのものがではなくて、それを知覚する人間に及ぼすその作用こそが秀れた点なのである。その大きさのゆえに宇宙を讃美することは卑屈であり、馬鹿げている。非人格的、非人間的(impersonal non-human)真理は妄想であるように思われる。かくして、私の情感が激しく反逆するにもかかわらず、私の知性はヒューマニズムと行を共にする。この点において、"哲学の慰め"は、私のためにはない。(6)
 ここに、われわれはラッセルの基本態度を認めることができるのではなかろうか。ヒュームのように理解と実践とを使い分けることなく、人間の外側に立つ非人間的な真理のうちに確実なもの、統一的なものを求めようとする理論的要求と、人間のこの世的な営みのうちにのみ価値を認めざるをえない実践的要求との間の矛盾を絶えず感受しながら、その緊張のうちに生きている人間ラッセルの姿を認めることができるのではなかろうか。むしろ、彼の認識論も実践論も実はこの緊張の中から生み出されているとみられる。彼にとって、人間を超えた確実なものへの要求はほとんど全身的な、エモーショナルなものであった。(7)」にもかかわらず、真剣に生きれば生きるほど、彼の醒めた知性はこの現実の多様な人間世界に背を向けることを決して許さなかった。この意味で、非人間的な真理が「妄想」であると同様に、「確実性への要求は人間に自然ではあるが、しかしながら一つの知的悪徳である」と、後には断言せざるをえなかった(8)。しかし、どこまでも緊張のうちに生きる彼にとって、人間を超えた確実性に統一を断念することは、他方において、人間以外を認めようとしない人間中心的なヒューマニズムをも拒否することを意味していた。ここに彼の哲学の立場が考えられる。彼によれば、産業革命において発揮された機械力は、力への信仰を人間に斎した。第一に自然に対する力への信仰であり、第二に人間に対する力への信仰である。その結果、いかなる変化も不可能とは思われなくなり、自然は原料であり、また政治的な無力者も原料である。神と真理という概念は重要性を失い、表面的に保持されるに過ぎない。ラッセルはファシストやプラグマティストやマルキストのことを指しているのであり、このような風潮を「宇宙的非敬慶(cosmic impiety)(9)」と呼んで、現代哲学の課題をつぎのように設定している。「ほとんど無制限の力の展望と、そしてまた、力なき人びとの無感覚とに酔い痴れている人達に対処できる哲学を形作ることは、現代の最もさし迫った課題である。(10)」 以上のような文脈を踏まえて、あえて表現すれば、「非人間的真理を求めるヒューマニスト」――ラッセルの姿をこのように描き出すことができないであろうか。それは近代ヒューマニズムの伝統を受け継ぎつつ、内側からそれを超えようと試みる立場といえるであろう。そして彼の認識論も全くここに根拠をもっている。


(1)My Philosophical Development(1959), p.11.
(2)A History of Western Philosophy(1945), Unwin University Books, p.645.
(3)Hume; A Treatise of Human Nature, Book I, part IV, sec. vii.
(4)「理性と諸感覚の両方に関するこの懐疑論的な疑いは、決して根治することができないで……いつでも再発して来るに違いない病気である。...…不注意と怠慢だけが、われわれになんらかの療法となってくれることができる。この理由で、私は全くこの二つを頼りにしている」(Ibid., Book I, part iv. sec. ii) ラッセルはこの箇所をもっと長く引用している(A Historyof Western Philosophy, p.645.)
(5)Ibid., p.646.
(6)The Philosophy of B. Russell(1944),pp.19-20.
(7)A.ウッドによれば、1918年にラッセルはある手紙でつぎのように書いている。「私は死ぬ前に、私の中にある本質的なもの、しかもまだ一度も口にしたことのない本質的なもの、をいい表わすなんらかの方法を見つけ出さなければならない。――そのものは、愛や憎みや憐れみや侮りではなくて、生命の息吹きそのものであり、猛烈で遥か彼方から訪れ、非人間的なものの広大さと恐るべき非情の力とを人間の生命の中に齊すものである」。また40年後の1958年に至ってもつぎのように書いている。「私はヂンギスカンについて考えているよりも、アンドロメダ星雲について考えている方が幸福である。私はカントのように、星の輝く天空と同じ平面に道徳法則を置くことはできない。アイデアリズムと称する哲学の基礎にある、宇宙を人間化しようとする企図は、その真偽の問題とは全く別に、私にとって不快である」(My Philosophical Development, p.131.
(8)Unpopular Essays (1950), p.782.
(9)History of Western Philosophy, p.782.
(10)ibid., p.700

 2.問題の所在−ヒューム−

 F.べーコンに端的に示されているように、近代人は自然を無限に征服することによって、そこに彼等の帝国を打ち立てようと企てた。この強烈な自己意識は自然からの完全な独立を意味しているであろうが、逆に考えれば、いまや人間は自分自身の力によってしか生きてゆくことができない。ここに自分の力についての検討と反省が近代人にとって不可避的であった。近代認識論はこのような近代人の自己意識の所産であったが、そのことがまた近代認識論の性格を本質的に規定しており、ヒュームがその帰結であった。
 デカルトに典型的にみられるように、近代人の自己意識一切を対象化するが、自己そのものは対象化のこちら側にどこまでも残らざるをえない。ここに近代精神の論理的基本構造として主−客の図式が成立することになり、両項の結合の保証が求められることになる。この保証なしには、近代入の「力」は幻に過ぎないことになるであろう。しかし自己意識から出発する限り、主観はどんなに延長・拡大されようと、遂に客観に達することはできない。自己意識の内に入って来るものは、それ自身すでに自己意識の一部にほかならないからである。近代認識論のこのアポリアをヒュームは正確に見究めた。ラッセル自身の言葉をかりれば、ヒュームは「一つの袋小路(a dead end)(1)」を示している。しかしこの袋小路がなんらかの仕方で打開されなければ、人間の「知」は破産以外にないであろう。「ヒュームに対する解答が…もしないとすれば、正気と狂気との間になんら知的相違がない。自分を半熟玉子と信じている狂人は、単に少数派であるという根拠からだけ断じられることになる。(2)」 しかも彼以後のすべての反駁は、ラッセルによれば説得は成功していない。たとえばカントの場合、「彼の目覚めは一時的に過ぎなかったのであり、まもなく催眠剤を発明して再び盃ることができた。(3)」 カントは超越的な物自体を想定することによって、逆に主観の認識形式として感性形式や悟性形式を設定し、いわば「もし諸君がいつも青い眼鏡をかけているならば、諸君はすべてのものが青く見えることを確信できるだろう(4)」という形で落着した、とラッセルは批判するのである。しかも「カントは、精神が感覚の原料を……なぜ現にやっているように秩序づけて他のようには秩序づけないか、を説明することを必要とは少しも考えない。」なぜ、われわれは眼を口の上方に見て、下方には見ないのであろうか(5)。物自体としての眼や口は全くこれを説明できない。このような理由から、ラッセルによれば、カントはヒュームをさらに主観の方向に一歩押し進め、人間を宇宙の中心に置いたという意味においての限り、むしろ「プトレマイオス的反革命」について語るべきであった。「主観性は一つの悪徳である。(6)
 ラッセルによれば、ヒュームの懐疑論は、(a)認識のデータはすべて認識主観にとって私的である、(b)どんなに数多くあり、またどんなにうまく選び出しても、事実の問題は、他のいかなる事実の問題をも決して論理的に含まない、という二点から結果する(7)。そしてこの二点はラッセルにとっても不可避的である。この限り、彼は全くヒュームに服する。しかし「正気と狂気」とが区別され、われわれが現に信頼することによって生活を維持している科学的な一般法則が個別的な事実の観察からの帰納・一般化によって成立しているものとするならば、その帰納・一般化を許すような、なんらかの原理がなければならない。しかし、ラッセルによれば、それはいわゆる帰納法の原理ではない。帰納法そのものもそこから演繹されるような、より広い、より基本的な原理である。ヒュームの懐疑論そのものは帰納法の否定にあったが、これを克服する本質的な問題は、単に帰納法の可否にあるのでなくて、帰納法そのものをも基礎づけるような原理の確保にある。同じ帰納法という次元に立つ限り、既述のように、ラッセルにとってヒュームの帰結は不可避なのである。しかし彼によれば、いわゆる帰納的論証は常識の限界内に制限されるべきで、「科学的推理は論証不能な論理外的な諸論理(indemonstable extra-logical principles)を必要とするのに、帰納法はそのような原理の一つではない。(8)」 このような原理は分析的必然性をもたないが総合的な原理、つまりそれを偽としても自己矛盾ではないような原理であり、われわれの知識の前提の中には、事実からの推理を許す「一般命題」、または「一般法則」として、このような原理がいくつか、少なくとも一つ、はなければならない(9)。ラッセルはこの課題を蓋然的知識(probable knowledge)の基礎づけ、または非論証的推理(non-demonstrative inference)の基礎づけ、という形で引き受けようとする。


(1)A History of Western Philosophy, p.634.
(2)Ibid., p.646.
(3)Ibid., p.678.
(4)Ibid., p.680.
(5)Human Knowledge; its scope and limits(1948), p.9 またA.ウッドによれば「カントは私の気分を悪くした」とラッセルは語った。(My Philosophical Development, p.261)。なお、序の注(7)を参照。
(7)Human Knowledge, p.189.
(8)My Philosophical Development, p.191. より, Human Knowledge, pp.436-436.
(9)Ibid., pp.189-190.

 3.問題の展開−非論理的推理−

の画像  ラッセルの求める真理が「非人間的」であるのは、その真理を裏書きする「事実」が非人間的、人間の外側にある、ということにほかならない。では、いかにして人間は人間の外側にある事実に達することができるのであろうか。ヒュームに従えば、それは不可能であった。しかし、われわれが現実に科学的知識を信頼して生活しているとすれば、実践の問題としてこの信頼を基礎づけなければならない。この課題を回避して懐疑の中にとどまることは、ラッセルの見地からすれば、「軽薄な不誠実の要素」(1))をもっている。
 非論証的推理の基礎づけという彼の課題は、いかにして私的な知覚経験が公的な知識体系となることができるか、という形に具体化することができる。ところで前章でみたように、ヒュームの問題は、認識のデータはすべて私であるということ、個々の事実は論理的に他の事実を含みえないということにあった。従って、ラッセルの課題をさらに展開すれば、相互に私的なデータを結びつけて公的なものとし、相互に含みえない個的なデータを結びつけて体系的なものとするためには、どのような原理が前提されなければならないか、ということになるだろう。われわれは現にこのような結びつきの上に築かれた常識や科学を信頼して日常生活を営んでいる。この日常生活を肯定し、この日常生活を基礎づけること、これがラッセル認識論の地平なのである。
 「非人間的真理を求めるヒューマニスト」の認識論は、「事実」の問題がその非人間的側面を示し、「データ」の問題がその人間的側面を示しており、両者の間のある関係において「真理」が成立する。

 イ.事実
   ラッセルにとって事実は人間の外側にあるもの、人聞からは独立なものであった。それは、なによりもまず、「世界の中にあるすべてのこと」であり、いわばむき出しの裸のままのものであって、「直示的に(ostensively)」しか定義されえないものである。「直示的定義」とは言語機能の最も原初的な段階にみられるように、「他の言葉を使うこと以外の仕方で、一つの言葉を理解するように教えられるなんらかの過程」である。このようなものとしての事実は「誰かがそれが存在すると考えようと、考えまいと、存在する或物(2)」であり、常識的にも、大抵の事実はわれわれの意志からも生存からも独立している。われわれの認識活動全体が、生物学的にみれば、このような事実に対するすべての生物の適応過程の一段階にほかならない。従って、単なる動物的行動と知識との間に精密な区別を立てることは不可能である。(3)

 ロ.信念
   事実が人間の外側にあるとすれば、信念(belief)は人間の内側にあって、認識活動の主体的契機を形成する。ヒュームによって、私的と断定された'データ'とは、ラッセルによれば、「それ以外の理由を挙げることのできない信念」のことであり、認識にとって「不可欠な最少限の前提」である。しかし他方、信念は本質的に曖昧さを免れない。それは「アメーバーからホモ・サピエンスに至る」すべての生物の間の「精神的発達の連続性」によるのであり、動物的行動と知識との間の精密な区別が示されえないのも、この理由による。このような観点から、ラッセルは、信念を「知性以前でありえ、動物の行動において発揮されうる或物」として扱おうとする。従って、それは肉体的要因と精神的要因の区別を切り捨てられた「有機体の一つの状態(a state of an organism)」であり、「感覚的に現存しない或物との関連において動物が行動する……状態」である。(4)
 ところで、「感覚的に現存しない或物との連関において」ということは、信念が常に「……に対する信念」として「或物」を予想していることを意味する。ラッセルの用語に従えば「対外引照(external reference)(5)」をもっている。しかし信念について特徴的なことは、その或物が「感覚的に現存していない」という点でなければならない。まさに信念とは、感覚的に与えられていない、現存していないにもかかわらず、この欠如を飛躍してその存在を信じることである。従って、この欠如を飛躍する仕方、または欠如を補充する仕方、によって信念の種類が分れて来るであろう。ラッセルは不完全な分類であると断わりつつ、5種の信念を挙げている。(1)動物的推理によって感覚を補充することに成立する信念、(2)記憶、(3)期待、(4)証言によって無反省に生み出された信念、(5)意識的推理から生み出された信念、である。ところで欠如を飛躍するところに生じるものは感情であり、従って感情の相違が信念の種類を構成することをラッセルは指摘している。少なくとも知覚と記憶と期待はその中に含まれる感情の種類が違うのであり、これらを一括して信念の契機に包含せざるをえない以上、「信じている状態 state of believing」と「認識している状態 cognate state」とは鋭い分離が不可能であるとする。このように信念は曖昧さを免れない本質をもっており、ラッセルは曖昧さをそのままに受け入れようとする。しかし、われわれはここで、信念と感情の結合という、信念の一般的性格に注目する必要がある。この点を通して信念と想像力の関係に注目する必要があるからである。或物の感覚的現存の欠如を飛躍・補充するのは、カントの定義(6)にもあるように、想像力にほかならない。認識活動の分析において信念に到達することは、認識活動の主体的契機として想像力の問題があることを示すものにほかならないであろう。(7)

 ハ.真理
   とは、一つの信念と、その信念以外の一つまたはいくつかの事実との間のある関係において成立し、この関係がないとき、その信念は偽である。つまり、真偽は、ある信念に対してその対外引照としての事実が存在するかどうかによって決まるのであり、この事実がその信念の検証者(verifyer)である。ラッセルは、この真偽の区別を、配偶者をもっている人妻と、もっていない未婚女性の区別になぞらえてさえいる。従って、信念またはその信念の陳述としての命題と、その検証者としての事実との間の関係が、いかにして成立するかということが根本問題である。人間の内側にある信念と外側にある事実とは、いかにして「ある関係」に入ることができるのであろうか
 この関係は、信念の種類に従って一様ではありえないが、根本的な問題は感覚とイメージの関係、ヒュームでいえば印象と観念の関係である。ラッセルはこれを「イメージまたは観念の対外引照と信念」という形で考え、基本的には信念の側に問題を落着させている。さて、AがBのイメージまたは観念であるといえるための感覚的条件としてラッセルは、三条件を挙げる。

 (1)両者は類似していなければならない。もし複合物であるならば、'構造の類似'がなければならない。
 (2)BはAを惹き起す際に一定の役割を務めなければならない。
 (3)AとBは一定の作用を共通にもたなければならない。

 このような三条件がAとBとの間に感覚的に成立するとき、ラッセルはBはAの「原型(prototype)」であるといい、逆にAはB(of)イメージまたは観念であるという。つまり、右の三条件から「これは原型をもっている」という言葉で表現されうる信念が「有機体の状態」として成立するのであり、この信念において、あるイメージまたは観念の対外引照が成立することになる。このように対外引照の分析を通して明らかにされた「」関係によって、ラッセルは人間の内側と外側の結びつきの問題を一つの対応関係という形に把え直してゆくのである。常に「…への信念」として対外引照をもつ信念の真偽も、ちょうど観念に対する原型のように、その信念に対して事実が対応しているかどうか、という形で決定されることになる。その最も単純な場合として、ラッセルはつぎのような例を挙げる(8)。よく知っている部屋を思い描き、視覚のイメージの中に四つの椅子に囲まれた一つのテーブルがあるとする。そしてその部屋に入って、そのテーブルと四つの椅子を見るならば、その見られたものは心の中に想像されたものの検証者である。つまり信念を伴った記憶イメージはそれを検証した知覚と密接で明白な対応をもっていたことになるわけである。実際には、対応関係はこの例のように単純な場合は少ないわけであるが、原則的には変らないとして、この真理理論をラッセルは「一つの対応論(a correspondence theory)」(松下注:真理対応説)と呼んでいる。(9)

 ニ.知識
   ラッセルにとって認識活動の担い手である信念そのものが本質的に曖昧さを免れなかった以上、知識という概念にも不可避的な曖昧さ不精密さがある。それは信念の曖昧さにおいて示されたように、すべての生物の間の「精神的発達の連続性」のためである。この意味で、知識は「程度の問題」であると彼は絶えず繰り返し、従来の認識論の重大な誤謬はこの事実を見落したことによる、と考える。
 知識は真なる信念の部分集合である。つまり逆に考えれば、知識でない真なる信念が存在する。たとえば、宝くじが当ることを信じて、実際に当ったとしても、それを知識とはいえない。では、信念が知識であるためには、真である以外にどんな特性が必要であろうか。ここでラッセルは、まず動物の習慣に着目する。動物は生得の諸性質と共に、習慣を形作る能力によって環境に適応し、環境の諸事実と一定の調和を保って生きている。このような習慣は、世界の中にある種の一様性がありそれに対応することによってはじめて有用となるのであろう。このような'一様性'は諸事実間につながりをつけるようなある種の一般性である。もちろん、それは例外がないという意味でなく、大多数の場合に真であるから、個々の場合にも、その反証がない限り高い信頼度をもっているというに過ぎない。このような一般化の上にわれわれの日常生活は営まれており、このような一般化に対する信念を実際に形作っているのは「一つの精神的習慣」であるとラッセルは考える。
 一般化の上に日常生活が営まれているということは、一般化に基づいた推理の積み重ねによって日常生活が遂行されているということにほかならない。従って、推理の起源も習慣にあり、その原初的な形は「動物的推理」である。ラッセルは、これを「感覚が自然発生的に解釈を行なう過程」と説明している。そしてこれが科学の出発点でもある。ただ、動物的推理の場合には、知覚Aが観念Bを惹き起しても、両者の結びつきが意識されていないのに対して、科学的推理の場合には、AとBの両方を含んだ信念がある。要するに、'両推理の相違'はAとBの結びつきを表現するだけの一つの信念が生起することである。ただし、このような信念も、基本的には動物的推理の習慣が先行することを、ラッセルは繰り返し注意している。

 ホ.要請
   ヒュームの帰結を免れる唯一の道としての総合的・論理外的・論証不能な一般命題の前提は、科学的知識に基づいたわれわれの日常生活の営みのためには、いまや不可欠の条件のように思われる。ラッセルは、以上のような知識観に基づいて五つの要請を提示する。
 (i)「準永続性の要請(the postulate of quasi-permanence)」: この要請は「人」や「物」のような日常的概念を「実体」を含まない仕方で置きかえることができるとされ、つぎのように言明される。「任意の事象Aが与えられると、Aの附近のあらゆる時点において、Aと極めて相似した一つの事象がAの附近のある場所に存在する、ということが非常にしばしば起る。」
 (ii)「因果の線の分離可能の要請(the postulate of separable causal lines)」: これは最も重要な要請であり、これによって部分的な知識から部分的な蓋然的推理が可能となるとされ、つぎのように言明される。「諸事象からなるある系列を作り、その系列中の一つまたは二つの部分(事象)から、他のすべての部分(事象)について、なにかが推理されるようにする、ということがしばしば可能である。」
  (iii)「空間的時間的連続性の要請(the postulate of spatio-temporal continuity):  これは「遠隔作用」を否定し、近接していない二つの事象の間に因果関係がある場合、その因果の線に中間項がなければならないということであり、たとえば、物理的対象は知覚されない場合でも存在することの推理を可能にする。   (iv)「構造的要請(the structural postulate)」: これは、いわば第三の要請による推理を多数同時に併立させたようなもので、つぎのように言明される。「構造上相似な多数の複雑な事象が、あまり離れていない諸領域において、一つの中心の周りに列んでいるとき、それらすべての事象は、その中心にある同じ構造の事象に起源をもつ因果の線に属するのが普通である。」
 (v)「類推の要請(the postulate of analogy)」: これは、いわば以上のような因果の線が成立しないとみられる事象の間に推理を可能にするもので、最も重要な機能は、他人の心の存在を理由づけることであるとされ、つぎのように言明される。「事象の二つの集合AとBが与えられ、そしてAとBの両方が観察できる場合、AがBの原因であると信じられる理由があるならば、ある与えられた場合に、Aは観察されるが、Bが生起するかどうかを観察する手段がないとしても、Bが生起することはありそうである。またBは観察されるが、Aの現存または欠如が観察されない場合も同様である。」
 これらの要請に基づいて導き出される帰結は、あくまでも経験によって立証可能であるが、ラッセルは、これらの要請を科学的認識が成立するための先天的必然的条件として主張するのではない。これらは単なる「科学的仮説(10)」として提示されるにとどまり、これらは「ある事が通例として当てはまる」といっているに過ぎないとする。事実から事実への推理は、「もし世界が論理的に必然的ではないある諸特徴をもつならば」、正当でありうるに過ぎないのであり、これらの要請はこのような諸特徴を示しているのにほかならない。もはや、それは経験によって知られえない。ここに経験論の限界があることをラッセルは確認している。彼は『人間の知識』(Human Knowledge)をつぎの言葉で結んでいる。
「実際、われわれが経験論の中に見出すと思われていたような不充分さは、経験論哲学が息を吹き込まれた理説を厳格に固守することによって発見されたのである。その理説とは、人間のあらゆる知識は不確実で不精密で部分的であるという説である。この理説に対しては、われわれはおよそなんらの制限をも見出さなかった。」
 彼の認識論は、経験論自身による経験論の限界の自己認識にほかならなかったといえるであろう。(了)


 
(1)Human Knowledge, p.9. なお、ラッセルの認識論の理論的基礎づけは An Inquiry into Meaning and Truth(1940)において遂行され、さらに Human Knowledge; its scope and limits(1948) において、一般の哲学読者を対象に通俗的な形で敷衍して書かれた。以下本章の資料は、とくに注のない限り、後書によっている。
(2)実在(reality, the real)を強調するC.S.パースはつぎのように実在を定義する。「その特徴が、誰かがなんと考えるかには依存しないようなものを the real と定義できよう」(5.405)。このようなものとしての実在が、われわれの行為や思考を一定の方向に運命づけるのであり、このようにして「運命づけられた意見」が真理にほかならない(5.407)。パースの「実在」とラッセルの「事実」は区別されなければならないが、いわゆる新実在論の基本構造を探り出すと同時にパースとラッセルの相違をも探り出す一つの手掛りを筆者はここに見たい。
(3)ラッセルはジェームズやデューイのプラグマティズムの認識論を極めて強く批判するが、認識活動の基礎づけに関しては、彼自身も認めているように、進化論的プラグマティスト理論に立っているとみてよい。
(4)パースも信念を認識活動の基本要因として強調する。具体的な事態としてはパースの定義もラッセルのそれも大差ないとみられる(5.12)。
(5)それ自身以外の或物を指すこと。従って「対外」ということは、必ずしも主観の経験の外ばかりを意味しない。精神活動の一部が他の一部を指すことも含まれている。
(6)「想像力とは、ある事象を、それが現存しなくとも直観において表象する能力である。」(B-151〕。
(7)信念を強調したヒュームが、同時に想像力を力説したことは周知の通りである。
(8)My Philosophical Development, p.188.
(9)Ibid., p.189. なお、パースの理論も一種の対応説とみられよう。ただ、彼の場合は、注(2)で述べたように「事実」に対応するのではなく、「実在」に対応する(5.384)。
(10)Ibid.p.262 注。