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岩松繁俊(著)『平和への告発-バートランド・ラッセルとナガサキ』(新装版への)あとがき

* 出典:岩松繁俊(著)『平和への告発-バートランド・ラッセルとナガサキ』(精文館, 1971年7月25日刊 13+248pp. 19cm.)
* 岩松繁俊氏略歴
* 本書は、1971年7月に出版されたものの新装版。「あとがき」は、最後の22行(「1975年4月30日」以下:太字部分)が追記されている(その他は同文)。

あとがき

 ラッセルは、その1世紀におよぶ長い生涯の最後に、その学問、思想、愛、解放闘争に没入した全生涯を総括する膨大な『自叙伝』全3巻を執筆した。百歳になんなんとするひとが、その全生涯を、その生涯の最後にいたって、みずから総括するということは、史上、いまだかつて、だれもなしえたかったことである。
 この貴重な『自叙伝』は、かれのあとに生きのこるわれわれにとって、このうえなく重要な人類の遺産であり、「良心」の遺言である、というべきであろう。
 ラッセルは、この『自叙伝』を執筆しながら、みずからの死のちかいことを痛感したのであろう。その「第3巻への序文」で、かれは、つぎのように書いている。
「本書は、今日、世界を2分している大問題が解決しないうちに、出版されることであろう。そのときまで、そしてちかい将来まで、世界は不確かであるにちがいない。世界は、そのときまで、希望と恐怖とのあいだをさまよっているにちがいない。
 問題が解決するまえにわたしは多分死ぬであろう――わたしの最後の言葉が、つぎのいずれであるべきか、わたしにはわからない。すなわち、

 ひかり輝く日は破滅し
 われわれは暗黒にむかっている


というべきか、それとも、わたし自身ときどき希望したことであるが、

 世界の偉大な時代があたらしくはじまり 黄金の年がふたたびめぐり……
 天はほほえみ信仰と神の国とがかすかに輝く
 うたかたの夢の名残りのごとくに


というべきか、わからない。希望と恐怖の均衡を、希望の側にかたむけるべく、わたしの小さな重みをくわえる努力をできるかぎりつくしてきた。しかし、それは、巨大なちからのまえには、とるにたりない努力であった。
 わたしの世代が失敗したことを、つぎの世代が成功するように」(B. Russell, The Autobiography of B. Russell, v.3: 1944-1967, p.9)

ラッセル著書解題
 まことに、この世界は、破滅への道をあゆみつつあるのか、希望の道をのぼりつつあるのか、さだかではない。ラッセルは、希望に輝く世界のために、その偉大な全精力をかたむけつくしてきたが、それでも、かれは、じつに謙虚に、自己のちからが「とるにたりない」ものであった、と自己評価する。そして、あとに生きのこるひとびとにたいして、その平和と希望への努力の成功を念願してやまない。
 ラッセルのちからの何百分の一、何千分の一にもみたないわれわれのちからをもって、かれがなしえなかった大問題の解決(「人類の解放」)を、いったい、どうやって可能ならしめることができるのだろうか。ひとりひとりが脆弱である以上、のこされた道はただひとつしかない。ひとりひとりの弱々しいちからを、ひとつに結びあわせ、よりあわせることである。

 ラッセルの死後、アメリカ帝国主義のヴェトナム侵略は、より凶暴化し、インドシナ全域に侵略を拡大した。シアヌーク国家元首を追放したカンボジアのロン・ヌル政権は、1970年4月9日以後、ヴェトナム人にたいして言語に絶する大量虐殺をつづけ、メコン川は、無残に虐殺されたヴェトナムのひとびとの血で赤くそめられた。世界の非難におされて、アメリカ政府は、インドシナでの侵略を縮小するかのごとくにみせかけつつ、アジア人を欺瞞する論理をもって、アジア人同士をたたかわせようとする、いわゆる「アジア化」政策をすすめている。わが国が、アメリカ帝国主義のアジアにおける最先兵として、この「アジア化」政策に奉仕し、憲法を無視し、軍国主義を復活・強化しつつあることは、日米共同声明、日米安保条約の自動延長、自衛隊の防衛力急増(四次防計画)、日本の基地からのインドシナ侵略強化、ニクソン・ドクトリンヘの協力肩代り、ごまかしの沖縄返還協定、中国・北朝鮮敵視政策などによって、明確である。他方、世界人民のアメリカ帝国主義およびその手先・かいらいにたいする闘争は、日々、いたるところで展開されている(アメリカ国内においてさえ、しかもヴェトナム帰還兵士も参加して)。
 ラッセルなきあとの「バートランド・ラッセル平和財団」も、抗議声明、署名運動、あるいは「ザ・スポークスマン」の定期的発行という形で、可能なかぎりのちからを結集しつつ、反帝・解放闘争を展開している。
 ファーレーは、1970年4月14日付の書簡において、ボリビア独裁政権に逮捕・拘留されている多数の「政治囚」の即時釈放を訴える署名運動に協力してほしい、と申しいれてきた。
 また、カンボジアにたいするアメリカの侵略とロン・ヌルかいらい政権の大量虐殺にたいして、強い抗議の表明をおこなったのはもちろん、また、1971年5月1日のメーデーには、カンボジア人民とシアヌーク殿下の合法政府とを支持し、アメリカ侵略軍とCIAの陰謀とに抵抗するためのアピールを、全世界からの署名をあつめて、発表した。

 われわれは、ラッセルなきあとの大きな「空白」をうめることはできないが、不完全ではあれ、偉大な「良心」ラッセルの平和への告発にまなびつつ、その空白をすこしでもうめようと努力することによって、ラッセルが念願した「成功」を、ひとつひとつかちとっていかなければならないであろう。それが、われわれ、現在に生きるものの人類にたいする義務である。

(以下は、新装版で加筆された部分)

 1975年4月30日。この日、ついに、世界最強の軍事力を誇るアメリカ帝国主義は敗北し、ヴェトナムから完全に撤退した。5万5千人余のアメリカ人の生命と1500億ドルの戦費を濫費して、ヴェトナム人民を虐殺し、抑圧した数10年を、フォード大統領は「アメリカの経験の1章は終った」という声明でごまかさざるをえなかった。
 アメリカ帝国主義の戦争犯罪を非難し、糾弾して、その死の床まできびしいたたかいをやめなかったラッセルが、この日のヴェトナム人民の勝利を知ったならば、どんなによろこんだことであろう。世界人民にとって、平和と独立とへの希望の道がひらけてきた証拠ともいうべきであろう。
 しかし、希望の道はけっして平坦ではない。おいつめられて危機感をふかめた帝国主義勢力は、その本質をみずからばくろしつつ、政治的支配と経済的搾取とに狂奔して恥じない。
 ラッセルの告発にまなびつつ、平和をきずくために努力するものの義務は尊く、その責任は重い。

 いま、イギリスで、ラッセル平和財団は、とりつぶしの危機に直面している。アメリカのヴェトナムでの戦争犯罪をさばく裁判のために、ラッセルがよせた寄付金にたいし、いまとなって、不当にも過重な追徴税を課し、また、地方議会は、財団の印刷工場と事務所をとりこわすべき強制買上命令を決定した。世界中の友人たちのラッセル平和財団へのつよい支持が待望されている。ラッセル平和財団は、2年まえ、ロンドンからノッティンガムヘ完全に移転した。住所は、つぎのとおりである。

 Bertrand Russell Peace Foundation Ltd.,
 Bertrand Russell House,
 Gamble Street, Nottingham NG7
 4 ET, England