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バートランド・ラッセル関係者の訃報 - 「平和運動貫いた哲学者、谷川徹三さん死去」

* 出典:『朝日新聞』1989年9月27日夕刊第1面



 文学、美術など幅広い領域にわたって深い知見を示す評論活動を続け、国家主権を超える「人類主権」の立場から、粘り強い平和運動を貫いてきた哲学者・芸術院会員(松下注:ラッセル協会第二代会長)の谷川徹三氏(たにかわ・てつぞう)が(1989年)二十七日午前五時四十二分、虚血性心不全のため、東京都杉並区成田東四ノ一六ノ三の自宅で死去した。九十四歳だった。葬儀・告別武の日取りは未定。喪主は・長男の詩人、谷川俊太郎氏。(19面に関係記事)

 二十七日早朝、急を聞いて谷川さん方に駆けつけた作家の阿川弘之さんによると、谷川さんは前日、東京・日本橋の三越で開かれている日本伝統工芸展の授賞式に、運営委員長として出席するために外出。午後六時半ごろ帰宅し、軽い食事のあと、ふだん通り午前一時ごろ床についた。同三時ごろ家人が異常に気がついた。

 明治二十八年(一八九五)、愛知県常滑市生まれ。旧制一高に進み、親鸞の「歎異抄」などに親しんだ。西田哲学にひかれ京大哲学科を卒業、昭和三年、法政大文学部教授。和辻哲郎、林達夫氏と雑誌「思想」(岩波書店)の編集に当たった。関心、教養の幅は広く、古今東西の哲学、思想、芸術を語り、柳宗悦らの民芸運動、宮沢賢治の文学、古代文化などにも優れた洞察を示している。三十七年、法政大総長、四十五年に退職。五十年、芸術院会員に選ばれた。「東洋と西洋」「生の哲学」「宮沢賢治の世界」「茶の美学」など著書は多い。
 均衡を失わない透徹した視線で多様な思想、事物を見据えていこうとする姿勢は、一方で平和運動との積極的なかかわりを貫かせてもいる。戦後、バートランド・ラッセルらの「世界政府」思想に共感し、人類への忠誠を国家へのそれよりも優先させなければ平和は望めないとする「人類主権」を提唱、「世界連邦政府運動のための世界運動」の国際大会や、核廃絶と平和を訴える「科学者京都会議」などに熱心に参加してきた。
 書斎型教養人の枠内にとどまらない行動規範の持ち主でもあった。胃かいよう喉頭(こうとう)ガンなどに襲われ、必ずしも健康に恵まれてはいなかったが、五十九年六月の第五回科学者京都会議にも、かくしゃくとした姿を見せ、随想などにも(以下新聞クリッピングミスでわからず、→多分、)健筆をふるった。