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バートランド・ラッセル『人生についての断章』訳者(中野好之)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),中野好之・太田喜一郎(共訳)『人生についての断章』(みすず書房,1979年2月 249pp.)
* 原著:Mortal and Others; American Essays 1931-1935, v.1: ed. by Harry Ruja, London; George Allen & Unwin Ltd., 1975 )

訳者あとがき

 本書は Mortals and Others, B. Russell's American Essays 1931-1935, v.1(London; George Allen & Unwin Ltd., 1975)の翻訳である。1930年代のアメリカの新聞ヘラッセルが寄稿した経緯と、それが最近はじめて発掘され、全2巻より成るこの書に編集されて、公刊されるに至った趣意は、本訳書の冒頭に、編集者自身によって要領よく記されている通りである。今から40年前、アメリカ合衆国の新聞読者層にとって身近であった政治的社会的な時局のトピックに具体的に触れる中で、余すところなく発揮されたラッセルの時代への的確な診断、彼の鋭敏な知性とそのヴォルテール流の生き生きした文体は、それの持つ時と場所の距離をいささかも感じさせない。日本語訳の題名は、今日のわが国の読者にもこの新鮮な現実感を間違いなく与えるだろうという確信にもとづいて、多少とも気軽に手に取りやすいよう、原題の直訳を断念して付けてある。事実、わが国の主要な新聞においても、従来久しく主筆や論説主幹が担当するコラム欄は、その筆者に応じて、あるいは犀利な社会風俗の批判の形を取ったり、あるいは季節に応じて花鳥風月に感慨を托するなどの特徴を備えることによって、単にその新聞の個性を象徴してきただけでなく、広く随想と称される文学のジャンルの中でも、読者に親しみやすい人気を得てきたことを、だれもが知っている。

 私見によれば、ラッセルの秀逸なウィットや皮肉がわれわれを深く楽しませてやまぬ事実は、改めて言うまでもないとして、このアメリカン・エッセイがわれわれに与える並々ならず(ぬ)迫真的な現実感は、およそ2つの理由にもとづくように思われる。その第1は、この時期のアメリカの社会状況が提出していたさまざまの問題が、その後の世界における文明の病弊の深刻化の過程に照らして帯びた意味の普遍的な性格である。その第2は、現代の文明、つまり普通に高度産業社会といわれる政治的経済的な状況がはらむ由々しい危機を、このように明確に歴史の過程で先取りすることをラッセルに可能にした、彼の「愚民大衆の尻馬に乗って、悪に助勢するなかれ」という一生を通じてのモットーが、現在のわが国の社会全般ではもちろんのこと、言論界ですら、真面目にせめて建前としてでも通用するのか、と疑わずにはおられないほど、極限まで亢進(こうしん)した風俗、生活、思考の画一的な大勢順応の現状である。(上挿絵:1984年5月20日、荻窪の松下宅で開催された、第47回「ラッセルを読む会」の案内状イラスト)

 従来バートランド・ラッセルは、記号論理学の発展過程での金字塔と言われる『数学原理(プリンキピア・マテマティカ)』全3巻を代表とする論理学者、分析哲学者として専門家研究者の間で著名である以外に、社会改革家および平和運動家として広く世間に知られてきた。ただ彼が晩年、その最後まで老いの情熱を傾けた水素爆弾廃絶やキューバ危機回避のための努力は、彼がすでに亡き今日では、少くとも新聞の社会面を賑わせることはなくなり、具体的な社会政治の問題を論じた著作を通じて、その叡知に接するにすぎない現状になったし、また論理学の面での彼の名声も、『数学原理』の刊行後10年目に世に現れたウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のことさらに刺戟的挑戦的に書かれたアフォリズム形式の断案が与えた強烈な魔力によって、わが国ではもちろん彼の本国の若い哲学の学徒の間でも、往年の輝きを失ったことは確かである。今日のわが国でラッセルの著作が比較的手近に読まれるのは、英語の教科書で他律的に読まされるエッセイの類を別にすれば、おそらく『西洋哲学史』(市井三郎訳)や『西洋の知恵(図説西洋哲学史)(東宮隆訳)ではないかと思われる。なお付言すれば、ラッセルの個性が鮮やかに現われているこのユニークな哲学史の教科書は、その最もまとまったアメリカ滞在の期間中、彼がニューヨーク州立大学への就任を、宗教と道徳を否認するプロパガンダの徒として、アメリカの保守的階層の魔女狩りの槍玉に上げられ拒否されて以後、ペンシルヴェニアのある財団(松下注:絵画の収集で有名な'バーンズ財団')の後援で行なわれた公開講座の中で成立した。このことは記憶されてよいであろう。
 ラッセルが標榜した論理実証主義の哲学は、彼自身の言葉によれば、「真理についての科学的忠実さという美徳」をこの学問分野に導入する方法を考案し定式化するものであった。従来さまざまな哲学者によって唱導された主義主張は、あるいは経験的事実によっては検証しえぬ領域に属する空語として拒否され、あるいは単に主観的な信条に任ねらるべきものとして、その学問領域から排除されるが、究極的価値の問題にかかわる信念ないし感情に関することがらは、あくまでもこの種の科学的哲学の領域外に厳として存在する。社会間題についての彼の考察と実際運動は、徹頭徹尾この種の明晰な哲学上の認識にもとづくものである。彼が語の卑俗な意味での「社会評論家」から最も遠い存在であったという簡単な事実は、この本に収められた短い文章を読み進んで行くだけで十分に分る。分析哲学者という建前で彼は、いかに生くべきかの倫理的な価値判断を停止したどころか、逆に実存主義の論者が好んで口にする社会へのアンガージュマンを、一見奇矯とも見えるまでに実行した人物であった。
 案外こういう面が、日本のインテリに幾分なじまぬところかもしれない。
 なお、翻訳は2名の訳者の分担による。前半は太田、後半は中野の手に成り、文体の統一その他は中野の任である。 1979年2月 中野記