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バートランド・ラッセル(著),日高一輝(訳)『ヴェトナムの戦争犯罪』
(河出書房,1967年11月 328pp. 河出ワールド・ブックスn.16)

(原著:War Crimes in Vietnam, 1967)

あとがき:国際戦争犯罪法廷(B.ラッセル)
POSTSCRIPT: The International War Crimes Tribunal

 本書(の印刷原稿)は、1966年秋に印刷所に送られた。ちょうどわたくしが、この中で述べているような国際戦争犯罪法廷を準備していた最中である。かつてニュールンベルグ戦争犯罪裁判において、その首席検事をつとめていた米国最高裁判所のジャクソン判事がこう言明した――


「ある特定の行為や条約違反が犯罪であるとするならば、それをアメリカ合衆国が行おうと、ドイツが行おうと、等しく犯罪です。他に対する犯罪行為のなかで、われわれに対して起こされたくないと思うような行為だけを犯罪として規定するようなことはいたしません」


 しかしながら、ニュールンベルグ裁判の性質と、ジャクソン判事の役割には、たがいに矛盾する要素が、その中に深く根をおろして併存していた。ニュールンベルグ裁判は、勝者が敗者を裁くという裁判であった。ニュールンベルグ裁判は、(理想からではなく)現実政策の立場から連合した列強国が行ったものである。しかも、不可抗力条項という合法主義(法律尊重主義)を通して、人間性を求める声、すなわち、ナチスのあの恐ろしく、不当な犯罪行為に抗議する叫び声を、徐々に変形させてしまった。

 わたくしは、国際戦争犯罪法廷を1967年に開廷するよう要請している。それは、またもや重大な犯罪が行なわれたからである。これは特に銘記されなければならないことであるが、われわれのこの法廷は、いかなる国家権力をも要請していない。戦勝軍に支えられているのでもない。ただ単に、道義上の権威を主張しているだけである。

 1つの巨大な工業国が、長い間、1つの小さな(国民の大部分が小作人である)農業国を攻撃してきたのである。ヴェトナムの革命も、ヴェトナムの歴史的な発展の一部であり、それは、搾取され、飢えに苦しむ民衆が、人間生存のために必要な基本的な要件を求めているのである。アメリカ合衆国は、ヴェトナム民衆のこの生きんがための闘いを、残忍な力で圧えつけてしまう決意を示した。アメリカ当局の発表による、週平均650回の出撃が行われ、300万ポンドの爆弾が毎日北ヴェトナムに投下されてきたという事実を我々は知っている。第2次世界大戦と朝鮮戦争の間に使われた総トン数をはるかに上まわる爆弾が投入された。さらにそれに加えて、米陸軍は、化学毒物、毒ガス、ナパーム弾、燐爆弾、レイズィ・ドッグという破砕兵器、細菌兵器といったような実験兵器を使ってきたのである。
(下写真:『ヴェトナムの戦争犯罪』邦訳書口絵より)



 このような事実は、西洋において、映画、テレビ、それからほとんど毎日のように新聞紙上にあらわれているのに、それでも気がつかなかったという人間がいるだろうか。われわれのあいだで、その写真を見なかったり、その統計を読まなかったりしたものがいるであろうか。
 民族自決と社会改造のため、信じがたいほどたくましく闘っているこのヴェトナム人の闘いの性格が、羊飼いダビテがペリシテの巨人ゴリアテを殺したあの闘いの性格と同じであることを、誰が否定することができようか。
 このような自覚こそが、わたくしが戦争犯罪法廷を招請した正しい背景となっているのである。わたくしは、この「法廷」の構成メンバーとして招聘されている人々が、この戦争について、何の意見ももっていないなどとは思わない。それどころか逆に、これらの人々は、ヴェトナムにおけるアメリカの行動を徹底的にまた決定的に評価するために、良心の「法廷」に参加することを自分たちの道義的責務であると感じている。それはまさに、恐ろしい犯罪行為が行なわれてきたことを、確信しているからである。わたくしは、偏見がないということと、無知であるということを取り違えたことはない。また、正しくあるためには、信念をもってはならないなどというふうに信じたこともないこの「法廷」の権威と、それが正しい裁判であるという評価は、まさに、それを構成しているメンバーの性格と、その審理手続の正しさにかかっている


 国際戦争犯罪法廷は、1966年11月13日にロンドンで招集され(右写真参照:『ヴェトナムの戦争犯罪』邦訳書口絵より)、法廷の構成、法廷の目的をのべた声明及び、日程が発表される予定であり、おおよそ次の5つの領域において(犯罪を立証する)証拠を準備するため、法廷によって委員会が設置されるだろうと予想されている。
(本書の原稿は、1966年秋に印刷所に送られていることに注意。)

 1.侵略の罪―国際条約違反を含む
 2.毒ガスや化学毒物といったような実験兵器使用
 3.病院、サナトリウム、学校、堤防、その他非武装地帯の爆撃
 4.囚人の拷問と人体切断
 5.強制労働収容所、大量埋葬、その他南ベトナムにおける殲滅(せんめつ)技術といったジェノサイド(民族絶滅政策)の遂行


 法廷メンバーは、調査委員会としての役割を果たすことになるだろう。調査委員会は戦争犯罪法廷の指導の下、記録資料を徹底的に調査し、整理して、証拠を用意することになっている。被告側の証人は、べつに出廷を強制するわけにはいかない。しかし、米国政府とジョンソン大統領は、その政策の弁明書をこの法延に提出するよう正式に要請されている。

 このような法廷を招集する必要性を保証する、一見して明らかな犯罪の証拠をみれば、この明白な侵略者の犯罪行為は他に類のないほどひどいものであって、侵略者の圧迫と犠牲者の抵抗とは、けっして同等に扱われるべきものではないということがわかる。ナチスの秘密警察ゲシュタポの暴力と、それに抗して立ち上がったワルシャワのユダヤ人街の抵抗とが同じ性質のものでなかったことは明らかである。侵略するドイツ軍と、それに抵抗して蜂起したユーゴスラヴィアのパルティザンの生存の為の闘い、ノルウェーの反ナチス闘争、デンマークでの地下運動、それからフランスのパルチザン等とは、けっして、同一視することができないものだということは明らかである。それがわからなければ、アメリカの侵略に抵抗するヴェトナムの行動とは、道義的にも質的にも相違するアメリカ合衆国の行動をよく調べることが、いかに価値あることであるかが認識できないだろう。

 審理は、1967年月からパリで開かれ、おおよそ16週間つづく予定である。バートランド・ラッセル平和財団の事務局がパリの 58 bis rue de la Chaussee d'Antin, Paris IX. に設置された。非常に優秀なフランスの法律家たちの一団が、この法廷の為に訴訟手続の計画を作製中である。準備委員会がロンドンで開かれた。目撃者たちの証言、法廷の公判審理、証拠資料等の記録映画を撮り、審問や陳述をテープにして、さらにそれを一般に普及する為レコードに吹き込み、あらゆる証拠資料や証言を編集して出版する予定である。
 この法廷に参加するよう呼びかけたわたくしの招請を、受諾されたかたがたは、いまこれを書いている時点においては以下の通りである。


・ヴォルフガング・アーベンーロート――ドイツの政治学者。西独、マールブルク大学政治研究所所長、政治学教授。

・ギュンター・アンデルス――ドイツの作家にして哲学者。1933年、ナチスの支配を逃がれ、亡命者としてドイツを去った。現在はウィーンに住んでいる。彼の著書 Burning Conscience(燃える良心)は、ヒロシマ原爆に関係した飛行士の1人であるクロード・イーサリイ(松下注:Claude Eatherly: クロード・イーザリ)の物語を公にした。

・メーメット・アリ・アイバール――トルコの知識人。イスタンブール選出国会議員。トルコ労働党の総裁であり、イスタンブール大学の前国際法教授である。1948年から1849年にかけて、トルコの大統領と政府を公然と批判したかどで有罪の判決をうけた。

・レリオ・バッソー――イタリアの法律家兼、議会政治家。1946年以来、イタリアの国会議員で、外務委員会の委員であった。イタリア社会党の前書記長で、現在はプロレタリア社会主義者同盟の委員長である。彼はローマ大学の社会学教授、「国際社会主義者雑誌」の編集長、国際法の専門家、ミラノ法廷の弁護士である。

・シモーヌ・ド・ボーヴォワール夫人――フランスの社会史家。小説家。ゴンクール賞をうけた「レ・マンダラン」の作者。「第2の性」その他ひろく人気を博した作品が数々ある。

・ストークリイ・カーマイケル――アメリカの黒人指導者。SNCC(学生非暴力調整委員会)の議長である。

・ラザロ・カルデナス――前メキシコ大統領。彼は、全軍総司令官ならびにメキシコ陸軍の大将であって、1955年に国家平和賞を受賞した。

・ローレンス・ダリー――英国労働組合の指導者。彼は、スコットランド全国炭坑労働者同盟の書記長であり、労働組合問題についての著述家であり講師である。彼はまた、広く英国において、ヴェトナム問題に関する論陣をはってきている。

・ウラジマール・デジエ――ユーゴスラヴィアの著述家。彼は、以前ベオグラード大学で近代史の教授をしており、また、マンチェスター、オックスフォード、ハーヴァード、コーネル諸大学で教鞭をとった。法学博士であって、1945年から1952年までの間、ユーゴスラヴィア国連代表であった。ナチスの占領下にあっては、抵抗軍の陸軍中佐であった。彼は3度、戦傷を負い、ユーゴスラヴィア解放勲章を受けた。それから彼の「パルチザン日記」が出版された。

・デイヴィド・デリンジャー――アメリカの著述家。アメリカ反戦運動の指導者。ニューヨークの「解放」誌の編集長であり、「5番街平和行進委員会」の組織委員長である。

・アイザック・ドイッチャー――ポーランド生まれの政治史家。随筆家。彼は、トロツキーやスターリンの伝記作者であり、またマルクス主義の指導的な理論家である。彼は1939年以来英国に住み、ソビエト問題に関する多産な作家として地歩をかためた。

・アマド・V.ヘルナンデス――フィリッピン人桂冠詩人で、労働運動指導者。フィリッピン労働組合会議の議長として、1951年に終身刑の判決をうけた。6年後に釈放され、1964年、最高裁の全員一致の決定によって無罪となった。彼は、フィリッピン民主労働党の委員長であり、フィリッピン新聞協会の創立者の1人である。彼は、フィリッピン共和国文化遺産賞と文学部門のマニラ文化賞を受けている。

・マームド・アリ・カスリ――パキスタンの法律家にして政治家。上級裁判所の法廷弁護士、パキスタン最高裁の上級弁護士。また、パキスタンにおける最大の野党である西パキスタン国民アワミ党の書記長である。

・フロイド・マッキシック――アメリカ公民権運動の指導者。彼はCORE(人種平等会議)の書記長である。

・森川金寿――日本自由人権協会の指導者で、同協会副理事長。弁護士。また、ヴェトナムにおけるアメリカ戦争犯罪調査日本委員会の事務局長であり、1964年のトンキン湾事件調査委員会の委員長であった。

・坂田昌一――日本の科学者。物理学教授。そうして、日本自由人権協会の指導的メンバーである。

・ジャン・ポール・サルトル――フランスの作家にして哲学者。哲学者として国際的に著名なだけでなく、有名な文学評論家、劇作家、小説家もである。ノーベル文学賞を授与されたが、自らそれを断わった。パリの「現代」誌の創刊者・代表理事。ナチスの占領下にあっては、それにたいする抵抗運動を積極的に展開した。

・ローラン・シュワルツ――フランスの数学者。パリ大学の数学教授であり、国際数学者会議のフィールド賞を受けた。またパリ科学アカデミーの数学大賞を受賞した。彼はまた、フランス国民ヴェトナム委員会と、人権連盟中央委員会の会員である。


 この「法廷」はその当初から、一般民衆のかなりの支持をうけた。またアメリカ合衆国の一般市民からさえ、少なからぬ支持をうけた。本法廷を支援するための国内委員会が、英、仏、スカンジナヴィア、米国、そして日本に、すぐに設立された。こうした支援は、大衆集会、国際的な署名活動、証拠資料の準備、写真展示会の創始、関係文献資料の頒布普及、それから、必要な巨額の経費をまかなうための莫大な寄付・献金等の形で行われた。
 もし本書を読まれた方々にして、このうちのいずれかの方法で、あるいはまた、戦争犯罪法廷閉廷後の、報告書の普及という方法で、援助したいと思われるならば、どうぞ Bertrand Russell Peace Foundation, 3 & 4 Shavers Place, Haymarket, London, S. W. I. にお問い合わせくだされば幸いです。
 

『ヴェトナムの戦争犯罪』邦訳書口絵より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


This book went to press in the autumn of 1966, as I was preparing the International War Crimes Tribunal mentioned in it. At the Nuremburg War Crimes Trials, Chief Prosecutor Justice Jackson of the United States Supreme Court declared:

'If certain acts and violations of treaties are crimes, they are crimes whether the United States does them or whether Germany does them. We are not prepared to lay down a rule of criminal conduct against others which we would not be willing to have invoked against us.'

There was, however, a moral ambivalence rooted in the nature of the Nuremburg trials and in the role of Justice Jackson. Nuremburg was a trial conducted by the victorious party over the defeated. Nuremburg was carried by a real-politik alliance of powers and yet, through the legalisms of force majeure, crept the voice of humanity, a voice crying out against the unconscionable criminality of the Nazi terror.

I have called for an intemational War Crimes Tribunal to be held in 1967 because, once again, crimes of great magnitude have been taking place. Our tribunal, it must be noted, commands no State power. It rests on no victorious army. It claims no other than a moral authority.

Over a period of years, an industrial colossus has attacked a small peasant nation. The Vietnamese revolution is part of an historical development through which exploited and hungry peoples are establishing their claim to the basic necessities of human life. The United States has shown itself determined to overwhelm with brute force this struggle for life. We have, on American authority, the fact that three million pounds of bombs have been falling daily on North Vietnam, involving an average of 650 sorties per week and tonnages in excess of those used during World War II and the Korean war. Beyond this, the armies of the United States have been using experimental weapons such as chemicals, gas, napalm, phosphorous, 'lazy dog' fragmentation weapons and bacteriological devices.

Who, in the West, is unaware of these facts, as they have been presented on film, on television and almost daily in our newsppapers? Who among us has not seen the photographs, or read the statistics? Who among us can deny the David-and-Goliath character of this incredible Vietnamese struggle for national autonomy and social transformation?
It is this awareness which provides the proper background to my call for a War Crimes Tribunal. I do not maintain that those who have been invited to serve as members of the Tribunal are without opinions about the war. On the contrary, it is precisely because of their passionate conviction that terrible crimes have been occurring that they feel the moral obligation to form themselves into a Tribunal of conscience, for the purpose of assessing exhaustively and definitively the actions of the United States in Vietnam. I have not confused an open mind with an empty one. I have not believed that to be just one must be without conviction. The authority of the Tribunal and its reputation for fairness follows from the character of its membership and the correctness of its procedures.

The Tribunal was convened in London on November 13, 1966, and was expected to announce its structure, statement of aims and time-table. It was anticipated that commissions would be appointed by the Tribunal to prepare evidence in roughly five areas:

 1. the crime of aggression, involving violation of international treaties.
 2. the use of experimental weapons, such as gas and chemicals.
 3. the bombing of hospitals, sanatoria, schools, dykes and other civilian areas.
 4. the torture and mutilation of prisoners.
 5. the pursuit of genocidal policies, such as forced labour camps, mass burials and other techniques of extermination in the South.

The Tribunal members will function as a commission of enquiry, and the commissions under its direction will prepare the evidence, subjecting documentary data to thorough and verifiable scrutiny. Defence witnesses can not be compelled to appear, but the US Government and President Johnson have been formally requested to provide representation for their policies before the Tribunal.
The prima facie evidence of crimes sufficient to warrant the calling of such a Tribunal involves the assumption that the crimes of the apparent aggressor are unique, and that no equation can be made between the oppression of the aggressor and the resistance of the victim. Only those who can not distinguish the rising of the Warsaw Ghetto from the violence of the Gestapo, or the struggle for survival of the partisans of Yugoslavia, the resistance of Norway, the underground in Denmark and the Maquis in France from the invading Nazi armies could fail to recognize the merit of examining the actions of the United States in a manner morally and qualitatively different from the actions of the Vietnamese resistance.

The hearings are planned to last some sixteen weeks and to take place in Paris from April 1967. The secretariat of the Bertrand Russell Peace Foundation has been established in Paris at 58 bis rue de la Chaussee d'Antin, Paris IX. A team of very eminent French lawyers has been preparing a plan of procedure for the attention of the Tribunal. Preparatory sessions have been held in London. Documentary film will be taken from the testimony of the witnesses, the proceedings of the Tribunal and the evidence. Tape recordings will be made of the hearings and pressed into gramophone records for wide distribution. All data, testimony and evidence will be published.
Those who have accepted my invitation to join the Tribunal, at the time of writing, are:

Wolfgang Abendroth, German political scientist. He is Professor of Politics and Director of the Institute of Politics at the University of Marburg, West Germany.

Gunther Andeis, German writer and philosopher. He left Germany as a refugee from the Nazi regime in 1933, and now lives in Vienna. His book, Burning Conscience, has made kuown the story of Claude Etherly, one of the pilots involved in the bombing of Hiroshima.

Mehmet Ali Aybar, Turkish intellectual and Member of Parliament for Istanbul. He is president of the Turkish Workers' Parry and a former professor of International Law at Istanbul University. In 1948 and 1949 he was convicted of the crime of public criticism of the President and Government of Turkey.

Lelio Basso, Italian lawyer and parliamentarian. He has been a Deputy in the Italian Parliament since 1946 and a member of the Commission on Foreign Affairs. A former general secretary of the Italian Socialist Party, he is now chairman of the Proletarian Socialist Unity Party. He is Professor of Sociology at Rome University, editor of the International Socialist journal, an expert in international law and a lawyer at the Court of Milan.

Mme Simone de Beauvoir, French social historian and novelist. She is the authoress of The Mandarins (which received the Prix Goncourt), The Second Sex and other widely-acclaimed works.

Stokely Carmichael, American Negro leader. He is the chairman of the Student Non-violent Co-ordinating Committee (SNCC).

Lazaro Cardenas, former President of Mexico. He was Commander-in-Chief and a general of the Mexican army and was awarded the State Peace Prize in 1955.

Lawrence Daly, British trade union leader. He is general secretary of the Scottish National Union of Mineworkers and a writer and lecturer on trade union affairs. He has also spoken widely in Britain on the war in Vietnam.

Vladimir Dedijer, Yugoslav writer. A former professor of Modern History at the University of Belgrade, he has also held university posts at Manchester, Oxford, Harvard and Cornell. He is a Doctor of Jurisprudence and was Yugoslav delegate to the UN General Assembly, 1945-1952. During the Nazi occupation he was a Lieutenant-Colonel in the Partisan army. He was wounded three times, awarded the Order of Liberation of Yugoslavia and published his Partisan Diary.

David Dellinger, American writer. A leader of the Us anti-war movement, he is editor of Liberation magazine(New York) and chief organiser of the Fifth Avenue Peace Parade Committee.

Isaac Deutscher, Polish-born political historian and essayist. He is the biographer of Trotsky and Stalin and a leading Marxist theorist. Since 1939 he has lived in Britain and has established himself as a prolific writer on Soviet affairs.

Amado V. Hernandez, Philippino poet laureate and labour leader. As President of the Philippine Congress of Labour Organisations, he was sentenced in 1951 to life imprisonment. After six years he was released and totally vindicated in 1964 by the unanimous decision of the Supreme Court. He is chairman of the Philippine Democratic Labour Party and co-founder of the Philippines Newspaper Guild. He has received the Republic Cultural Heritage Award and the Manila Cultural Award for Literature.

Mahmud Ali Kasuri, Pakistani lawyer and politician. A barrister at law and Senior Advocate of the Supreme Court of Pakistan, he is also general secretary of the West Pakistan National Awami Party, the leading opposition party in Pakistan.

Floyd McKissick, American civil rights leader. He is the secretary general of the Congress of Racial Equality (CORE).

Kinju Morikawa, Japanese civil liberties leader. He is an attorney at law and vice-chairman of the Japan Civil Liberties Union. He is also secretary-general of the Japanese committee for the investigation of Us war crimes in Vietnam and was a president of the investigating committee into the Tonkin Bay incident (August 1964).

Shoichi Sakata, Japanese scientist. He is a Professor of Physics and a leading member of the Japan Civil Liberties Union.

Jean-Paul Sartre, French writer and philosopher. Internationally known as a philosopher, he is also a notable literary critic, playwright and novelist. He was offered, but declined, the Nobel Prize for Literature. He is founder-director in Paris of Les Temps Modernes. During the Nazi occupation he was active in the resistance movement.

Laurent Schwartz, French mathematician. He is Professor of Mathematics at the University of Paris and has received the Fields Medal of the International Congress of Mathematicians and the Grand Prix de Mathematiques of the Paris Academy of Sciences. He is also a member of the French National Vietnam Committee and of the central committee of the League of the Rights of Man.

The Tribunal received from the beginning very considerable public support, not least from very many citizens of the United States. National committees of support were soon established in Britain, France. Scandinavia, the United States and Japan. This support included mass meetings, an international signature in campaign, the preparation of evidence, the creation of photographic exhibitions, the distribution of literature and the donation of substantial sums of money to help meet the vast expenses incurred.
If readers of this book would like to assist in any of these ways, or in the distribution of reports after the Tribunal, I should be grateful if they would write to the Bertrand Russell Peace Foundation, 3 & 4 Shavers Place. Haymarket, London. S.W. I.