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バートランド・ラッセル『事実と虚構』訳者(北川悌二)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),北川悌二(訳)『事実と虚構』(音羽書房,1962年7月 194pp.)
* 原著:Fact and Fiction, 1961, by Bertrand Russell


訳者あとがき(1962年6月)

バートランド・ラッセルの『事実と虚構』邦訳書の表紙画像  ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 1872-)の名は、新聞・書籍等を通じてわれわれ日本人にはなじみ深いものになっているので、彼に関する紹介は、以下簡単に彼の来歴を記すだけにとどめたい。
 彼は名門の出で、初代の伯爵であり2度も英国の宰相をつとめたジョン・ラッセル(Lord John Russell, 1792-1878)の孫にあたり、ケムブリッジのトリニティ校出身、そこで数学と哲学を専攻し、卒業後は母校で教鞭をとっていた。第1次大戦中、その平和思想と著書のために職をおわれ、卒業資格をうばわれたばかりか、6カ月投獄の判決までうけたが、1944年に(ケンブリッジ大学に)復職した。彼の活動は数学と哲学ばかりでなく、政治・文学・宗教・科学・教育などの多方面にわたり、つねに一貫して平和と自由のために強い主張をおこない、1950年には文学部門でノーベル賞を授与された。彼が世界の平和を祈願し、原子力問題に関しては東西両陣営の首脳部に直接よびかけ、ロンドンのトラファルガー広場では陣頭にたってすわりこみまでして検挙の憂きめにあったことは、われわれの記憶にまだなまなましく残っている事実である。90才の老躯をひっさげてなお衰えをみせず、世界平和のために積極的に活動している彼の姿には、聖人に見うけられるかと思われるほどのきびしい崇高さが感じられる。

 本書に訳出したものは、1961年発行の『事実と虚構』(Fact and Fiction)の第2部(第3章から10章)および第4部(全部)からとったもので、題名からいえば『事実』の部にあたり、教育・科学・国家主義・文化等にからんで、平和と自由の主張が熱烈におこなわれている。世界を忘れたかのように、祖国と民族の重要性のみを説き、東西の緊張に直接・間接に拍車をかけている時代錯誤的政治家の(が)日本にいかに多いかを考えれば、これだけでも十分にわれわれにとって意味のあるものに思われる。他の部分もラッセルを知るのに重要なものではあるが、その多くはラッセル個人にかかわるもので、日本の読者すべてに必ずしも興味深いものとはいえないので、それは全部割愛し、この紹介はべつの機会にゆずることにした。著者の博識に訳者の浅学がおよぶべくもないことはいうまでもないことだが、同僚多田幸蔵氏、奈良大学の稲葉誠一氏、信州大学の永井算己氏等の御教示を仰いでようやくなんとか形をつけたことにたいしては、この場を借りて、以上の諸氏に深く感謝の意を表したい。なお人名の発音は岩波書店の『西洋人名辞典』によったが、それに示されていないものが多く、多少不備なところが残ってしまったが、その点に関しては大方の御教示をえたく思っている。
 なお、本書に収録した論文の発表年および場所その他は、次のとおりである。(右下イラスト:平成6年5月14日、お茶の水ルノワール店で開催された、第97回「ラッセルを読む会」案内状に使用したもの/出典は、Evening Standard)

 第1部
  第1章 1947年、BBC放送
  第2章 1956年、BBC放送
  第3章 本書ではじめてのもの
  第4章 1957年、BBC海外放送
  第5章 本書ではじめてのもの   第6章 1960年、ソニング賞にさいしての挨拶
  第7章 本書ではじめてのもの
  第8章 1959年、アーカンサス大学学友会での講演
 第二部
  第1章 ニュー・ジャージーのベル電話研究所より発行予定の論文集より
  第2章 1959年、BBCアジア向け放送
  第3章 1959年、パグウォッシュ会議によせる言葉
  第4章 1952年8月3日の『ニューヨーク・タイムズ・マガジーン』より転載
  第5章 1957年、C.H.ロルフ編『ヒューマン・サム』(The Human Sum)より転載
  第6章 題名に示されている。
  第7章 同上
  第8章 『今日の英国(British Today)』誌1954年9月14日付より転載
  第9章 1960年『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』より転載
  第10章 1960年ロシアの雑誌『科学と宗教(Science and Religion)』誌より転載
  第11章 本書ではじめてのもの

  1962年6月 訳者 ...