バートランド・ラッセルのポータルサイト

バートランド・ラッセル『常識と核戦争-原水爆戦争はいかにして防ぐか』あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),飯島宗亨(訳)『常識と核戦争-原水爆戦争はいかにして防ぐか』(理想社,1959年5月刊 138pp.)
* 原著:Common Sense and Nuclear Warfare, 1959, by Bertrand Russell

訳者あとがき(飯島宗亨,1959.04.17)

 東西首脳会談が近くひらかれることになっており、米・英・ソ核実験停止会議は現にジュネーブでおこなわれている。これらの会議が人類の安全と世界の平和のために、輝かしい成果をおさめてくれることを期待するが、これまでの経過にてらしてみると、この期待はかならずしも楽観をゆるさない。ラッセル卿も指摘しているように、これまでの数多くの会議を失敗させた原因の大部分が、まだとりのぞかれてはいないからだ。しかし、核実験停止会議をひらかせ、首脳会談にふみきらせた情勢の背後には、職業的政治家や職業的軍人の策略的考慮をおさえて、常識が支配的になりつつあることが認められ、そのことが私たちの前途に希望と勇気をあたえる。(右写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
の画像  きのうはダレス氏の辞任が報道されていた。西独のアデナゥアー首相大統領立候補者となったことも東の陣営に対する彼のコチコチの強硬態度が局面の打開に害あって益なしと見た与党の祭り上げ、棚あげであると、新聞はあきらかに解説している。「巻きかえし」「瀬戸際」「大量報復」の合言葉で呼ばれてきたダレス政策は、いまようやく転換をせまられているようにみえる。ダレス氏が羽田に下りたつたびに、こんどはどんな危険をたずさえてきたのかと、新聞に掲載される彼の写真が、不吉な、地獄からの使者のように見えたものだが、いま病気のため辞職するときけば、彼が療養生活のなかで、「死の灰」の恐怖と戦争の不安を実感する一市民の立場をとりもどしてくれるよう願いたい気がする。
 情勢はラッセル卿がこの書物を著した時より、時間的にはそれほどたっていないにもかかわらず、一歩も二歩も宥和の方向へむかって前進しているようにおもわれる。だが、核実験停止会議には全面的停止を嫌って部分的停止ですりかえる企みがあるし、首脳会談にしてもすべての国が積極的に話しあいに期待しているわけではない。話しあいによって世界の平和を保持するのだという宥和政策の基本が、世界平和に責任ある大国においてさえ、まだ明確にたてられてはいないのだ。ラッセル卿がここで提案する宥和のための歩みは、多くの示唆をあたえるにちがいない。(松下注:1963年8月にようやく「部分的」核実験停止条約が締結された。ただし、地下核実験は野放し)
 原子戦争の問題については、すでに世界のトップ・レベルで幾つかの発言がなされている。シュヴァイツァー博士、ヤスパース教授の論説に加えて、ラッセル卿のこの論説はぜひ一人でも多くの人に読んでもらって、問題の核心を理解し、それではどうすればよいかを彼らと共に考えるようにしたいと思う。
 日本の私たちは、原水爆の禍害について、他のどの国民よりも多くを知っている。広島・長崎の悲劇から10余年たって、その被害はいまなお犠牲者の数をあらたに加えつつあり、被爆者の現状がどのように悲惨であるかについて、私たちの認識ははなはだ不十分であるとはいえ、それでも諸外国の人にくらべれば遙かに多くの事実を知り、その痛みを知っている。それだけに、私たちは日本の国はもとより世界のどの国民にも2度とこのような悲劇がおこってならないと考えるし、その悲劇をおこさせたいために、世界中の人々に被爆の実相を伝え、核兵器禁止のためにはたらくことを人類に対する被爆国の責任のように感じている。アメリカでも、ヨーロッパでも、アフリカでも、核兵器のおそろしさ、放射能の禍害は、日本人がびっくりするほど実際には知られてないようである。自分たちの陣営の勝利のためには核兵器による攻撃も辞さないという無責任な政策が、諸国民に不思議がられずに通用する土台には、核兵器の惨害についてのおそろしい無知があると思わなければならない、広島から十余年たった今、核兵器の進歩はいささかの誇張もなしに全人類の破滅を意味するものとなっているのである。
 東西の緊張、戦争、核攻撃、人類の破滅とつながるまがまがしい連鎖を断ちきるために、私たちは何をなすべきだろうか。また、何をなしうるだろうか。「原水爆はいやだ」という叫びは素朴な、それだけに力強い、人間のあたりまえの声である。私たちはかつてそう叫んだし、いまもそう叫ぶが、その上に私たちは一歩を進めて、そのいやな原水爆を防いで原子力を人類への科学のよい贈物として受けとるにはどうすればいいかを、政策にまでもっていって考えるべき時にきているように思う。原水爆禁止日本協議会に結集された日本の原水爆禁止運動も、昨年あたりからこの問題に積極的に取り組むことを始めた。その意味では、政治的になることは避けてはならないことだろう。でなければ、原水爆禁止運動は単なる感情的な訴えにとどまり、現実に禁止を達成することを悲願として遠くながめるそしりをまぬがれないだろう。私たち自身がはたらきかけることによって為政者にその政策をとらせるために、為政者にそのプランがないならば、私たちが具体的にプランを考えなければならないだろう。ラッセル卿は、とにかく彼のプランをここに提出している。ラッセル卿がこれこそ常識的、現実的と称している彼のプランには、現状維持的、大国主義的問題性以外にも、彼自身にまつわる抜きがたい西欧中心主義など問題になる点は多々あるであろうが、これを検討してよりよいプランを作ることが、そしてそれを実行するように政府を動かすことが、私たちの仕事になるだろう。世界の緊張を緩和して、戦争の脅威をとりのぞこうと、およそ世界中の人々が苦慮しているときに、過ぐる太平洋戦争で誤りをおかし、それをくりかえすまいと誓った平和主義の憲法をもつ私たちの祖国が、ひたすら米国陣営に忠実であろうとして、東西の緊張を激化させるような政策をのみすすめ政府をもつことを、私は世界に顔むけのできない恥ずかしいことだとおもう。私たちは中国をはじめ、どこの国ともおなじように仲よくしたい。私たちは祖国の政府が世界の緊張をゆるめるために役だつ政策をとるようにもっていきたいとおもうし、そのために努力することを身じかなこととしてやりたい。それは世界のためによいばかりでなく、世界のためによいことが同時に私たち自身にとってもよいことであるような、今はそういう時代だからだ。
 核戦争をめぐってのラッセル卿の論説はかなり広汎な問題に関係している。それらの問題については、日本にも多くの文献があるので、精密に調べたわけではなく大切なものが落ちているかもしれないが、ひととおり列挙して読者のご参考に供することにしたい。
 1959年4月17日 訳者しるす