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バートランド・ラッセル『自伝的回想』訳者(中村秀吉) あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),中村秀吉(訳)『自伝的回想』(みすず書房,1959年3月刊。264pp. ラッセル著作集第1巻
* 原著:Portraits from Memory, and Other Essays, 1956
* 中村秀吉(なかむら・ひできち 1922~1986):東大数学科卒。論理学、分析哲学専攻。千葉大学人文学部長を務める。ラッセル協会発起人の一人
* 目次


訳者あとがき(中村秀吉、1959.02.10)


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 本書は、Bertrand Russell: Portraits from Memory and Other Essays, 1956(George Allen & Unwin Ltd.)の全訳である。
 ラッセルが20世紀前半の英国、いな全世界を代表する哲学者の一人であることはいうまでもあるまい。彼は1872年の生れだから今年(1959年)87歳の高齢になるが、なおかくしゃくとして原水爆の反対運動に従事している。彼の著作は、1896年『ドイツ社会民主主義』を処女出版して以来、単行本だけでも約60冊の多きに達しており、雑誌論文を加えたらその数はちょっと数えきれないほどである。

 ラッセルの思想は、本書にも述べられているように、2つの分離した興昧の焦点を持っていた。その1つは絶対確実な知識の探求であり、他の一つは人間生活への愛情に満ちた関心である。前者は有能な恩師ホワイトヘッドとの幸運な邂逅(かいこう)によって、モニュメンタルな大著『数学原理』となって結実したし、また言語分析や多くの認識論的著作となってあらわれた。この方面での現代哲学に及ぼした影響は非常に大きく、その業績は現代の記号論理学や分析哲学、科学論等の基礎になっている。一方、ラッセルの人間生活・現実的社会への真摯な関心は、第1次大戦および現在の原水爆戦争準備に対し決定的な反対の態度を取らせたし、また、社会主義への賛成と多くの英知に満ちた人生論的著作となってあらわれた。ラッセルの思想家としてのおもしろさは、特殊な訓練と異常に集中された努力とを必要とする学問領域を専攻しながら、これとは違った種類の具体的人間生活への広い理解力と、強靱な実行力と、暖い心情とを持ち、このような資質を高度に要求する社会的実践に生涯烈しい情熱を持ち続けたことにあるだろう。

 本書は数多いラッセルの著作中でも、この興味深い人間ラッセルをもっともあざやかに浮彫りしているものとして、ひろく読者に推賞できるものである。ここにあらわれた彼の生い立ちから、ヴィクトリア朝時代の英国の最盛期に、英国屈指の名門で何不自由のない家庭(松下注:物心つかないうちに両親はなくなったこと、大学に上がるまで、祖父母の家で愛情はあるが厳しいスパルタ式の教育・躾をうけており、「何不自由ない」生活というのは適切な表現とは思われない。)に成長した彼が、西欧流の民主主義・自由主義に絶対の自信を持ち、これを全世界に普及することをもって自己や自己の属する階級国民の使命としている所以がよく理解できる。このような環境が彼の根本的に楽天的な気質やどこまでも誠実に生きようとする心情とあいまって、彼の人間論や社会哲学を構成したのであろう。同様に、このような恵まれた環境でみのり多き青春を過ごした彼が、ギリシア風の古典的ヒューマニズムを堅持するとともに、ともすれば古くなつかしい過去の英国をなつかしむ懐古趣味を持っていることも理解できる(松下注:何をもって懐古「趣味」といわれるのか、根拠不明)。徹底した自由主義の洗礼を受けた彼が、本書のミル論に見られるように、権力の強大化・官僚機構の膨大化が民主主義と自由との障害になっていることを強く指摘しているのは、現代政治に対する正しい批判といわなければならないし、民衆の罪人を告発するための政府機構ばかりでなく、民衆の無罪を証明するための政府機構が必要だというのは、現代社会の警察や裁判制度の欠陥をよく衝いたものといえよう。しかし、彼はその環境の制約と英国伝統の自由主義・民主主義への確信から、共産主義に対しては全然同情的ではない。

 本書の交友録はまことに興味深いが、とくに哲学に関心を持つ人には、ヴィットゲンシュタイン、ムーア、ホワイトヘッド、シジウィック、サンタヤナ等の日常生活は興味深いであろう。ラッセルの人物描写は各人物の特異な言動をおもしろおかしく語っているが、彼とは異質な文学者コンラッド、ショー、ローレンス等の人物記も個性的である。
 ラッセルで見逃してならないのは、彼の人生の知恵をあらわす人間論・人生論である。彼が幸福への鍵は自己への強すぎる関心から離れ、時間空間の制約を脱し、他者への愛情に満ちた関心を持つことだというとき、この言葉は彼の生活態度をそのままあらわしているし、彼が人生を急流から発達して海に流れ込む大河にたとえるとき、それは、苦難に満ちてはいたがほぼ報いられた彼の人生そのものを表現しているように思われる。

 本書におさめた哲学論文「精神と物質」は、ヒューム流の経験主義を現代科学や論理学の成果にもとづいて再構成した彼の認識論・形而上学に対する基本的立場をあらわしているし、「通常の用法」礼讃は現代の英国哲学で支配的な日常言語学派を批判したものとして評判になった論文である。また彼の歴史論は彼のむしろ意外とも思われる歴史的教養を示すとともに、法則的認識を歴史学の課題とせず、これを文学的観点からとらえる彼の立場をよくあらわしている。
 最後の2つの論文、「人間の危機」と「平和への歩み」とはすでに年老いたラッセルの最後の人類への訴えとして、われわれの胸を打つものがある。ラッセルがその烈しい反共的心情にもかかわらず、あえて原水爆戦争準備に警告し、東西の相互理解を説いていることは、まことに警世の言葉としてれわれの聴くべきものではないだろうか。(右イラスト:1981年11月1日、松下宅で開催された、第25回「ラッセルを読む会」案内状より)

 本書の見出しはすべて原典に対応はしているが、かならずしもそのまま訳出したものではない。括弧を挿入した注は、すべて訳者が読者の便宜のためにつけたもので、欄外の註は印刷上の都合から本文に挿入しなかったものである。
 終りに、本書の翻訳を勧めて下さった市井三郎氏を始めとし、訳者の質問に答えて下さった多くの学友、および筆耕の労を取られた岸絢子氏、妻典子に感謝の意をあらわしたい。
 一九五九年二月十日 中村秀吉