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バートランド・ラッセルのポータルサイト



バートランド・ラッセル(著),多田幸蔵(訳)『権威と個人』
(南雲堂,1951年6月。192pp. 不死鳥選書)

* 原著:Authority and the Individual, 1949.
*(故)多田幸蔵氏略歴

訳者あとがき(多田幸蔵、1959年6月12日)

 バートランド・ラッセル(1872〜 )の名は多くの人々には力強い親愛感を、そして一部の人々にはにがにがしい反発をおぼえさせるであろう。かれの徹底した科学尊重やそれから派生する反宗教的――むしろ反キリスト教的――態度が、かれの真意を解しない人々に与えるショックや嫌悪には、相当に強いものがあるといわなければならない。が、他方いまなお老いることを知らない情熱と透徹した論理を武器として、世界平和の悲願に率先挺身している彼の姿には、おのずから深い敬意を感じないわけにいかない。

 ラッセルははじめ数学者、哲学者として出発したが、第1次大戦を契機に社会、政治問題全般に烈しい関心を抱くに至った。以後彼の生活の主力は、この方面に関する凡ゆる重要問題、政治、経済、道徳、教育、社会改造などについての論策に向けられた。が、それらを一貫する、かれの主張の核心はむしろおどろくべく簡単明瞭である。要約すれば、彼は人間を、経済人とみるマルキシズムに対して、生物学的存在とみるのである。人間を動かすものは所有(的)衝動と創造(的)衝動であり、この創造(的)衝動に満足を与える社会こそよい社会である、人生における究極の価値は個人にあって社会にあるのではないというのである。そしてすぐれた人間とは、個人的独創性に富む人間のことだとする。けれども、独創性もしくは主導権なるものの根底にあって、その方向を決定するものは、結局のところ、キリスト教慈愛の念である。いわばこの慈愛の川に独創性の舟を浮べて漕ぐおりに手にするものは、科学精神の橈であるとも言えようか。人間的幸福の究極原理としてキリスト教(的)愛にたのまざるを得ないラッセルが、他方において歴史的キリスト教の功罪を論じて痛烈、むしろ否定的であるのは、伝統的権威に黙従し得ない科学精神のなさしめるところである。この点については、特に『科学の社会に与えた衝撃』(1951)や『なぜわたくしはキリスト教徒でないか』(1957)などの文章に明確に述べられているが、これは、おしなべてかれの社会学的著作に顕著な色彩を与えているものでもある。詮ずるところ、理性と衝動との創造的調和、それが彼の議論の経緯となっていると断じても大過ないであろう。
 第1次世界大戦のときには良心的反戦論者として活躍したために、遂に投獄の憂目にあったり、1938年(松下注:1940年のまちがい)にはニューヨーク市大の哲学教授任命をめぐって、かれの宗教道徳上のすこぶる自由な見解のために、一部の偏狭者流に不適格者としての烙印をおされ、裁判沙汰になったりしたことなど、20世紀のヴォルテールともいえる異端者としての生活を送った。

 ここに訳出した『権威と個人』(1949)は、英国放送協会の教養番組であるリース講演第1回として連続放送されたものである。ラッセル得意のウィットやユーモアは放送の性質上大いに抑制され、一般向きの真面目な調子でつらぬかれてはいるが、間々、皮肉や反語がそれとなく挿入れているから、幾分警戒して読まなければならない。これは特に次の懐疑主義的随筆(Sceptical Essays, 1935)(松下注:1928年のまちがい)――何とも曲のない日本訳を許して頂きたいが、これもラッセル自身のえらんだ表題そのままである――においていっそう必要とされる態度である。これは17章からなるエッセイ集のうち、わずか3章を抄訳したにすぎないが、『権威と個人』と併せ読まれれば、ラッセルの思考形式を捉えるのに十分役立つものと思う。なおこの3章訳出に際しては東大助教授・青木雄造氏のテキスト版の註を参考させて頂いたことを記してお礼を申上げたい。未尾になるが、ラッセルが合理主義的立場から、いかに狂信的態度に強く反対しているかは、この「信条戦争の危険」からも推察して余りあるが、1959年3月19日発行の「リスナー紙」に載せられたBBCテレヴィジョンでのジョン・フリーマン氏との対談「バートランド・ラッセルの回想」という一文から、ラッセルのことばを引用しよう。
(写真出典:R. Clark's The Life of B. Russell, 1975)
フリーマン
「世界の狂信者は総じて懐疑家よりも有用、それとも危険だとお考えですか」
ラッセル
「ずっと危険です。狂信は世界で一番の危険です。これまで常にそうでしたし、測り知れぬ害を及ぼしてきました。わたしは狂信に対しては狂信的なほどに反対だといつてもいいくらいです」
フリーマン
「でもあなたはまた他のことにも狂信的に反対ではありませんか。たとえば今なさっている核武装反対の運動なんかでは? あなたはご自分の支持者たちが現在行っている極端な示威運動を奨励なさるのですか。それだって狂信ではありませんか。」
ラッセル
「それは狂信だとは思いませんよ。つまり、中には狂信的な人もいるでしよう。が、わたしがこの人たちを支持するわけは、正常で分別があっておだやかな一切のことが新聞から全然無視されているからです。そして、われわれが、新聞にのせられる唯一の方便は、狂信的と見えることを仕出かすごとだからです。最悪の可能性、それは人類が滅亡するかも知れないということです。が、仮にそれが起らないとしたところで、世界の支配者たちが愚鈍で兇悪だというそれだけのために、数億の人間が苦しみ死するのを思うと我慢ならないのです。」
 このような広く烈しい政治意識は、ヴィクトリア女王治世のイギリスで首相たること2度であった祖父ジョン・ラッセル伯や、若死はしたがこれまた政治に強い関心をもっていた父の血が争そわれなく、彼の中にも流れているものといえるだろう。とにかく、ラッセルの冷徹な論理の底に流れている熱いものが読者の胸に通うところがあれば訳者の本望である。
 昭和三十四年六月十二日 多田幸蔵

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