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バートランド・ラッセル『西洋哲学史』訳者(市井三郎)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),市井三郎(訳)『西洋哲学史-古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』
* 原著:A History of Western Philosophy, 1945.
* (故)市井三郎氏略歴
* 4分冊本への「訳者あとがき」


(全1冊本への)訳者(市井三郎)あとがき (1961年1月17日)


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 Bertrand Russell, A History of Western Philosophy and its connection with political and social circumstances from the earliest times to the present day の全訳であった上・中・下全3巻が原著と同じ1冊本になるにあたって、些少の感想を述べておきたい。

 3冊本の「あとがき」を書いたときのわたしは、ドイツ哲学の偏重の下に歩まれた長い日本の思想界の歴史や、戦前の当然な反動としてマルクス主義(あるいはそう称されるもの)が肩をいからせて蔓延した戦後の状態を念頭におきすぎて、それらと対照される本書の内容を力んだ口調でくりかえし述べたのだった。しかしこの下巻が世に出てからちょうど満5年をへた今、わたしはそのような対照にかつてほどに心を煩わされなくなった。わが国の方々の大学の哲学教室で、現在なお戦前とあまり変らない講義や課程がおこなわれていることを、意識していないのではけっしてない。しかし右のような煩いをあまり感じなくなったことには、次のような事情があると思う。つまり大局的に見た場合に、そしてとくに本書がこの読者対象としている若い知的市民・学生一般の動向から見た場合、わが国でこの5年あまりの過去に明らかになった漸次的変化の向きが、ラッセルのこの書物が代表する方向と部分的には軌を一にしている、ということである。
 およそ自動的に保証されているものは、広義の自然界における仮言的法則性の持続くらいなものであって、わが国における近々数年での知的雰囲気の多少の変化が、今後もますます望ましい展開を自動的に見せるだろうとか、ましてや現在の地点で、その変化に対する逆流やまた変化自体がはらむ危険がないなどというのではない。しかしラッセルの本書が代表する方向とわたしがいったのは、彼が本書を書いていた第2次大戦の末期に、その巻末にしるした次のようなコトバに示される方向なのだ。
さまざまに対立する狂信的態度の渦中にあって、統一をもたらそうとする数少ない勢力の1つは、真理に対する科学的な忠実性である。わたしの意味するものは、われわれの信念を、人間にとって可能なかぎり非個人的な、また地方的、気質的な偏見を可能なかぎりとり去った観察や推論というものに基礎づける、という習慣なのである。このような美徳を科学に導入することをあくまで主張し、また哲学を実りあるものとしうる強力な方法を創案したことは、わたしがその一員である哲学学派の主要な功績である。そのような哲学的方法を実践するにあたって獲得された綿密な誠実性というものは、人間活動の全領域に拡張しうるのであって、それが存在するところではつねに、狂信的態度は減殺され、同情と相互理解の能力増進をもたらすことができる。
 「綿密な〔知的〕誠実性」とラッセルがいうものは、もちろん一朝にして獲得されはしない。わが国の若い世代の人々がへてきた挫折や苦悩の体験が、そこへいたるスプリング・ボードとなってきたのは当然であろう。しかしまた「綿密な誠実性」は、そのコトバのよそおいの下に、無気力な細事拘泥的態度に転落する危険もはらんでいる。ラッセルが誇らしげに、「わたしがその一員である哲学学派」と書いた当の学派の一部に、些末主義(トリヴィアリズム)におちいっているという批判があたるような傾向があるのもそのためであろう。しかし「治国平天下」式の反些末的ムードが明治知識人の活動を支えたとすれば、「第2の開国」といわれる第2次大戦後の日本の今後にあって、ほんとうに望ましい形で知識人を支えるべきものは、勇気に裏うちされた「綿密な誠実性」であろう。本訳書を通じてそのような形が、いささかなりとも強められる方向へ寄与できるならば、訳者の労苦は酬われてあまりがあろう。

 さてこの場所をかりて、反訳にあたって留意したことの凡例を個条書きにしておく。

 、人名や地名などの固有名詞は、原著ではみな英語化されているが、本訳書では主として岩波書店の『哲学小辞典』によって、原音に近いカナ使いで示しておいた。(ただしカッコ内に記入した欧文名は、原著のままの英語化されたものを用いた。)とくに中世哲学の部分では、この原則を実行することはかなりの努力が要った。テテン語の支配から次第に各国語が知的著述にも用いられてゆく推移があったわけで、たとえば英語の「ウィリアム」がラテン語では「グイレルムス」、フランス語では「ギヨーム」であるという風だ。また国名などは慣用によったが、ふつう「イギリス」という場合、スコットランドや北アイルランドをも含めた意味でいうが、その合併がおこなわれる以前などを指す場合には、「イングランド」という名をそのままに用いたりした。
 、ただ人名や地名でのわが国で慣用があるもの、たとえばピタゴラス、ユークリッド、エペソなどは、なるべくそのままを用い、原音に近いカナ書き、すなわち「ピュタゴラス」「エウクレイデス」「エフェソス」などは、それぞれ最初にその名称が出てくる個所にカッコ内に示しておいた。
 、原著の脚注は、「原注」と記して各文節末に入れたが、本訳書では読者の便宜を考えて、全巻で約1000にのぼる訳注を追加し、それを本文中それぞれの個所に「訳注」と記してカッコ内に挿入した
 、ただ訳注をつけるべき事項が2度以上出てくる場合は、若干の例外を除いて最初に現われた個所にだけつけた。たとえば「ジェイン・ハリスン」という人名は、p.31とp.249という風に非常に離れて現われるが、後者の部分だけ読んでそれが何者であるか知りたい場合には、索引で「アリスン,J.」を引かれて、それから最初に出てくる頁数をさがし、そこで訳注の説明を読むようにしていただきたい。
 、専門の訳語などはできるだけ慣用によったが、being を「あり方」、appearance を「現われ」などと、脈絡によってより平易な訳語を採用して理解に資した。またたとえ bishop は中世初期では「監督」と訳し、近代カトリックでは「司教」とするのが普通だが、同じ語がしだいに異なった職能を代表するようになった、と原著にある説明を活かすために、初期から「司教」と訳しておいたことなど、若干慣例を破っているのがある。それもいずれかの個所で、訳注で釈明しておいた。
 、索引は原著にあるぼう大なものをほぼ忠実にアイウエオ順に再現したが、ほとんど無用視しうる若干のものをこの版では省略することにした。その省略も索引全体からすれば一割弱であって、利用便宜は少しも損なわれていないつもりである。原著者の「まえがき」にあるように、1人の著者が西洋哲学の全歴史をまとめる意義は、部分的な集中的研究では見失われがちな長期間にわたる思想の関連、というものを考え出すことにあるわけで、たとえば「プラグマティズム」について索引を利用される場合にも、古代哲学にあたる初めの方の頁も引いてみられることを希望したい。
 1961年1月17日 市井三郎


 改版のことば

 戦後の変化ははげしい。この訳書の初版が刊行されてから十数年、いまでは旧版に用いられた旧正字が、若い読者から読みにくいという感想を強く聞くようになった。旧正字はもともと訳者の望むところではなかったが、ここに版を改める理由である。この機に、かつてわたし自身が漢字表記にしていた個処も、できるだけかなに改めて、読みやすさを期した。そのほか、初版刊行いらい、わたし自身気づいたミスプリントや、読者から親切に指摘を受けた少数の不適訳を、このさい同様に改めたつもりである。見解のちがいは残るわけで、この改版でもやはりわたし自身が最終的に責任をとる。それは当然であるにしても、10年をこえてなお当訳書が需要をつづけることを、原著者ラッセルとともに喜びたいと思う。現在の時代転換を、とくに見透していたラッセルの明敏に改めて敬意を表しつつ。
 1969夏 訳者