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バートランド・ラッセル(著) (岩波書店版)への訳者解説

* 出典:バートランド・ラッセル(著), 安藤貞雄(訳)『結婚論』 (岩波書店,1996年1月刊。344pp. 岩波文庫・青649-4)
* 原著:Marriage and Morals, 1929
* 安藤貞雄氏略歴
* 安藤貞雄(訳)について: 安藤貞雄氏(故人)の訳書(岩波文庫版のラッセル『結婚論』)は、訳者解説のなかで安藤氏も書いているように、残念ながら(ラッセルが修正する前の)初版第6刷(1938年刊)をテキストに使用しています。そのため、安藤氏は巻末の訳者解説(p.333)のなかで、「・・・事実、訳者なども、優生学の一部などはかなりの抵抗をおぼえずに読むことができなかったし・・・」と書かれています。
 ラッセルはこの本を1929年に出版した後、一部の人(友人)から不適切な表現があると指摘され、1963年に出版された Unwin Books 版(ペーパーバック版)の第3刷でその部分を修正しています。(ラッセルは数理哲学のような真面目な内容の本であっても、読者サービスのつもりでしょうが、冗談をちりばめます。問題の箇所は、冗談ぽく書いていますが、ラッセルは真面目に書いているととって抵抗を覚えた人が少なくなかっただろうと思われます。あきらかにまずい書き方でした。)
 大部分の人はそんな古い版や刷のものではなく、比較的新しい刷のものを利用しますので、問題はあまり起こりません。しかし、大学図書館などは出版後すぐに購入する場合が多いので、後から部分的な修正版がだされても購入しない場合がほとんどです。安藤先生は自ら市販の古書を購入したのかも知れませんが、安藤先生の訳は名訳のために、他の訳書がだ出されそうもなく、残念なことです。


訳者(安藤貞雄)解説(1995年12月吉日)

 本書は、Bertrand Russell: Marriage and Morals(1929)を全訳し、訳注を加えたものである。既刊の『ラッセル教育論』『ラッセル幸福論』(ともに岩波文庫所収)に、本書が加わることで、3部作として、ラッセル人間論のあらましを伝える点で有意義であると思われる。

 現代イギリスを代表する思想家であり、20世紀最高の知性の一人であるバートランド・ラッセル伯爵(1872-1970)は、3世代にわたって、厳密な数理哲学者、理性の情熱的な提唱者、反啓蒙的思想(obscurantism)の辛辣な批判者、活動的な平和主義者として活躍しつづけた。
 ラッセル家は代々、「貴族的自由主義」をもって鳴るイギリス貴族の名門で、祖父ジョン・ラッセルは、ヴィクトリア女王に仕え、自由党を率いて2回首相となった。両親はジョン・スチュアート・ミルの友人で、産児制限や婦人参政権を主張する自由思想家であった。

 自伝によれば、ラッセルの生涯を支配したのは、「単純な、しかし圧倒的に強力な3つの情熱」であった。それは「愛情への欲求」、「知識の追求」、「人類の苦しみに対する耐えがたいまでの同情」である。
 初期のエネルギーの大部分は、「知識の追求」のために費やされた。この時期の仕事には、『ライプニッツの哲学』(1900)、『数学の原理』(1903)、『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)(全3巻、1910~1913)、『哲学の諸問題』(1912)、『外界についてのわれわれの知識』(1914)などがある。

 中期の仕事は、象牙の塔を出た社会改革者として、「より幸福な世界の創造」のためにささげられた。こうした努力は、哲学・物理学・道徳・教育・歴史・宗教・政治・社会問題などの諸分野にわたる、おびただしい著述として結実した。『社会改革の諸原理』(1916)、『教育論』(1926)、『結婚論』(原題『結婚と道徳』1929)、『幸福論』(原題『幸福の征服』1930)、『宗教と科学』(1935)、『意味と真理の探求』(1940)、『西洋哲学史』(1945)、『権威と個人』(1949)などが、この時期の主な仕事である。
 後期は、この2つの情熱が「1つの全体としてまとまった」時期である。この時期、ラッセルは、核兵器廃絶やヴェトナム戦争反対などの平和運動に身を投じて、全世界の理想主義的な若者を鼓舞した。この時期の主な著作には、『常識と核戦争』(1959)、『人間に未来があるか』(1961)、『自叙伝』(全3巻、1967~1969)などがある。

 1950年、78歳のとき、「人道と思想の自由を擁護し、多年にわたって、つねに毅然として遂行した重要な業績を認め」られて、ノーベル文学賞を授与された。89歳のとき、高齢の伯爵は、核兵器反対の座り込みをしたかどで7日間勾留された。壮絶なまでの「知行合一」の生きざまと言うべきであろう。
 ラッセルを生涯駆り立てた、もう1つの情熱「愛情への欲求」は、80歳にして4度目の結婚をしたときにかなえられた。ラッセルは、妻イーディス(Edith)によってはじめて「陶酔と安らぎ」を得たのである。『ラッセル結婚論』(原題『結婚と道徳』)は、すでに見たように、ラッセルの活動の中期、57歳のときに書かれ、現在もペーパーバックで読み続けられているロングセラーである。ほぼ10年後の1940年、ラッセルは、この本で性的な不道徳を提唱した説のゆえをもって、約束されていたニューヨーク市立大学の教授に就任することをはばまれたのだった。事実、訳者なども、優生学の章の一部などはかなりの抵抗をおぼえずに読むことはできなかったし、読者も、本書の主張の一から十まで賛成することはできないかもしれない。しかし、世評を恐れず、毅然としておのれの信念を述べるラッセルの知的誠実さには深い感銘を受けずにはいられないはずである。
 本書の特徴は、結婚に関する際物(きわもの)ではなく、結婚と性道徳の諸問題を通時的・共時的に、さらに、個人のレベルから、夫婦、家族、国家、国際社会のレベルにわたって論じた格調の高い著作である点、および、半世紀以上もむかしに、いまなお新しい、あるいは、いまだに解決されていない問題の数々を提起するとともに、燃えるような人類愛に基づいて、洞察力に満ちた文明批評を展開している点に求められる。具体的には、
一、フェミニズムの擁護――ラッセルは、キリスト教倫理は、性道徳に重点を置きすぎたために、当然の結果として、女性の地位を低め、その自由を圧縮してしまったとし、女性の解放、すなわち、女性の性的・社会的・政治的な解放を主張する。これは、今日盛んになりつつあるフェミニズム運動を半世紀以上前に先取りしている、と言わなければならない。

二、試験結婚の提唱――宗教家にはショックをあたえたかもしれないが、試験結婚(第12章参照)は、経済力の乏しい若い人々が結婚に踏み切りやすくするための、きわめて分別のある合理的な提案でしかない(松下注:「~でしかない」というと否定的にとられる恐れがあるが、「きわめて分別のある合理的な提案であり、それ以上のもの--たとえばフリー・セックスの唱導--ではない」といった意味合い。)

三、離婚について――ラッセルは、多くの国で離婚が困難すぎるとし、当事者双方の合意と、配偶者の一方に精神異常、アルコール中毒などの明確な欠陥がある場合は離婚を許すべきだと主張する。同時に、子供のためには結婚の安定が必要であり、アメリカに離婚が多いのは、家族感情が極端に弱いからであると言っている。

四、先見性――ラッセルは、イギリスにおける男性の間での同性愛を罰する法律(現在は廃止)について、この法律は野蛮で無知な迷信の産物であり、合理的に弁護できるものではないとしているが、同性愛が世界的に市民権を得つつある現在から見れば、これは先見性のある発言であった。そういう先見性は、家父長制度の衰退、家族の崩壊、シングル・マザーの台頭の予言、あるいは、ポルノグラフィーを取り締まる法律は不要である、という主張にもうかがうことができる。

五、まっとうな結婚論――後述の第10章のまとめに見られるように、ラッセルの結婚観は、全体的に見ればきわめて穏当なもので今日的意義があるので、結婚を考える日本の若い人びとにとっても賢明な指針となると思われる。

 『ラッセル結婚論』は、全21章からなり、その構成と要旨は、次のとおりである。
第1章「序論」――第2章以下の構成とそこで論じるはずの話題を概説する。
第2章「母系社会」――現代の文明社会は、すべて家父長制家族に基礎を置いているが、母系社会のメラネシア人は、生殖における父親の役割を知らない。男性が子供に関心を寄せるのは、自分の子供であると信じるからではなく、妻の子供だと知っているからである。全人類は、メラネシア人のような母系社会の段階を経てきたにちがいない。
第三章「家父長制度」――父性の生理的な事実が認識されると、父親の感情の中に、権力愛と死後も生き残りたいという願望が入ってくる。これが家父長制社会を生み出した要素である。父性の発見は、女性の貞操を確保する唯一の手段として、女性の隷属を生み出した。女性は、生涯のいかなる時期にも、独立した生活をすることがなかった。最初は父親に、続いて夫に隷属したからである。
第四章「男根崇拝、禁欲主義および罪」――宗教の中の性的要素は、初めは女性の生殖器とかかわりがあったが、後期エジプトになると男根崇拝のかたちをとった。男根崇拝は、宗教の中の性を肯定する要素であるが、特にキリスト教や仏教が普及したところでは、性を罪深いものとして否定するようになった。禁欲主義は、その1つの表われである。
第5章「キリスト教倫理」――キリスト教、特に聖パウロは、結婚は子供を生むためにあるのではなく、私通の罪を防ぐためにあるという、まったく新しい結婚観を導入した。聖パウロの見解は、初期教会によって強調、誇張されて、独身は神聖なものとみなされた。キリスト教倫理は、性的な美徳を強調したために、必然的に女性の地位を低下させてしまった。女性が自由を取り戻しはじめたのは、近代になって罪の観念が衰えてからである。
第6章「ロマンチックな恋愛」――ロマンチックな恋愛が一般に認められた情熱の一形式となったのは、ようやく中世になってからである。恋愛は、ダンテのベアトリーチェに対する愛のように、プラトニックでなければならなかった。ほぼフランス革命のころから、結婚はロマンチックな恋愛の所産であるべきだ、という考えが強まった。ロマンチックな恋愛が結婚の動機になるのはよいことであるが、しかし、結婚をいつまでも幸福なものにし、その社会的目的を果たさせるたぐいの恋愛は、ロマンチックなものではなくて、もっと親密で、愛情深く、現実的なものである。
第七章「女性の解放」――男女の平等に対する要求は、最初から、政治的な事柄だけではなく、性道徳にも関係していた。過去において女性が貞操を守っていた動機は、主として、地獄の業火の恐れ妊娠の恐れであった。前者は神学的正統の衰退によって、後者は避妊法によって、取り除かれた。現在のフェミニストたちは、男性に許されるものは自分たちにも許されることを要求する。彼女たちの先輩が、道徳的な奴隷状態の中での平等を求めたのに対して、彼女たちは、道徳的な自由の中での平等を求めているのである。
第8章「性知識のタブー」――性を秘密扱いにするために、かえって、若い人たちの好奇心が異常に募るのである。もしも、おとなが、性をほかの話題とまったく同じように取り扱い、子供が望むだけ、あるいは理解できるだけ情報をあたえるなら、子供は決してわいせつという観念を持つようにはならない。性的な好奇心は、ほかの好奇心と同様に、満足したときに消滅する。わいせつを禁止する法律は、いっさい作らないほうがよい。どんな法律でも、悪を禁止すれば必ず善をも禁止しなければならないし、あからさまにポルノグラフィックな出版物でも、性教育が合理的であれば、ほとんど害にならないからである。
第9章「人間生活における愛の位置」――人間生活において正当な地位を認めよというの主張は、もっともなものである。しかし、愛は無政府的な力であって、野放しにしておくなら、法律や慣習のわくの中にとどまってはいないだろう。しかし、子供が登場するやいなや、愛はもはや自律的ではなく、人類の生物学的な目的に役立つのである。子供にかかわる社会的な倫理が存在しなければならない。この社会的な倫理は、情熱的な愛と衝突する場合は、愛の要求に応じないかもしれない。けれども、賢明な倫理は、この衝突を最小限に抑えるだろう。なぜなら、愛はそれ自体よいものであるばかりではなく、両親が愛しあっている場合は、子供にとってもよいものであるからだ。
第10章「結婚」――文明人の男女が、結婚生活で幸福になるためには、いくつかの条件が満たされなければならない。まず、1)両者の側に完全な平等観がなければならない。2)お互いの自由を決して干渉してはならない。3)限りなく完全な肉体的・精神的な親密さがなければならない。4)価値の基準について、ある程度の共通項がなければならない。以上の条件がすべて満たされるなら、結婚は2人の人間の間に存在しうる、最もよいそして最も重要な関係になる。
第11章「売春」――社会は、男の欲望を満たすために売春婦を取っておく。性関係における道徳は、相手を尊敬することと、相手の気持ちを考えずに自分1人を満足させる手段として相手を利用しないことにある。たとえ売春婦が尊敬され、性病の危険が除かれたとしても、売春がやはり好ましくないのは、この原理に背くからである。
第12章「試験結婚」――経済力のない、若い人々が結婚できるようにするために、アメリカのリンゼー判事が提唱した「友愛結婚」は、次のような趣旨である。1)当分の間、子供を作らない。2)子供がなく、妻が妊娠していない場合にかぎり、相互の同意により離婚できる。3)離婚する場合は、妻は離婚手当を要求しない。
 友愛結婚は正しい方向への第一歩であり、大きな利益をもたらすものであるが、まだ不十分である。結婚の生物学的な機能が十分認識されたなら、妻が最初に妊娠するまでは、いかなる結婚も法的な拘束力を持たないとするのが、適切な方針であろう。
第13章「今日の家族」――初期の文明では、父親が神であったが、キリスト教では神が父である。その結果、ただの人間にすぎない親の権利は弱くなった。家族の衰退は、産業革命以前から始まっており、その始まりを引き起こしたのは個人主義理論であった。今日、家族が重要なのは、まず、家族が親としての感情をふた親にあたえることによる。父親に子供を所有する見込みも、子供と愛情のこもった関係を結ぶ機会もなくなるとすれば、子供を作ってもむなしいし、働く意欲も失われるだろう。家族は、安定した結婚の保障であり、したがって、家父長制家族は依然として重要である。
第14章「個人心理の中の家族」――ここでは、個人の性格が家族によってどう影響されるかを考察する。親の愛情は、子供の発育に絶対必要なものであり、この愛情をどちらの親からも受け取れないとすれば、きわめて遺憾なことである。母親の心理から見た場合、ふた親が子供を養育するという重大な仕事で協力し、長年親密に交わってきたことは、父親がいない場合よりも、一段と重要で豊かな関係となる。ただし、女性が結婚生活で不幸である場合は、離婚したほうがよい母親になれる。家族の父親に及ぼす影響は、特に重要である。前章で述べたように、父性が奪われたとしたら、父親は生き甲斐を失い、生殖は次第に衰えるだろう。
第15章「家族と国家」――現在若者の忠誠心は、一方では親に、他方では国家に、というふうに、二分されている。若者の忠誠心が国家にのみささげられるようになれば、世界は現在よりも一段と残忍なものになる恐れがある。だから、国際主義の問題が未解決のままであるかぎりは、子供の教育と世話を国家が分担する量が増えることは危険である。
第16章「離婚」――最上の離婚の根拠は双方の合意である。双方の合意以外の根拠が必要なのは、配偶者の一方に精神異常、犯罪など、明確な欠陥がある場合に限るべきだ。離婚は多くの国で困難すぎるが、かといって、容易な離婚は結婚問題の真の解決をもたらさない。結婚を続けていきたければ、結婚の安定が子供のために大切である。
第17章「人口」――キリスト教の導入以来、人口の増加は本能の盲目的な作用にゆだねられてきた。しかし、これを計画的にコントロールしなければならない時期が急速に近づきつつある。ただし、国家の干渉を有益なものにするためには、軍国主義的な国家の干渉ではなく、国際国家の干渉でなければならない。
第18章「優生学」――消極的優生学では、断種は精神的な欠陥のある人に限定するべきである。積極的優生学は、望ましい両親に多数の子供を生むように奨励する。個人道徳の観点からすると、性倫理は、何よりもまず優生学的な考慮を優先する。最もすぐれた遺伝子を持つ男性が、父親として熱心に捜し求められるかもしれないし、一方、ほかの男性は、愛人としては受け入れられるかもしれないが、父親としてははねつけられるかもしれない。(この章は、特にプラトンの『国家』を想起させる。)
第19章「性と個人の福祉」――性を罪悪視する古い道徳によって、幼年時代から、思春期、青年期を経て結婚にいたるまで、愛が損なわれてきた。古い道徳は愛を、性の肉体的な衝動と、理想的な愛の精神的な衝動の2つの領域に分離し、前者を獣的に、後者を不毛のものにした。人生は、こういうふうに送るべきものではない。男女の愛は、最上のかたちでは、肉体と精神が等しい割合で合成されたものである。肉体的基礎があるから理想化することを恐れず、肉体的基礎のために理想化がさまたげられはしないかと心配することもない。
第20章「人間の価値の中の性の位置」――人間生活で最上のものはすべて性とかかわりがあるわけではない。科学は性とかかわりがないし、重要な社会的・政治的活動も同様である。芸術家以外の最も偉大な人びとは、性とかかわりのない動機から重要な仕事をしてきたのである。
第21章「結論」――本書で説く原理は、放縦の原理ではない。この原理は、因習的な道徳とはほとんど同じくらいの自制を必要とするのである。しかし、自制は、自分自身の自由を抑制するよりも、むしろ、他人の自由への干渉を控えることに適用される。
 よい結婚の神髄は、お互いの人格に対する尊敬と、それに肉体的にも、知的にも、精神的にも深い親密さが結びついていることである。そういう尊敬こそが、男女間のまじめな愛情を、人間のあらゆる経験のうちで最も実り豊かなものにしてくれるのである。

 本書の翻訳は、Bertrand Russell; Marriage and Morals(Allen and Unwin, 1929)の初版の第6刷(1938)を底本としておこなわれ、一箇所の誤植は普及版の Unwin Books の第7刷(1972)によって訂正した。本書には、訳者の知っている限りでも、以前3種類の邦訳があり(現在いずれも絶版)、そのうち2点を参照することができ、有益であった。ただ、多くの箇所で解釈を異にせざるをえなかった。なお、訳文中の圏点を施した箇所は原文のイタリック体を表わし、*、**は原注を、(1)、(2)などは訳注の通し番号を示している。原文で大文字の用語は、訳文では〈 〉でくくって示した。

 本書の出版にあたっては、いつものことながら、多くのかたがたのお世話になった。まず、同僚のティモシー・アービン氏、ジョエル・ハリス氏は、テクストの解釈に関する、度重なる煩わしいディスカッションに快く応じてくださった。
 
 固有名詞に関する情報や、作者名のない引用詩の出典に関しては、ブリティッシュ・ライブラリー、アメリカン・センターのありがたいご援助をいただいた。河野眞博士からはプラトンの対話編について,宮城徹氏からは1920年代の日本とオーストラリアの敵対について、高橋規矩氏からはシュリー詩の出典と、ジェーン・ウィリアムズ、エミリア・ヴィヴィアーニについて、それぞれ、貴重なご教示をいただいた。
 参考文献の探索については、広島市立中央図書館、京都産業大学図書館、とりわけ安田女子大学図書館に一方ならぬお世話になった。
 岩波書店の鈴木稔部長は本書の翻訳を提案された上、いろいろと細かいご高配をいただいた。塩尻親雄課長は本書の編集を担当され、訳文を洗練するための提言を惜しまれなかった。
 ここに記して、以上のかたがたのご厚意に心からお礼を申しあげる次第である。
 1995年12月吉日  安 藤 貞 雄