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バートランド・ラッセルのポータルサイト


バートランド・ラッセル(著),金子務・佐竹誠也(共訳)
『相対性理論の認識』(白揚社,1971年6月刊。226pp.)

* 原著:The ABC of Relativity, 1925.

訳者あとがき(金子務・佐竹誠也)


 この The ABC of Relativity が初めて出版されたのは,1925年,ラッセル卿52歳のときのことです. 序文にもあるように,この書は,イギリスの物理学者 F. ピラニー氏の助けによって,1958年と1969年の2回にわたってかなり手がいれられ,とくにラッセルが鬼籍にはいる前年にあたる1969年の第3版では,約13カ所にわたって数行から10数行に及ぶ改訂を加えて,数字や新しい実験データを補なっています. とはいえ,相対性理論が発表されて数年,それを真に理解しているのは,アインシュタインとラッセルの2人しかいない,といわれたものですが,そういう巷間の評判にふさわしいラッセルの論理の展開は,骨組みどおり,なんの変更も必要としないまま読者に示されています. もちろん本訳書の底本は第3版によっています.(松下注:Routledge より,1997年7月に,第5版がでている。)
 ラッセルについてはいまさら説明を要しないでしょう. ホワイトヘッドとの共著で代表作となっている『数学原理』(プリンキピア・マテマティカ)をはじめ,哲学,論理学,科学論,幸福論,結婚論,政治論など60冊以上の著書を世に出し,1970年2月2日,97歳でその波乱に富んだ人生を閉じています. 「わたしの人生を支配してきたのは,単純ではあるが,圧倒的に強い3つの情熱である――愛への熱望,知識の探求,それから苦悩する人類のためにそそぐ無限の同情である」といっていますが,3回の結婚歴(松下注:4回のまちがい),身を挺しての世界平和運動は,こうした著作に現われる知的情熱とからみあって,巨人ラッセルをつくっているわけです.
 一方,アインシュタインは,ニュートン以来の大物理学者であり,20世紀物理学の土台をつくったといっても過言ではありますまい. そこで,この2人の人間的交流とアインシュタインの相対性理論がラッセルの哲学思想に及ぼした影響という観点から,2,3,メモとして気づいたことを記しておきます.

 二人の人間的交流

 アインシュタインとラッセルという,20世紀を飾るにふさわしい両巨星は,歩んだ道は違っても,奇妙なほどその道は交錯し,互いに大きな影響を,その思想と行動に投げかけているようです.(写真:B. Russell and Einstein) とくに福竜丸の死の灰事件として名高いビキニの水爆実験(1954年3月1日)人類の危機(Man's peril)としてとらえ,全世界に訴えた「ラッセル=アインシュタイン声明(1955年7月9日)は,ラッセルが作成した案文に,アインシュタインが死の2日前に署名したといういきさつを持つ歴史的なものです. この声明には,さらに日本の湯川博士などのノーベル賞受賞科学者らが署名し,その精神は2年後の第1回パグウォッシュ世界科学者会議に結実して,ラッセルはその議長に推挙されました. ここではそれ以後のラッセルの平和運動についてのべるわけにはいきませんが,89歳でヒロシマ・デー抗議集会デモを指導して逮捕されたり(1961年),ベトナム戦犯国際裁判(いわゆるラッセル法廷)を主催したり(1966年)するなど,戦後の行動的な平和主義者ラッセルの原点には,このラッセル=アインシュタイン声明があることを忘れてはならないでしょう.
 ラッセルとアインシュタインとの(直接的な)親交は,ラッセルが1938年,シカゴ大学の哲学の客員教授として招聘されて送った6年間のアメリカ生活の終わりごろ,プリンストンに転居して始まっています. アインシュタインは,すでにナチ・ドイツのユダヤ人迫害を避けて,アメリカのプリンストン高等研究所の教授として活躍していました. このとき2人の巨人が何を語り,何を見たかはわかりませんが,戦後のラッセルの核兵器絶滅をとく平和運動の芽生えは,すでにそこにあったのかも知れません.
 ラッセルは後年著わした Unpopular Essays(1950年刊/邦訳書:山田英世・市井三郎共訳『反俗評論集』,理想社)の中で,アインシュタインをこう賞讃しています.
「最大の科学者たちは,優れた知性と子どものような単純さとの結びつきから派生するところの,特別な種類の感銘を人に与えるものだ. "単純さ" とわたしがいうのは, 利口さの欠如を含む何物かという意味ではない. わたしが意味するのは,ある意見や行動を表明して,それが世間的にどんな利益があるか,不利益があるかといったことを顧慮することなしに,非個人的に思考する習慣のことである. わたしの知り合った科学者の中では,この種の特質を最高の度合で示す好例は,アインシュタインである.…」
 またアインシュタインもこうラッセルを讃えています.
「われわれは,ラッセルを理解することができるようになるところまで,われわれの知性を高めねばならない. 彼はそれほど秀でた人類の英知である.……」
 ところで,この2人について語る場合,とくに日本人として忘れられないのは,原爆以前の遠い昔,大正年間に相前後して日本を訪問していることです. アインシュタインは,1922年秋,ラッセルはその1年前の1921年夏,それぞれ当時の改造社の招きで来日して,各地で講演をやり聴衆に多大の感銘を与えたものです.(松下注:ラッセルは病後まもなかったため,一般大衆向けの講演は,右の写真の慶應義塾大学大講堂で1回のみ実施/アインシュタインの来日は,改造社の山本社長にラッセルなど複数の識者がアインシュタインを推薦したため実現。山本実彦は当時の回想記で,ラッセルによる推薦については明確にかいているが,西田幾多郎については記述はない。ウィキペディアの説明では,西田幾多郎ほかの推薦によると書いている。アインシュタインと日本)とくにアインシュタインは,日本訪問の途上,船中でノーベル物理学賞を受賞しています. またアインシュタインの訪日を間近に控えた『改造』10月号には,ラッセルの「相対性理論」が巻頭論文として掲載されており,いま読んでみると,ここに翻訳した The ABC of Relativity の要約のような印象を受けます. それも当然といえば当然です. その寄稿の3年後に,この相対性理論の解説書をラッセルは出版しているのですから.

 ラッセル哲学と相対性理論

 この本を読めばおわかりのように,第1章から第6章までが特殊相対性理論,第7章以下11章までが一般相対性理論,第12章から15章までが哲学的解析にあたると思います. ラッセル特有のたくみな比喩と論理によって,相対性理論のもつ奥行きはみごとに描き出されています. とくに哲学者らしく,特殊・一般の両理論を通じて重要である '事象とそのへだたり' についての概念は,きわめてていねいに説明していますが,とくに最後の章にかけて,ラッセルは物質を事象に置きかえる哲学を開陳しています. たとえば,「……相対性理論が私たちの想像力に訴える世界は,'運動'中の'もの'の世界というよりも,むしろ事象の世界です. 依然として,粒子が存続しているように思われるのは事実ですが,これらの粒子は,現実に歌の相続く音符のように,関連のある事象のつながりと考えるべきものです. 相対性物理学の素材となるものは事象なのです.……」(p.206)というぐあいです. ラッセルは物質ではなく事象を重くみるから主観主義者だと思ったら間違いです.『物質の分析』(The Analysis of Matter, 1927)という著書の中で,「相対性理論は,すべての物理学がそうであるように,さまざまな人が観測できる現象があるという実在論的な仮定をしている」と評価していることからもそれは推測できます. こういうラッセルの立場は,いわゆる論理的実証主義のそれ,と考えてよいのでしょう. 世界の要素は事物(things)ではなく,事象(events)である,という信念は,もちろん友人であるホワィトヘッドの思想とも共通するものですが,その信念の根底に,アインシュタインの相対性理論があると考えられます.
 ラッセルがアメリカの哲学者 A. P. ウシェンコに手紙で答えたものによると,アインシュタインの相対性理論がラッセルに与えた影響は直接的ではなかったようです。
 「ニュートン的な絶対時間と絶対空間,それにまた物質粒子ということを放棄して,事象(events)の系に置きかえるようにしたのは,ホワイトヘッドに導かれてでした」と明言しています. 1914年ごろのことです. しかしラッセル哲学の根本にある「事象の哲学」は「アインシュタィンの理論とぴったり合った」といっています. それはまた,つぎのような引用を見れば,このへんの気分がよくわかると思います.
 たとえばホワイトヘッドの Process and Reality の一節に
「アインシュタイン以来,さらにはハイゼンベルグとシュレディンガー以来,物理的世界は,もはや3次元空間を運動する恒久的な物質の固まりからなると見るのでなく,時=空における事象の4次元的多様性と見られる.……」
とあるのと,まさにぴたり一致していますし,さらにアインシュタイン自身の The Meaning of Relativity(『相対論の意味』,矢野健太郎訳: 岩波書店)の中のつぎの文も同じ趣旨です。
「物理的実在性を持っているのは,なにかが起こる空間中の一点でも,時間中の一瞬でもなく,その事象そのものだけである....4次元連続体を3次元空間と1次元時間連続体とに分けることに,なんら客観的合理的なものが存在しないという事情は,自然の法則が,4次元時空連続体中の法則として表わされたときに,論理的にもっとも満足な形をとることを示している…」
 では,アインシュタインとラッセルは(それにホワイトヘッドもいれて),物理学を物質ではなく事象の上に建設できることに意見の一致を見たといえるのでしょうか. その点になると,アインシュタインは,量子論の解釈をめぐって最後まで古典的実在論の立場を捨てず少数派として留まったのと似て,ラッセル的解釈には拒絶反応に近い態度を晩年に見せていたようです.
 アインシュタインの考えでは,事象の諸性質の束(sense data)のようなもので物質(物理的物体)を置きかえてしまったら,どうやって,まったく同じ諸性質の束が2つあったとしても,たとえばパリのエッフェル塔とニューヨークのそれとを区別できようか,という反論で,それを区別するには束同士の時=空的配置の差を考えざるを得まい,というのです. そしてその時=空的な点は,拡がりをもった日常的な事象の性質の束から,論理的に導くのはむりであり,事象では説明しきれない,というのですが,これにはラッセルの方でも異論があるはずです. 事実,ラッセルは,事象の束の交錯によって時=空的な点(事象は測地線そのものであり,多くの測地線の交わるところを"点"と呼ぶ)を論理的に考えています. もっともこのような論理的操作を量子力学的レベルに適用するとなると,位置と運動量についての不確定性関係によって,これらの事象を一点で交わらせることは不可能になるはずですが,ラッセルはその点についてどう考えていたのか不明です.

 これ以上の詳しい話は,訳者にとって適任ではありません. 興味のある方は,ラッセルやアインシュタインのそれぞれの著作を見るか,シュリップ(P. A.Schlipp)の編集した哲学叢書(The Library of Living Philosophy)の中にある Albert Einstein とBertrand Russell 中の諸論文を読まれるとよいと思います. ただラッセルたちの事象哲学は,物理学の解釈には有効と思いますが,それを構築していく上で,どれほど生産的であるか,議論がつきない点だと思います. たとえば事象の哲学では,自然の階層性をどうとらえたらよいのか,疑問です. しかしそれはそれとして,ラッセル哲学に関心のある人には,この The ABC of Relativity が必読の書であることは間違いのないものですし,そういう興味を離れて,相対性理論の解説書として読んでも,世界でもっとも息の長い古典的名著であることは,だれしも認めるところでしょう. 事実,この3版改訂版も,いちはやくポケット版となって出版されています。

 おわりに,この本の翻訳についてですが,1章から7章までは金子が,8章以下15章までは佐竹がそれぞれ下訳した上で,たがいにその訳を読みあい,その場で細部にわたって議論し,意味を明確にさせ,さらに原稿を交換して推こうした上で,必要なところは共同で注をいれました. さらに索引も少しばかり工夫して実際に参照しやすい項目を立てることにしました. このため,20回以上の会合を重ね,翻訳に着手してから10ヵ月近くもの時間がかかり,ラッセル1周忌も巡ってきてしまいました. もちろん,とはいっても翻訳には完全などということはありませんから,未熟な個所や誤りもあるかもしれません. それは読者の方々の御叱正によって訂正していきたいと思っています.
 最後に,この本の注をつけるにあたって2,3の御教示をいただいた漢学者の高田真治氏,東大教養学科イギリス分科の秦裕子氏,および進行の遅延にもめげずたえず激励してくれた白揚社の新藤八郎氏に感謝いたします.
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