バートランド・ラッセル「性教育」

牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収

* Source: On Education, 1926, pt.2, chap.12.

 両親の間の性を、子供に目隠しする、よからぬ秘密であるという印象を与えるのは特に悪い。性について他の子から下手に教えられる危険が全く無ければ、子供の好奇心の自然な働きにまかせてよい。思春期の生理的、感情的変化のある時に、少年少女を打ちのめすのは残酷ゆえ、思春期前に性を理解させることが絶対必要だ。
 性の問題全体は、思春期以後は余りに刺激が強く、冷静に、科学的な聞き方ができない。もっと幼少な時期に性的行為の性質を知る必要がある。何歳が適当かは環境いかんによる。どんなに幼くとも、子供から性の質問があれば答えるべきで、十歳以前には、動植物の生殖を例に、普通日常的なことのように冷静に語るべきである。
 狭い意味での性道徳の教えは、キリスト教と回教、新教と旧教、自由思想家と中世的思想家の間でちがう。私はこの中に国家が介入するのを好まないが、共通する原則論とみるべき項目は確かにある。
 第一項 衛生問題、若い者は正確な性病の知識、予防法、治し方を学ばねばならぬ。梅毒を背負って生れて来る幼児の苦悩を思えば当然である。
 第二項 青年には特に女性の妊娠、出産が甚だ厳粛な事柄だと自覚させねばならない。幼児の健康と幸福の保障がない限り子供を持たない決意、幼児の権利を保障する配慮にこそ、道徳教育の本質的部分がある。少女には、母になることへの期待を教えるべきで、母になる能力の初期の知識を与えねばならない。知識のない本能は、本能を欠く知識同様、不適切だ。知識を理解すればするほど、良い母であることに娘は心引かれる。
 教養が高いほど、今日、女性が母になることを知的能力の向上の点から軽蔑しているのは全く不幸である。母となる方向に女性の知能が向けられることに、(教養の高い)彼女こそ最も良い母となるという意義が宿っているからである。
 性的愛情について教える時、嫉妬を己の権利の正当な要求とみずに、嫉妬心により、双方が傷つく悪とみなす心情を教えなければ不幸である。愛情の中に所有的な要素を介入させると、愛は本来の力を失い、人格を喰い荒らすからである。愛は義務であるべきではなく、天の与える最善の賜物だからである。
(挿絵:ラッセルの Marriage and Morals(1929)に対するアメリカ人の反応の一例: From B. Russell and His World, by R. Clark, 1981, p.79.)

Sex must be treated from the first as natural, delightful, and decent. To do otherwise is to poison the relations of men and women , parents and children. Sex is at its best between a father and mother who love each other and their children. It is far better that children should first know of sex in the relations of their parents than that they should derive their first impressions from ribaldry. It is particularly bad that they should discover sex between their parents as a guilty secret which has been concealed from them.