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バートランド・ラッセル 宗教と科学 第5章(松下 訳)- Religion and Science, 1935, by Bertrand Russell

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第5章 魂と肉体 n.7 - 主観が不存在なら不死も不存在?


ラッセルの言葉366
 自分(私)は昨日の自分(私)と同じ人物であるという「ある種の」意識が明らかに存在する。また,もっと明白な例をあげれば,もし私がある一人の人を見ると同時に彼が話しをしているのを聞いたとすれば,見ている私と聞いている私とは同じ(同一人物)であるという「ある種の」意識が存在している。こうして,私がなんらかの物を知覚する時,私と事物との間には関係が存在すると考えられるようになる。(即ち)知覚する(ところの)は「主観」であり,知覚されるもの(事物)は「客観」である。不幸なことに,(結局)主観については何も知ることができないことがわかった(turned out 判明した)。即ち,主観は常に他の事物を知覚しているが,それ自身を知覚することはできない(のである)。D.ヒユームは,大胆にも主観というようなものは存在しないと否定したが,このこと(注:それ自身=主観自身を知覚できないこと?)で決して主観は否定されない。もし主観が存在しないとしたら不死であるものは何か? 自由意志を持っている(有している)ものは何か? 地上でを犯し地獄でせられるものは何か? これらの疑問に回答不能となる(注:なってしまう→道徳・倫理の問題がなくなってしまう)。ヒユームは答えを見出したいとは思わなかったが,他の者たちはヒュームほどの図太さ(大胆さ)(hardihood)にかけていた。

Chapter V Soul and Body, n.7


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There is obviously some sense in which I am the same person as I was yesterday, and, to take an even more obvious example, if I simultaneously see a man and hear him speaking, there is some sense in which the I that sees is the same as the I that hears. It thus came to be thought that, when I perceive anything, there is a relation between me and the thing : I who perceive am the "subject," and the thing perceived is the "object." Unfortunately it turned out that nothing could be known about the subject : it was always perceiving other things, but could not perceive itself. Hume boldly denied that there was such a thing as the subject, but this would never do. If there was no subject, what was it that was immortal? What was it that had free will? What was it that sinned on earth and was punished in hell? Such questions were unanswerable. Hume had no wish to find an answer, but others lacked his hardihood,
(掲載日:2018.10.23/更新日: )