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バートランド・ラッセル 権力 第15章 (松下彰良 訳)- Power, 1938, by Bertrand Russell

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第15章 権力と道徳律, n.10 - 教会の道徳的権威


ラッセルの言葉366
 教会の場合権力と道徳との関係は,ある程度まで,我々がこれまで考察してきた場合(cases いろいろな事例)(においてそうであること)と反対の関係である。実際的道徳(positive morality 実定道徳:社会全体で実際に受け入れられている道徳観やエチケット)は,両親に従え,に従え,に従え,と命ずるのは,それら(両親,夫,王)に権力があるからである。しかし,教会権力があるのは,教会が道徳的権威をもっているからである(注:「権力保有→道徳押し付け」(という関係の)の反対の「道徳体現→権力行使」)。けれども,これはある程度まで真実であるにすぎない。教会が安定している所においては,教会に対する服従の道徳は、ちょうど両親や夫や王に対する服従の道徳と同様に,成長する。そうして,そのような服従の道徳の革命的な拒絶(反応)も同様に成長する。(たとえば)異端分派(注:schism : 分裂して別の宗派をつくること)は特に教会が忌みきらうもの(abhorrent 忌まわしいもの)であり,従ってそれはまた革命的な計画においては必須の要素である。けれども,聖職者(僧侶)の権力への抵抗にはもっと複雑な結果が存在している。(即ち)教会道徳律(moral code 道徳規範)の公式の守護者であるので,教会に対する敵対者(敵)は,教義と(教会による)統治において敵対するのと同様に,道徳においても反抗しがちである。彼ら(そうした人々)は,清教徒のように,反逆し、より厳格の度を増してゆく者もいれば,フランス革命党員のようにより放縦の度を増してゆく者もいる。しかしいずれ(どちら)の場合においても,道徳は(次第に)私的な事柄となってゆき,以前のように,公的な団体が公式に決定した問題というようなものではなくなっていく(のである)。

Chapter 15: Power and Moral Codes, n.10

In the case of the Church, the relation between power and morals is, to some extent, the opposite of what it is in the cases we have hitherto considered. Positive morality enjoins submission to parents, husbands, and kings, because they are powerful; but the Church is powerful because of its moral authority. This, however, is only true up to a point. Where the Church is secure, a morality of submission to the Church grows up, just as a morality of submission to parents, husbands, and kings has grown up. And a revolutionary rejection of this morality of submission also grows up in the same way. Heresy and schism are specially abhorrent to the Church, and are therefore essential elements in revolutionary programmes. There are, however, more complicated results of opposition to priestly power. The Church being the official guardian of the moral code, its opponents are likely to revolt in morals as well as in doctrine and government. They may revolt, like the Puritans, into greater strictness, or, like the French Revolutionaries, into greater laxity; but in either case morals come to be a private matter, not, as before, the subject of official decisions by a public body.
(掲載日:2018.02.28 /更新日: )