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バートランド・ラッセル 権力 第10章 (松下 訳) - Power, 1938, by Bertrand Russell

Back(前ページ) Next(次ページ) 第10章__イントロ索引 Contents(総目次)

第10章 権力の源泉としての信条 n.6 - 権力の厳選としての信念・信条


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 私が(今)問おうとしている疑問は,次のように広義のもの(疑問)ではない。即ち,思想の自由は奨励されるべきかとか,あるいは,少なくとも思想の自由に対して寛大であるべきか,というような疑問ではない。私が問おうとしているのは,次のようなもっと狭義の疑問である。即ち,統一的な信念/信条(注:多くの人が同じ信念を持つこと)は -自発的なものであろうと権力(権威)によって押しつけられたものであろうと- どの程度まで権力の源泉となるであろうか,という疑問であり,また,一方,思想の自由が果してどの程度まで権力の源泉となるか,という疑問である。
 英国の遠征軍1905年チベットに侵攻した時,チベット人たちは当初勇敢に進軍したが,それはラマ僧たちが彼らに弾丸よけの護符(お守り)(magic charms)を与えていたからであった(注:これは「統一的な信念」の象徴)。にもかかわらず,死傷者(casualities)が続出するや,ラマ僧たち弾丸の先ニッケルでできていることを(観察によって)見つけ(observed),護符に対してだけ利き目があると説明した。以後,チベット軍の士気は下がった。クン・ベラ(Kun Bela, 1886-1939:ハンガリーの共産主義者)クルト・アイスナー(注:Kurt Eisner, 1867-1919:第一次世界大戦直後,ミュンヘン革命の中心人物としてバイエルン自由国の暫定首相に就任)共産主義革命を起した際,彼らは唯物弁証法が自分たちのために戦ってくれているという自信をもっていた。彼らの失敗が,コミンテルンのラマ僧(に当たる人)によってどのような説明をなされたか,私は忘れてしまった(注:冗談?)。これらの2つの例においては,統一的な信念(一律の信条を多くの人が抱くこと)によって勝利はもたらされなかった。

Chapter X: Creeds as Sources of Power, n.6

The question I am asking is not the broad one: Should freedom of thought be encouraged, or at least tolerated? I am asking a narrower question : To what extent is a uniform creed, whether spontaneous or imposed by authority, a source of power? And to what extent, on the other hand, is freedom of thought a source of power?

When a British military expedition invaded Tibet in 1905, the Tibetans at first advanced boldly, because the Lamas had given them magic charms against bullets. When they nevertheless had casualties, the Lamas observed that the bullets were nickel-pointed, and explained that their charms were only effective against lead. After this, the Tibetan armies showed less valour. When Bela Kun and Kurt Eisner made Communist revolutions, they were confident that Dialectical Materialism was fighting for them. I forget what explanation of their failure was offered by the Lamas of the Comintern. In these two instances, uniformity of creed did not lead to victory.
(掲載日:2017.10.15 /更新日: )