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Marriage and Morals, 1929

ラッセル『結婚論(結婚と性道徳)』(松下彰良・訳)

第九章 人生における恋愛の位置 n.11

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 第九章 人生における恋愛の位置 n.11

 人生において恋愛に(対し)正当な位置を与えよという主張(a recognized place 社会的に認められた地位)、これまで見てきたように、非常に強いものである。しかし、恋愛は無政府的な力であって、もし自由にしておけば、法律や慣習が設けた枠(bounds 境界線)の中にとどまり続けることはないであろう。子どもが関係してこない限り(子どもが両者にいない限り,あるいは妊娠していない限り)、これは、大した問題ではないかも知れない。しかし、子どもが(両者の間に)登場するやいなや、我々は、違った領域にはいっていく。そこでは、恋愛は、もはや自律的なものではなく、人類(race ここでは「民族」ではなく「人類」)生物学的な目的に役立つのである。
 子供に結びついた(関わる)社会的な倫理が存在しなければならない。この社会的な倫理は、情熱的な恋愛と衝突する場合には、恋愛の要求に優先しなければならない(安藤訳では,「この社会的な倫理は、情熱的な愛と衝突する場合には、愛の要求に応じないかもしれない。」となっているが, override はここでは,(あることが他のことに)「優先する」という意味ととった方がよいであろう)。けれども、賢明な(社会的)倫理は、この衝突を最小限なものにするであろう。恋愛は、それ自体よいものであるだけでなく、両親が愛しあっている場合のほうが、子どにとってもよいものであるからである。子供の利益と両立するかぎり、できるだけ恋愛に(社会が)干渉しないことが、賢明な性道徳の主な目的の一つでなければならない。けれども,この話題は、家族について考察を終えないうちは、論じることはできない。

Chapter IX: The place of love in human life, n.11

The claims of love to a recognized place in human life are, as we have seen, very great. But love is an anarchic force which, if it is left free, will not remain within any bounds set by law or custom. So long as children are not involved, this may not greatly matter. But as soon as children appear we are in a different region, where love is no longer autonomous but serves the biological purposes of the race. There has to be a social ethic connected with children, which may, where there is conflict, override the claims of passionate love. A wise ethic will, however, minimize this conflict to the uttermost, not only because love is good in itself, but also because it is good for children when their parents love each other. To secure as little interference with love as is compatible with the interests of children should be one of the main purposes of a wise sexual ethic. This topic, however, cannot be discussed until we have considered the family.
(掲載日:2016.09.09 /更新日: )