本館) (トップ) (分館)

バートランド・ラッセルのポータルサイト



牧野力(編)『ラッセル思想辞典』より

正義の分析


 正義」という考えを心理的に分析すれば、それは'望ましくない情熱'に根ざした、理性的に認められそうもないものであると私には思える。
 正義は不正と一緒に取り上げるべきである。一方を強調し、他方を見逃すことはできない。

 実際において「不正」とは何か。それは、現実には群集の嫌う行為である。'不正'と呼ぶ考えの中心に念の入った倫理体系を投入し、その嫌悪する対象に罰を加えて、群集は自己を正当化しているのである。その一方で、同様な正当化から、次に、群集自体の残酷な衝動を野放しにする。この瞬間から自尊心が強化され、リンチを行う心情に走る。
 正義の概念の心髄は、'正義という仮面'をかぶり、加虐症(サディズム)に吐け口を与えることにある。
 教会が正義を認め、不正を否認することにより、正義という概念に包んで、群集の反感を正当化するものとなる。
 宗教に具現される人間的衝動は、恐怖・自負・嫌悪の三つで、宗教の目的はこれら三つの衝動を包む情熱に、お上品さを与えることだったとも言える。宗教が一つの悪の力であるのは、大体において、宗教がこれらの情熱を野放しにさせるからである。宗教という承認のお墨付きがなければ、少なくともある程度抑制されたはずだ。
 人類は昔から、人間の主要な特徴として、恐怖と嫌悪とを感じて来たし、今後も感ずるだろうが、最上の対処法は、今までと違う、もっと有害でない一定の道筋にその衝動を導くことにある。教会の正義の概念は最善の導入法ではない。
 根本的解答は、嫌悪と恐怖の衝動を、現代の心理学的知識と産業技術とにより、人間生活から排除するということなのである。 (挿絵:From Russell's The Good Citizen's Alphabet,1954)