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バートランド・ラッセルのポータルサイト



R.カスリルズ、B.フェインベルグ(編),日高一輝(訳)
『拝啓バートランド・ラッセル様(市民との往復書簡集)

目 次

II.「平和と政治」関係書簡・解説
英文(原文)

'水素爆弾(核兵器)に関して最も重要な点は、
いかなる状況でも使用してはならないということである。'

 水爆(核兵器)が人類を害する隔世遺伝の(暴)力?(注:atavistic forces 放射能は子孫までも被害をもたらすということ)を'象徴'するものとなったとき、バートランド・ラッセルは、まさにそれに抵抗する正反対の存在(アンチ・テーゼ)となり、人道のチャンピオンとして大きく浮かび上がった。彼は、核の危険を避けるためには、それに反対する大衆の力を呼び起こす以外に道はないと考えた。彼は断言した――
「もしわれわれが生きのびようとするならば、絶対に必要なことは、戦争を容認することではなく、戦争に反対することである」
 1960年までに彼は、大衆による抵抗運動に没入し、トラファルガー広場において、CND(核兵器撤廃運動)のデモ参加者に向かって演説した。そして、市民不服従運動を、核戦争反対の世論を組織化するための最も効果的な方法として、人々に熱心に説いた。その翌年、89歳の時、ラッセルは、ホワイトホール(ロンドン官庁街)の国防省前での大衆坐り込みデモを指導した(右写真参照)。彼とエディス夫人は、このときのデモやそれ以外の抗議デモで果たした役割のため、2ヵ月の投獄を宣告された。(実際には健康上の理由で1週間に減刑された。)

 1962年には、キューバ危機で世界がかたずをのんだとき、ラッセルはフルシチョフとケネディとの間の調停役をはたしていた。「この危機を解決したことは、そのためにささげた1週間をわが全生涯のうちで最も価値あるものにしてくれた。」と彼は述べている。後に彼は、これと同様の役割を、中印国境紛争に関して、ネールと周恩来との間で果たすこととなった。彼は次第に「第三世界」が直面する問題に介入していった。そして1963年までに、ヴェトナムにおける平和の問題にそのエネルギーをささげるようになっていた。
 全世界の何百万という普通一般の民衆がラッセルにつき従い、ラッセルに喝采をあびせたのは、1960年代初期の緊張と不安のこの時期であり、核の危険と戦争の脅威に抵抗するデモと一般民衆の反発とが最高潮に達した時代であった。Herbert Gottschalk が、彼が書いた短いラッセル伝の中で次のように述べているが、まさに適切な表現である――
いつか世界は、バートランド・ラッセルの哲学上の業績や、彼の私生活の細部について興味をひかれるよりは、彼がわれわれに示した勇気と人間の尊厳のすばらしい模範のほうにより以上にひかれることであろう
 ラッセルを誹謗中傷する人々は、あたかも彼が政治に立ち入ったまねをしたかのように、彼の人道のための不屈の献身を悪く言おうとした。「大衆による抵抗」は、ある方面(の人々)からは非常に恐れられている言葉ではあるが、それ以上に、かれらがどうにも容赦できないと感じるのは、現実に生きている貴族であり、おまけに哲学者であるラッセルがその運動の主唱者となり、味方であるはずの権威ある国家の柱石(重要人物)たちを打倒しはじめることである。このような批評家たちの見方は、まちがっているとともにばかげたものである。もしラッセルの生涯をよく研究する労をとってくれれば、原(水)爆やヴェトナム戦争に反対する彼の立場には不適当なものは何一つないということがすぐにあきらかとなる。それどころか反対に、彼が「政治に乱入」したといわれることも、全ての人類が未来をもつべきだという、彼にとって最重要な関心事から出てくるのであり、またその当然の論理的帰結なのである。このようにして、彼は南アフリカにおける民族隔離制作(アパルトヘイト)の犠牲者を支援したし、同様の理由で、1878年(ラッセル6歳の時)に英国が行なったアフガン戦争(彼が「わたしのいちばん最初の政治上の思い出」と呼んでいるもの)を非難したのである。

の画像  彼の最近の活動は、従来よりはるかに広範囲の舞台でくり広げられているが、まさにこれに匹敵するような数年間をずっと以前に、すなわち、欺瞞的かつ恐怖にみちた第一次世界大戦に反対し、平和と良心的参戦拒否のために世論を喚起する運動を活発に展開した時に経験しているのである。同様に思い出されるのは、当時ラッセルが苦しめられた激しい非難と迫害である。彼は、反戦のための'扇動的'なリーフレットを執筆したという理由で百ポンドの罰金刑に処され、ケンブリッジ大学のトリニティ・コレッジにおける講師の職を突如として免ぜられ、(ラッセルが)敵の潜水艦に信号を送るかもしれないという懸念から、海岸に近寄ることが禁止された(後に投獄された)。けれどもそのうちに、だんだんと冷静な見方がされて、あれほど多くの人々にショックを与えたラッセルの考え方は、正常であり、正しい心によるものであり、さらには尊敬すべきものであるとさえ認められるようになった。

 バートランド・ラッセルの過去の業績を認めつつも、しかも今日の彼の言動を不可解にも非難する人々は、彼が人類の生存のために戦ってきたその一貫性をよく思い出してもらいたいものである。そうすれば、これらラッセルを非難する人たちも、かつて論争に花を咲かせたときと同じように、いずれ現在ラッセルが一生懸命に努力しつつあることがいかに正当なものであるかを理解し、それに敬意をはらうようになるにちがいない。こうしたことも、またバートランド・ラッセルの生涯をかけての仕事も、もしも核による大虐殺が中絶されなければ、すべて無駄になることはもちろんのことである。