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バートランド・ラッセル「子供の遊び」

出典: On Education, especially in early childhool, pt.2, chap. 5, 1926

牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収



 遊びを好むことは,人間にせよ,獣にせよ,若い動物を区別する最もはっきりした特徴である。人間の子供の場合,遊びはまねごとに対する尽きせぬ喜びを伴う。遊びとまねごとは,幼年期の子供に不可欠のものである。だから,子供を幸福で健康にしてあげたいと思うのならば,そういう活動が何か他にも役にたつかどうかは抜きにして,それらの機会を与えてあげなければならない。・・・。遊びをするとき,どの種に属する動物の子供も,将来真剣にやることになる活動の予行演習をしている。・・・。
 子供は,ごく幼いころから,年長者のすることをしたがるもので,それは人まねをする習慣によって明らかである。兄や姉は役にたつ。なぜなら,兄は姉の意図は理解できるし,彼らの能力はおとなの能力ほど手の届かないものではないからだ。また,子供はかなり強い劣等感を持っている。正しく指導すれば,劣等感が努力への刺激となるのに対し,抑圧される場合には不幸の原因になる可能性がある。・・・。

 遊びには,(権)力への意志の2種類の形(いろいろなことがらのやり方を学ぶことを旨とするものと,空想にふけることを旨とするもの)が見られる。・・・。正常な子供は,巨人とか,ライオンとか,列車などになりたがる。まねごとによって,彼は(相手に)恐怖感をかきたてようとする。私は,息子(John)に「巨人退治のジャック」の話を聞かせたとき,私は息子をジャックに見立てるようにし向けたが,息子は断固として巨人の方を選んだ。・・・。
 しかし,(権)力への意志が子供の遊びの唯一の源泉だとするのは,不当な単純化のそしりを免れない。子供はまた,怖がるまねをして楽しむ。・・・。
 子供の生活の中にある強い衝動は,大部分遊びの中に反映されているように思われる。・・・。
 遊びの教育的な価値について言えば,新しい能力を身につけることを旨とするような遊びは,皆ほめるだろうが,まねごとを旨とするような遊びには,多くの近代人は懐疑の目を向けている。・・・。これはまったく間違った考え方だと思う。・・・。子供はまねごとと現実との区別がつかないとよく言われるが,そう信ずべき理由はほとんど見いだせない。我々はハムレットが実在したとは信じていないが,ハムレットの芝居を見て楽しんでいるときにそのことを常に思い出させる人がいたら,きっと腹を立てるだろう。同様に子供達も,へたに現実を思い出させる人には腹を立てるが,それでいて,自分の作り事に騙されているわけでは決してない。・・・。
 '真理'と'事実'とを混同するのは危険な誤りである。私たちの人生は,'事実'だけではない,'希望'によっても支配されている。事実の他に何も見ない正直さは,人間の精神にとって牢獄である。夢が非難に値するのは,現実を変革しようとする努力の怠惰な代用品になっている場合のみである。夢が刺激剤となっている場合は,人間の理想を実現する上で実に重要な目的を果たしている。幼年期の空想を殺してしまえば,現実への奴隷,すなわち,子供を大地に(鎖で)繋ぎ,それによって天国を創造(理想を実現)することのできない人間を作ることになる。(写真:Beacon Hill School にて)

It is commonly said that children do not distinguish between pretense and reality, but I see very little reason to believe this. We do not believe that Hamlet ever existed, but we should be annoyed by a man who kept reminding us of this while we were enjoying the play. So children are annoyed by a tactless reminder of reality, but are not in the least taken in by their own make-believe.