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バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 - My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell

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第18章 「批評に対する若干の返答」その2_論理学と存在論 08


ラッセル英単語・熟語1500
普遍者は存在するか」という問いは多用な解釈が可能である。第一に、存在記号の意味に解釈可能である(訳注:存在記号、existential quantifier とは、数理論理学、特に述語論理)、において、少なくとも1つのメンバーが述語の特性や関係を満たすことを表す記号)。我々は次のように言うことができる。(即ち)「二つの固有名一つの関係語(注:関係を表す言葉)とを含む文があり、そういう文がなければ、我々が知っていると信じる(ところの)事実の主張の多くは不可能になるであろう」。そしてさらに進んでこう言うことができる、(即ち)そういう文の中の名前(固有名)が、言語外の何ものかを指示する(point to)のと全く同様に、関係語もまた言語外のなにものかを指示しなければならない、と。アレ クサンダー大王がカエサル(シーザー)に先行したことはひとつの事実であり、この事実は単にアレクサンダー大王とカエサル(シーザー)とからのみなるとは言えない(訳注:この一文はこの二人は何らかの関係があると主張している)。関係語は、それなくしては述べることが不可能であるような事実を主張可能にする、という目的を果すことは明らかである。ここまでのとこは、我々は強固な地盤の上にあると、私は考える。しかし、(そこから)いかなる意味においても、「先行する」(preceding)と名付けられるひとつの(何らかの)「もの(thing)」がするということにはならない(I do not think it follows that)、と私は考える。関係語は、その関係項(relata)がすでに与えられているときにのみ、正しく使用されるのである。(訳注:"relata" : relatumの複数形)

 このことは述語(predicates)についても等しくあてはまる。 クワイン (Willard van Orman Quine、1908-2000:米国の著名な哲学者)は、述語または関係語が見かけ上の変項(訳注:ここでは apparent variables = 束縛変項(bound variable)のことで、野田氏は「束縛変項」と訳出している。最初は誤訳と思ってしまいました。)として現れる場合に、特別な困難があることを見出している。たとえば、「ナポレオンは偉大な将軍としてのあらゆる性質をもっていた」という陳述をとってみよう。これは次のように解釈されなければならないであろう。 (即ち)全ての f について、もし「x は偉大な将軍であった」が、全ての xについて、fx(xはfである)を意味するならは(含意するならば)、f (ナポレオン)である。これは、f に -できることならば避けたいところの- 実体性を与えることを意味しているように思われる(たとえば、ナポレオンという普遍で変化のない実体)。私はその困難を実感しており、その答えがわからない。我々は、もちろん、述語や関係語を表わす変項(variables)なしですますことはできない。しかし、私の感じ(my feeling)では、一方固有名の意味するものと、他方述語や関係語の意味するものとの間の存在論的地位の相違を維持できるような技術的な工夫が可能であろう。

Chapter 18: Some Replies to Criticism, n.2_8

The question ‘Are there universals.?’ can be interpreted in various ways. In the first place, it can be interpreted in the sense of the existential quantifier. We cay say: 'There are sentences containing two names and a relation-word, and without such sentences many assertions of facts which we believe ourselves to know would be impossible.' We can go on to say that, just as the names in such sentences point to objects, so the relation-words must point to something extra-linguistic. It is a fact that Alexander preceded Caesar, and this fact does not consist merely of Alexander and Caesar. Relation-words, it is clear, serve a purpose in enabling us to assert facts which would otherwise be unstatable. So far, I think, we are on firm ground. But I do not think it follows that there is, in any sense whatever, a 'thing' called 'preceding'. A relation-word is only used correctly when relata are supplied.

This applies equally to predicates. Quine finds a special difficulty when predicates or relation-words appear as apparent variables. Take, for example, the statement 'Napoleon had all the qualities of a great general'. This will have to be interpreted as follows: 'whatever f may be, if "x was a great general" implies fx, whatever x may be, then f (Napoleon)'. This seems to imply giving a substantiality to f which we should like to avoid if we could. I think the difficulty real, and I do not know the answer. We certainly cannot do without variables that represent predicates or relation-words, but my feeling is that a technical device should be possible which would preserve the differences of ontological status between what is meant by names on the one hand, and predicates and relation-words on the other.
(掲載日:2022.07.21/更新日: )