ラッセル 私の哲学の発展 03-02
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バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 第3章 (松下 訳)- My Philosophical Development, 1959

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第3章 最初の努力 n.2 - 神の存在を信じる理由

(ラッセルの15~16歳の時の鍵付き日記帳から)
<1888年3月19日>

 今日は私が神の存在を信ずる理由(根拠))を書き下ろすつもりである(mean to)。まず,私は神の存在を信じており、もし自分の信条に名前をつけなければならないとすれば、私は自分を有神論者(a theist)と名乗るべきであろう、と言ってよいであろう。さて(Now ここで)神を信ずる理由(根拠)を見つけるに際し,私はただ科学的な議論のみを考慮に入れることにする。これは、私の立てた誓いであり、これを守り(保ち)かつあらゆる感情を退けることには大変な犠牲を私に払わせる(私に大きな負荷をかける)。神(の存在)を信ずる科学的根拠を発見するためには、我々(人間)は全ての物事の始めに戻らなければならない。もし現在の自然法則が常に働いてきたとするなら(効力を持ってきたとするならば)、現在宇宙にある(のとまったく同じ)量の物質とエネルギーが常に存在してきたことになるということを,我々は(科学的知識として)知っている。しかし、星雲仮説(the nebular hypothesis 星雲説:太陽の周囲を回る星間物質が固まって惑星ができたという説。紆余曲折があったが、結局、現在でも「新しい」星雲説が標準仮説となっている。)によると、全宇宙が未分化の星雲状の物質(注:宇宙塵のようなもの)で満たされていた時期は、遠くない過去の一時点である(注:ビッグバン理論が認められたのは,1929年のエドウィン・ハッブによる宇宙の膨張を示す観測結果の報告であり,それまでは定常宇宙が定説であった/従ってこの辺の記述はあくまでも当時の科学理論を元にした考え)。従って現在存在する物質や(様々な)カがある時に明らかに神的な力によってのみ可能な(世界の)創造(行為)があったという可能性は十分にある(quite possible)(注:キリスト教では世界は神によって創造されたとされる)。しかし,物質や力が常に存在してきたと仮に認めるとしても、物質に対するカの作用(action)を規則づけている原因はどこから来ているのだろうか? 私は、それら(物質と力)は力を統御する神的なものにみに起因しており,私は従ってそれをと呼ぶ(名付ける)。

Chapter : First Efforts, n.2

(From Russell's Diary]
Eighteen eighty-eight. March 19th.

I mean today to put down my grounds for belief in God. I may say to begin with that I do believe in God, and that I should call myself a theist if I had to give my creed a name. Now in finding reasons for believing in God I shall only take account of scientific arguments. This is a vow I have made, which costs me much to keep, and to reject all sentiment. To find the scientific grounds for a belief in God we must go back to the beginning of all things. We know that, if the present laws of nature have always been in force, the exact quantity of matter and energy now in the universe must always have been in existence, but the nebular hypothesis points to no distant date for the time when the whole universe was filled with undifferentiated nebulous matter. Hence it is quite possible that the matter and force now in existence may have had a creation which clearly could be only by divine power. But even granting that they have always been in existence, yet whence comes the cause which regulates the action of force on matter? I think they are only attributable to a divine controlling power which I accordingly call God.
(掲載日:2019.05.13/更新日: )