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バートランド・ラッセル「信念の非合理性」

* 原著: Sceptical Essays, 1928, chap.2.
* 出典:牧野力(編)『ラッセル思想辞典』所収



ラッセル英単語・熟語1500
 人間は本質的にはをみている。現実に目醒めても、再びすぐ空想の幸福にひたる。
 信念の多くは、合理的な根拠から生れたものではなく、欲望の具体的表現にすぎず、人間の確信の起源は非合理的なものだ、という次のような証明法がある。

 第一 精神分析の方法
 精神異常者やヒステリー患者を理解することから始め、これら患者と健康人との根本的な差がいかに少ないかを明らかにする。

 第二 懐疑的な哲学者の方法
 最も頑固に抱いている信念でも、その合理的証拠がいかに弱いかを証明する。

 第三 常人にも可能な観察法
 人類学者の苦心の結果判明したように、最も遅れた野蛮人は、猛獣や戦士の肉を食べると、それらがもつ生前の力を自分も持てると信じたり、呪文を唱え、火を燃やすと雨を降らせるか、カンカン照りにできると信じたり、さらに顔を赤く塗るか簡単な変装で悪魔を追い払えると信じたりする。これらの不合理な信念は野蛮人だけのものではなく、人類の多くは宗教的教義や情熱的な政治的確信を根拠なしに抱いている。

 社会には人をはげます「類」への信念がある。
 個人だけが持つ信念、個人が家族と共有する信念、個人の所属する階級や国民に共通する信念、そして、人類に同じ喜びとなる信念である。人々が親しく生きていたければ、万人が共通に喜べる信念を尊重すべきである。
 信念を正す二つの方法がある。
 第一は、事実に照らしてみる方法、第二は、直接には客観的事実のない信念が、検討すべき他の信念と衝突するかどうかを調べる方法である。

 豚肉を食べるのは合理的で牛肉を食べるのは不合理だと考える国民や人々がいる。その逆の場合も現在ある。これらの見解・信念の相違から流血の惨事が起きる。

 個人のうぬぼれは兄弟によって一掃させられる。家族のうぬぼれは学校友達によって、階級のうぬぼれは政治によって、国民のうぬぼれは敗戦あるいは通商によって一掃される。しかし、人間のうぬぼれは消えずに残り、交際の効果に関する限り、神話製造能力は自由に発揮される(例:神が人間を創造したなどの神話づくりど)。このような妄想に対して、科学の中に部分的な是正が見られる。だが、その是正は決して部分的なもの以上になることはありえない。なぜなら、ある程度の軽信性(信じたい気持ち)がなければ、科学自体が砕け散り、崩壊するだろうからである。(訳注:たとえば、科学には作業仮説が必要であるが、それさえも認められないのであれば、何も信じない懐疑論者になってしまう。)

Personal conceit is dispelled by brothers, family conceit by schoolfellows, class conceit by politics, national conceit by defeat in war or commerce. But human conceit remains, and in this region, so far as the effect of social intercourse is concerned, the myth-making faculty has free play. Against this form of delusion, a partial corrective is found in Science; but the corrective can never be more than partial, for without some credulity Science itself would crumble and collapse.