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『バートランド・ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

* 原著:The Autobiography of Bertrand Russell (London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.
* 総目次

第3巻(1944-1967)第1章(通しで第13章):英国への帰国 累積版

  1. 1944年の前半期に大西洋を渡るということは、なかなかめんどうな仕事であった。・・・。(Crossing the Atlantic in the first half of 1944 was a complicated business.)
  2. トリニティ・コレッジは、私に対し5年任期の講師職へ就任するよう要請してきた(招聘した)。・・・。
  3. 1940年代と1950年代の初期を通して、私の精神状態は、核の問題に関して混乱と動揺の状態にあった。。・・・。
  4. このような不注意な態度に抵抗して -他の少数の人間と同じく- 私は与えられるあらゆる機会を利用して核戦争の危険を指摘した。・・・。
  5. それにもかかわらず、私は、その助言をした時は、それが実際に与える影響についてまったく考えることなく'不用意に'その助言をしたので、その助言をしたことを間もなく忘れてしまった。・・・。
  6. その間、私の個人的な考えは、徐々に大きくかき乱されていった。・・・。
  7. 第二次世界大戦の終わりに向けて、私が英国へ帰国した後、しばらくの間、政府は私を起用して軍隊(英国陸海空軍)で講演させた・・・。
  8. '対ソ封じ込め政策'は、愚かなことだと思った。・・・。
  9. 私がドイツに行ったその同じ年(注:1948年10月)に、英国政府は、ノールウェーを説得して、反ソ同盟に参加させようとの希望から、私をノールウェーに派遺した。・・・。
  10. 1944年に英国に戻ると、あるいくつかの点で私の物の見方が変わったことに気付いた。・・・。
  11. 私は一連の講義の中で、人類の進歩のために必要な各個人の創意の度合いと、社会が生き残るために必要な'社会的結合'の度合いとを、どのように(どのような割合で)結合することができるか検討すべきだということを提言した。・・・。
  12. 大量破壊兵器が発達しつつあったことによる戦争の危険との関係はさておき、この一連の講演は、私自身の生涯にとって重要なことであった。・・・。
  13. この連続講演で私は、政府の権力の盛衰の概要について簡潔にふれた。・・・。
  14. 理想のうちのいくつかは、破壊的なものであり、戦争か革命によるのでなければ十分実現できない。・・・。
  15. 戦争による自由の侵害に関連して、非常に難しい諸問題が存在している。・・・。
  16. あらゆる戦争が悪であると考える人々に加えて、自分たちが戦うように求められている特定の戦争に反対する人々がいる。・・・。
  17. 私がリース記念講義(講演/Reith lectures)をする数年前に、私の旧師であり、友人であり、『プリンキピア・マテマティカ』の共著者である A・N・ホワイトヘッドは、すでにメリット勲章(Order of Merit)を与えられていた。・・・。
  18. 1950年6月末、オーストラリア国際問題研究所の招きに応じてオーストラリアに行き、多くの大学で冷戦に関連する主題について各地で講演をした。・・・。
  19. (オーストラリアから)英国への帰国の途中、私の乗った飛行機は、シンガポール、カラチ、ボンベイ、その他数ケ所に着陸した。・・・。
  20. オーストラリアから帰国すると間もなく私は、再び渡米した。・・・。
  21. 私の主な関心事は、'科学知識に基づく人間の力の増大'であった。・・・。
  22. 私の講演(講義)が聴衆の受けがよかったというので驚いたことは、間違っていたと思う。・・・。
  23. 1950年末、ノーベル賞を受けとるためにストックフォルムに呼ばれた時 -いささか驚いたことに私の著書『結婚と性道徳』に対する文学賞であったが- 私は不安であった。・・・。
  24. メリット勲章(授与)で始まり、ノーベル賞(授与)で終わった1950年という年は(注:メリット勲章を受賞したのは1949年)、私の'社会的地位の最高点'を記録した年であったように思われる。・・・。
  25. しかし私の不安はしだいに大きくなった。・・・。
  26. 私は、'倫理・道徳'は'情熱'(強い感情)に由来するという原理'、及び、情熱'から出発して何がなされるべきかということに到達する(論理的に)妥当な方法はまったくないという原理、を私の指導的な考え方として採用した。・・・。
  27. 私は、倫理上の問題に冷たくて無関心であると思われたくない。・・・。
  28. このような短篇小説集を書くことによって、それまで表現していなかった'感情'や、何らの合理的根拠のない恐怖に言及することなく述べることのできない'意見や考え'について、非常に大きな開放感を味わうことができた。・・・。
  29. 一年後私は、『著名人の悪夢』(Nightmares of Eminent Persons)と名づけた、別の一連の短篇小説集を執筆した。・・・。
  30. 編集者と読者の双方とも、私が'作家としての役割'を果たすことを受け入れる気持ちになっていないことに、私は気付いた。・・・。
  31. 私の著書のほとんどに、--ふり返ってみてわかったことであるが--、問題点を強調するための'つくり話'が入っている。・・・。
  32. 悪夢、幻想、その他、私が創作した虚構作品(物語)のそれ以外のものは、その後、私の『事実と虚構』(Fact and Fiction,)の創作の部(注:第二部)に収録された。・・・。

第3部第2章