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『ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

The Autobiography of Bertrand Russell
(London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)


総目次

第2巻(1914-1944)第6章(通しで第13章):アメリカ 累積版

  1. 1938年8月,私たちはキドリントンの家を売った。買い手は,私たちがただちに引き払うという条件でのみ購入したいとのことであったので,8月の2週間をなんとかしなければならなかった。・・・。私はシカゴ大学で規模の大きなゼミを持ち、オクスフォード大学の時と同じテーマ、即ち「言語と事実」について講義を続けた。・・・。(In August 1938, we sold our house at Kidlington. )
  2. 私は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授になった。・・・。
  3. 1939/1940学年度の終わり頃(注:1940年の5月頃か?)、ニューヨーク市立大学の教授になるよう招聘された。・・・。
  4. 典型的な・アメリカの'魔女狩り'が、私に対して開始され、私はアメリカ合衆国全土にわたってタブー的存在になった。・・・。
  5. 1940年の夏は、私に、'公的な(社会的な)恐怖'と、'私的な(私生活上の)喜び'との際立った対照を提供した。・・・。
  6. バーンズ博土と契約した私の職務は、1941年の新年に始まった。・・・。
  7. 1943年の初めの頃の何ヶ月間は、いくらか家計が切迫して苦しかったが、恐れていたほどではなかった。・・・。
  8. 『西洋哲学史』は、偶然のきっかけで執筆し始めたものであったが、結果として、長年にわたる主な収入源となった。・・・。
  9. 私たちのアメリカ時代の最後は、プリンストン(米国)で過ごした。・・・。

第14章