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『ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

The Autobiography of Bertrand Russell
(London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)


総目次

第2巻(1914-1944)第4章(通しで第11章):再婚 累積版

  1. 1921年9月(注:リバプールには8月末に到着)に中国から帰国するとともに,私の人生はそれまでよりも劇的でない段階に入り,新しい問題に感動を覚えるようになった。・・・。(With my return from China in September 1921, my life entered upon a less dramatic phase, with a new emotional centre. )
  2. (帰国後)最初にしたことは,住む場所(住居)を見つけることだった。・・・。
  3. 1921年の秋から1927年の秋までの6年間の生活全てが,一つの長い夏の田園詩(牧歌)だったと思ってはいけない。・・・。
  4. 1927年に,私とドーラは,自分たちが最良と考える教育をするために我々自身の学校を設立するという決心をした。・・・。
  5. テレグラフ・ハウス(近隣マップ)の元の家はかなり小さかったが,兄(John Francis Stanley Russell, 12 August 1865 ?〜3 March 1931:第2代ラッセル伯爵)は徐々に増築を行った。・・・。
  6. けれども,テレグラフ・ハウスは,兄にとって楽しかったとばかり言えない,いくつかの出来事を連想させるものがあったに違いない。・・・。
  7. 多くの思い出に富んだこの家に,私たちは学校を設立した。・・・。
  8. 時々,実に邪悪な衝動が明るみにでた。・・・。
  9. ふり返って見ると,あの学校(ビーコン・ヒル・スクール)の経営方針(運営方針)のいくつかに誤りがあったように思われる。・・・。
  10. 1929年に,私は『結婚と(性)道徳』(Marriage and Morals)を出版した。・・・。
  11. 私はそれ以後2,3年間,ひどく不幸であった。・・・。
  12. 不幸の深い原因を無視しようとする時にはよくあるように,私も憂鬱の'非個人的な'理由を見つけ出した。・・・。
  13. 1931年の5月と6月に,以前インドのある王侯夫妻の秘書をしていて,当時私の秘書だった,ペグ・アダムス(Peg Adams)に,私の短い自伝を口述したが,その時の筆記が,本書の1921年のところまでの基礎となっている。・・・。

第12章