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『ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

The Autobiography of Bertrand Russell
(London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)


総目次

第2巻(1914-1944)第2章(通しで第9章):ロシア 累積版

  1. 第一次世界大戦が終わったことにより、戦争が続いていたらわが身に降りかかったであろういくつかの'不愉快な事柄'をさけることが可能となった。・・・。(The ending of the war enabled me to avoid several unpleasant things which would otherwise have happened to me. )
  2. 第二次世界大戦が終わったことにより、私とコレットとの関係は異なったものになった。・・・。
  3. 1919年6月、私は、(ロンドンの)バターシーで私がクリフォード・アレンと同居していたフラットに、ドロシー・リンチの提案を受け入れ、ドラをお茶に招待した。・・・。
  4. (私たち4人の)ラルワースでの日々は、楽しい'野外活動(特に'水泳')と(自分がこれまで経験したいかなる対話にも劣らずすばらしい)(話題を限定しない)'多様な事柄についての対話'とのバランスがよくとれていた。・・・。
  5. この国(英国)でお互い熟知している人々が'田舎'(country)に集まる時はいつも起こるように、私たちも、飛び入りの訪問客が'仲間はずれ'になるような、仲間内だけに通じる冗談(collective jokes 集団的冗談)を言うようになっていた。・・・。
  6. 夏、海、美しい田舎、そして気心が通う楽しい仲間たち、それが私の恋愛や第二次世界大戦の終結と結びついて、ほとんど理想的かつ完璧な環境を生みだした。・・・。
  7. クリスマス(1919年12月24日?)に、私とドラは(オランダの)ハーグで落ち合った。・・・。
  8. 第一次世界大戦が始まると、ウィトゲンシュタインは−−彼は非常に愛国心が強かったが−−、オーストリア軍の将校になった。・・・。
  9. ウィトゲンシュタインは'論理学者'であったが、同時に'愛国主義者'であり、また'平和主義者'でもあった。・・・。
  10. すべての偉大な人間がそうであるように、ウィトゲンシュタインにも弱点があった。・・・。
  11. 私は、1920年のほとんど全ての期間を、旅行をして過ごした。・・・。
  12. マジョルカ(マヨルカ)から戻るとすぐに、(私のロシア行きの)機会が到来した。・・・。
  13. 私にとって、ロシア滞在期間中は、絶え間なく増大し続ける'悪夢の時'であった。・・・。
  14. ペトログラード(注:現在のサンクトペテルブルク)から、私たちは、モスクワに行った。・・・。
  15. 私たちは、(モスクワから)蒸気船でヴォルガ川を下った。・・・。
  16. 英国に戻ってから私は、ロシアに向けて出発する前とロシア滞在中との間の気分の変化について、コレット(Lady Constance Malleson, 1895-1975/舞台名 Colette O'Niel/右上写真参照)ヘの、実際よりも日付けを前にした手紙という形で、表現しようと努めた。・・・。
  17. 私は、ついに、この世に'歴史的な事件'をいっぱいもたらした都市(ペトログラード)、そして最も有害な憎悪や最も強烈な希望を世界に抱かせた都市に来ています。・・・。
  18. これが、私がやって来た世界です。・・・。
  19. 私たちが乗った船は、連日、未知のそして神秘的な国を旅し続けています。・・・。
  20. '運輸大臣の'(と呼ぶべきところの)スヴェルトロフ(Yakov Sverdlov,1885-1919)は、ヴォルガ河蒸気船上で一緒だったが、アレンの病気に際して、彼はきわめて親切で、役に立った。・・・。
  21. 私は、レヴァル(Reval:エストニア共和国の首都で、現在のTallinn)で、偶然スタン・ハーディング夫人(Mrs Stan Harding)に会った。・・・。
  22. レーニン(ウラジーミル・イリイチ・レーニン, 1870-1924年1月21日)とは一時間会話をしたが、彼にはやや失望した。・・・。
  23. 私たち(ラッセルとドラ)は、ある日曜日、フェンチャーチ・ストリートで再会した。・・・。

第10章