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『ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

The Autobiography of Bertrand Russell
(London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)


総目次

第2巻(1914-1944)第1章(通しで第8章):第一次世界大戦 累積版

  1. 1910年から1914年までの期間は,(私にとって)過渡期(変わり目)であった。・・・。(The period from 1910 to 1914 was a time of transition.)
  2. (1914年)7月末の暑い数日間,私はケンブリッジにいて,時局に関して,種々雑多な人々と議論していた。・・・。
  3. (1914年)8月4日の朝,私は,オットリン(オットライン)と2人で,いまは大学(ロンドン大学)の建物の立ち並ぶ,大英博物館の裏手の人気の無い通りを,行ったり来たりした。・・・。
  4. その間,私は,'極度の情緒的緊張'のもとに暮らしていた。・・・。
  5. このような最中,私自身,'愛国心'に苦しめられた。・・・。
  6. 第一次大戦初期の段階を通して,オットリン(Ottoline Morrell, 1873-1938)は,私にとって,非常に大きな助けであり,力であった。・・・。
  7. (1914年)10月の秋学期が始まるとともに,数理論理学の講義を再開しなければならなかった。・・・。
  8. 1914年10月のある日,(ロンドンの)ニュー・オクスフォード・ストリートで,T.S.エリオット(T.S. Eliot, 1888-1965)に出会った。・・・。
  9. 1915年の夏,私は『社会改造の原理』を書いた。・・・。
  10. これらの講義は,ある点で,私とD.H.ロレンス(David Herbert Lawrence, 1885-1930.3.02)との短い友情関係に関連があった。・・・。
  11. この頃,私は,後に『社会改造の原理』(Principles of Social Reconstruction, 1916)というタイトルで出版された'連続講義'の準備をしていた。・・・。
  12. ロレンスは世の中をよりよくしたいとはまったく望んではおらず,ただ単に世の中がどんなに悪いかを雄弁に独白することにふけっているにすぎないということが,しだいに私にはわかってきた。・・・。
  13. 彼は,私が嫌いな,神秘的な「血」の哲学をもっていた。彼は言った。・・・。
  14. ロレンスは,大部分の人々が気がついていなかったが,妻の代弁者'であった。・・・。
  15. 最初,私をロレンスに惹きつけたものは(→私がロレンスに惹きつけられたのは),彼のある種のダイナミックな特徴(性格)及び,人が当然のことと考えがちな事柄(仮定)に挑戦する彼の習癖であった。・・・。
  16. 1916年になると,第一次大戦はより荒々しい形をとるようになり,また,英国内の平和主義の立場はより困難になった。・・・。
  17. 徴兵制の実施とともに,私は,事実上,自分の時間と精力のすべてを'良心的兵役拒否'の仕事に捧げた。・・・。
  18. 私が初めてコンスタンス・マレソン夫人−−彼女は一般に,彼女の舞台名であるコレット・オニールという名で知られていたが−−に会ったのは,クリフォード・アレンが初めて召喚された時の,(軽犯罪を扱う)(彼の)警察裁判所の訴訟においてであった。・・・。
  19. 私とオットリンとの仲は,その間に,しだいに疎遠になりつつあった。・・・。
  20. ツェッペリン飛行船が墜落した夜が明けてから,朝早く,彼女を残して,当時私が住んでいたゴードン・スクゥエアーの兄の家へ帰った。・・・。
  21. コレットに出会ってまもない頃は,コレットに対する私の愛がいかに真面目なものであるか,私は気づかなかった。・・・。
  22. 私がキャサリーン・マンスフィールド(Katherine Mansfield ,1888-1923)の言うことに耳を傾けていた頃は,'危険な過渡期'であった。・・・。
  23. 当時の検閲は,このような種類の文書を送ることを困難にしていた。・・・。
  24. 'ケレンスキー革命'が起こった時,それに共鳴するものの大規模な集会がリーズで開催された。・・・。
  25. この頃には(この頃までには),私と(英国)政府との関係は,非常に悪化していた。・・・。
  26. まことに奇妙にも,'軍需産業'の労働者たちが'平和主義者'になる傾向があった・・・。
  27. けれども,その時には,私が刑務所にいれられる理由となった'違法行為'(反戦活動)に関しては,なすべきことはこれ以上何もないと,私は最終的に結論を出しており(決心しており),また,兄は私のこの決心を政府に知らせていた。・・・。
  28. 週1回,訪問客を迎えた。・・・。
  29. 刑務所内における私の気分のいくらかは,以下の兄宛の手紙−−それらの手紙は全て,'刑務所長'のところを通過させられるようなものでなければならなかった−−からの'抜粋'によって例証される。 ・・・。
  30. こうした境遇のもとここにいることは,私が駐仏英国大使随行員としてパリにいた時ほど不愉快なものではないし,クラマーにいた1年半ほど恐ろしい世界にいるわけでもありません。・・・。
  31. 自分が獄中であることを嫌に思った(←嫌だと思わせた)ことがたった一つあった。・・・。
  32. 私は,1918年9月に刑務所から出所したが,その時には大戦が終わりつつあることは既に明らかだった。・・・。
  33. 1914年から1918年までの第一次世界大戦は,私のあらゆるものを変えてしまった。・・・。
  34. 'クェーカー教徒'のなかには−−私と考え方がかなり大きな違いがあったにもかかわらず−−,私が大いに賞賛した人たちが何人かいた。・・・。
  35. 第一次世界大戦が終わった時,自分がそれまでやってきたことは,自分自身に対して以外,まったく何の役にもたたなかったことがわかった。・・・。
第9章