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『ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

The Autobiography of Bertrand Russell
(London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)


総目次

第1巻 1872-1914 − 第6章 プリンキピア・マテマティカ 累積版

  1. 1900年7月(ラッセル28歳)、その年のパリ万国博覧会にあわせて、(第1回)国際哲学会(International Congress of Philosophy)がパリで開催された。・・・。(In July 1900, there was an International Congress of Philosophy in Paris in connection with the Exhibition of that year. )
  2. ホワイトヘッド夫妻は、ファーンハースト(Fernhurst)の私たちの家(Millhanger)に滞在した。・・・。
  3. まことに奇妙なことに、19世紀の終わりが、このような勝利感の終わりの刻印を押すこととなった。・・・。
  4. そうした内省の5分間が過ぎた時、私はまったく違った人間になっていた。・・・。
  5. 春学期が終わると、アリスと私は、ファーンハーストに戻り、そこで数学の'論理的(論理学からの)導出'(演繹)−−後に「プリンキピア・マテマティカ」となったもの−−を完成させる仕事に着手した。・・・。
  6. この(数理哲学に関する)講義が終了した頃−−当時私は、グランチェスターのミル・ハウスのホワイトヘッド夫妻の家で彼らと一緒に暮らしていたのであるが−−その前の(=2月にあった?)打撃よりもずっと重大な精神的打撃が私を襲った。・・・。
  7. その時の私の'独善'は、いまふり返って見るとぞっとするが(←人に嫌悪を催させるものであるが)、彼女を批判したことについてはかなりの理由(根拠)があったのである。・・・。
  8. アリスに対する私の感情が変わったのは、一つには、彼女の母親や兄の中にあった(嫌な)性格特性を、私が、彼女の中にも−−それほどひどくはなかったが−−感じとったこと(=原因)の結果であった。・・・。
  9. 私の生涯のうちで最も不幸な時期を、私はグランチェスターで過ごした。・・・。
  10. 『プリンキピア・マテマティカ』を執筆している全期間を通して、私とホワイトヘッド夫妻との関係は、難しくかつ複雑なものであった。・・・。
  11. その間、アリスは私以上に不幸であり、彼女が不幸であることが、私自身の不幸の原因の大きな部分をしめていた。・・・。
  12. 秋が来て、私たち夫婦は、6ヶ月の期限でチェイン・ウォークに家を借りて住むようになり、人生(生活)は、以前よりも耐えられるものとなった。・・・。
  13. 1903年と1904年の夏は、私たち夫婦は、チャート(Churt/右地図)とティルフォード(Tilford/右地図参照)で過ごした。・・・。
  14. 1905年になって、事態は好転しはじめた。・・・。
  15. 1902年から1910年までの間、非常に厳しい知的な仕事と結び合わさって、不幸であることによる緊張(感)は、とても大きなものであった。・・・。
  16. この時期(=1902〜1910)を通して、私は、毎年冬の期間、主として'政治問題'に専念していた。・・・。
  17. 選挙騒動: 婦人参政権論者を怯えさせるためにネズミが放たれる、ウィムブルドン選挙戦・・・。
  18. (女性に対する)優越性を失うことに脅威を感じた男性の野蛮性については(男性の野蛮性がそのような騒動をひきおこしたことについては)理解できる。・・・
第7章