(本館へ)  (トップへ)  (分館へ)

Portal Site for Russellian in Japan


『ラッセル自伝』22-020(松下彰良・訳)

次ページ 前ページ  v.2,chap.2 (Russia) 目次  Contents (総目次)

* 英国ドーセット州の Lulworht Cove の写真
* ドーラ・ブラック(左),ドロシー・リンチ(右)及び Lulworth Cove(右下)の写真の出典:R. Clark's Bertrand Russell and His World, 1981.


(第2巻第2章 ロシア)(承前)

 第一次世界大戦が終わったことにより,私とコレットとの関係は異なったものになった。私たちは,戦中は一緒にやることが多くあったし,大戦と関連のある非常に強いすべての感情を共有していた。終戦後は,二人の間(の関係)はより困難かつ緊張感のあるものになった。私たちは,時々,永久に別れようとしたが,この別れは,繰り返し,予想に反し,あとで一時的なものであることがわかった。
 1919年夏の3ケ月間,私と数学者のリトルウッド(John Edensor Littlewood, 1885-1977:数学者)はルルワース(ラルワース:Lulworthから1マイル(約1.6km)ほど郊外の丘の上にある一軒の農家を借りた。この農家にはかなり多数の部屋があり,夏の間中,絶え間なく,訪問客があった。そこは驚くほど美しいところであり,海岸にそって広い景観(眺望)をのぞめた。そこは海水浴にも適していた。また,リトルウッドは登山技術に関してはエキスパートであったが,彼が登山家(絶壁や岩登りの名人)としての妙技を披露することのできる場所も何箇所かあった。
の画像
enlarge(拡大する!)
 とかくするうちに,私は,後に二人目の妻となる女性(Dora Black ドーラ・ブラック/右の写真に関心をもち始めていた。私が彼女に初めて会ったのは,1916年,彼女の友人のドロシイ・リンチ(Dorothy Maud Wrinch, 1894-1976:数学者,生化学者。右欄写真参照) に紹介されてであった。二人とも(ケンブリッジ大学の)ガートン・カレッジに在籍しており,ドロシーは私の生徒の一人であった。ドロシーは,1916年の夏,彼女自身,ドーラ・ブラック,ジャン・ニコーJean George Pierre Nicod, c. 1893-1924:フランスの哲学者,論理学者/)及び私の4人の,2日間の'徒歩旅行'の手はずを整えた。ジャン・ニコーも,私の生徒の一人であり,若いフランス人哲学者であったが,彼は,戦時中は,肺結核患者だったので,兵役を免れていた。(彼は1924年,肺結核で亡くなった。) 彼は,私が今まで会ったなかで最も楽しい人間の一人であり,非常に気質が穏やかであるとともにとても頭がよかった。彼は,私を喜ばしてくれる滑稽な(奇妙だが愉快な)ユーモア(心)をもっていた。ある時私は,彼に,哲学を学ぶ者は,(各)大学において現在そうであるように,過去の哲学者の思想体系だけでなく,世界そのものを理解するよう努力しなければならないと語った。その時彼はこう答えた。「その通りです! でも,思想体系は,'世界そのもの'よりもずっと興味深いですよ!」

 ドーラ・ブラック(Dora Black, 1896-1986)は,それ以前会ったことはなかったが,たちまちにして,私の興味をひいた(注:1916年夏であるから,ドーラは20歳,ラッセルは44歳ということで,年の差24歳)。その晩私たちは(サレー州の)シェア(Shere)で過ごした。(注:1919年夏に Lulworth で3ケ月過ごしたという記述の中に(段落を変えたり,改行したりしないで)1916年の出来事が書かれているので,誤解する人がいるかも知れない。サレー州の Shere へは,Lulworth から出かけたわけではないことに注意。どこから徒歩旅行に出かけたか書いてないが,ケンブリッジからロンドンに汽車ででかけ,ロンドンから Shere まで徒歩旅行したのであろうか? 因みに,ロンドンから Shere までは約50kmの距離であるので,イギリスの徒歩旅行愛好者にとってちょうどよい距離であると思われる。)そうして夕食の後の時間をまぎらすために,私は,最初に,人生で何を最も望むかという質問を全員にした。その時ドロシーとニコーが何と答えたか思い出すことができない。私は,アーノルド・ベネット(英国の作家,ジャーナリスト,1867-1931)の「生き埋めにされて」(Buried Alive)の中に出て来る男のように(ロンドン郊外の高級住宅地の)パットニー(Putney)の未亡人を確実に見つけることができるならば−−, 彼のように消え去りたいと思う,と言った(注:ベネットの Burried Alive の内容がわからないので,何を言っているのか理解できないが,英国人にとっては周知のことであろうか。/お分かりの方は,松下宛メールでご教授ください。。驚いたことに,ドーラは,結婚して子供を生みたいと答えた。それを聞く瞬間まで,私は,聡明な若い女性でそのような単純な望みを告白する人は一人もいないと思っていた。それで私は,彼女は例外的に誠実な女性にちがいないと結論した。当時,彼女を除いて私たち3人全員,第一次世界大戦に徹底的に反対していたが,彼女はそうではなかった。

* A Satellite Photo of Lulworth: From Google Satellite, 2006

The ending of the War made a difference in my relations with Colette. During the War we had many things to do in common, and we shared all the very powerful emotions connected with the War. After the War things became more difficult and more strained. From time to time we would part for ever, but repeatedly these partings proved unexpectedly temporary.
の画像
enlarge(拡大する!)

の画像
enlarge(拡大する!)
During the three summer months of 1919, Littlewood (the mathematician) and I rented a farmhouse on a hill about a mile outside Lulworth. There were a good many rooms in this famhouse, and we had a series of visitors throughout the whole summer. The place was extraordinarily beautiful, with wide views along the coast. The bathing was good, and there were places where Littlewood could exhibit his prowess as a climber, an art in which he was very expert. Meantime I had been becoming interested in my second wife. I met her frrst in 1916 through her friend Dorothy Wrinch. Both were at Girton, and Dorothy Wrinch was a pupil of mine. She arranged in the summer of 1916 a two days' walk with herself, Dora Black, Jean Nicod, and me. Jean Nicod was a young French philosopher, also a pupil of mine, who had escaped the War through being consumptive. (He died of phthisis in 1924.) He was one of the most delightful people that I have ever known, at once very gentle and immensely clever. He had a type of whimsical humour that delighted me. Once I was saying to him that people who learned philosophy should be trying to understand the world, and not only, as in universities, the systems of previous philosophers. 'Yes,' he replied, 'but the systems are so much more interesting than the world.' Dora Black, whom I had not seen before, interested me at once. We spent the evening at Shere, and to beguile the time after dinner, I started by asking everybody what they most desired in life. I cannot remember what Dorothy and Nicod saids; I said that I should like to disappear like the man in Arnold Bennett's Buried Alive, provided I could be sure of discovering a widow in Putney as he did. Dora, to my surprise, said that she wanted to marry and have children. Until that moment I had supposed that no clever young woman would confess to so simple a desire, and I concluded that she must possess exceptional sincerity. Unlike the rest of us she was not, at that time, a thorough-going objector to the War.
の画像
enlarge(拡大する!)

(掲載日:2006.10.28 更新日:2011.8.8)