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バートランド・ラッセル 自伝 第2巻第1章
刑務所からの便り n.2(松下彰良 訳)

The Autobiography of Bertrand Russell, v.2

前ページ 次ページ  v.2,chap.1 (The First War) 目次  Contents (総目次)

第一章 第一次世界大戦)(承前)

(1918年6月10日)
・・・。こうした境遇のもと、ここ(監獄)にいることは,私が駐仏英国大使随行員(注:大使館員というより,大使付の随行員=名誉大使館員→参考としてパリにいた時ほど不愉快なものではないし,クラマー(注:受験準備のための学校)にいた1年半と同じような恐ろしい世界にいるわけでもありません。クラマーの若者たちはほとんど全員,陸軍か教会に入ろうとしていましたので,彼らの道徳的水準は,平均よりずっと低いものでした。・・・。

(1918年7月8日)
・・・私はまったくいらだっていません。その反対です。私は,初めはかなり自分自身の関心事について考えました。しかし,それはあまり度を越してはいませんでした(と思います)。できることはすべてやりましたので,今では,そういったことについてほとんど考えません。私は本を大量に読んでおり,また,哲学について考え,実り多い結果を得ています。奇妙で不合理なことですが,私の気分は多分に軍事情勢にかかっているというのが事実です。連合国がよくやってくれればうれしく思い,不首尾であれば,現在の大戦とはかなりかけはなれたように思われるあらゆる種類の事柄について気をもみます。・・・。

(1918年7月22日)
・・・。私はずっとミラボー(Honore Gabriel Riqueti, Comte de Mirabeau, 1749-1791:フランス革命初期の貴族出身の政治家。第三身分代表として三部会に選出されて立憲君主主義の立場をとり,国民議会の中心として活躍したが,裏では王と取引して過度の民主化を阻止)について書かれたものを読んでいました。彼の'死に方'(臨終)は面白いです。彼は死に臨んでこう言いました。
(★のフランス語のところは,arsさん(=ハンドル・ネーム)に教えていただいたものです。日高訳とはだいぶ異なっています。)
「★あぁ!もし生き永らえたら,ピットに苦痛を与えてやるのに!(日高訳:もし私が生き続けるとしたら,どんなにがっかりすることだったかもしれないよ,ピット!)」 私は,ピットが言った言葉よりも,この方が好きです。(ディズレイリ版を除く?/Dizzy=Benjamin Disraeli:ベンジャミン・ディズレイリ,1804〜1881:イギリスの政治家,小説家。2度首相となる)。けれども,これはミラボーの最後の言葉ではまったくありませんでした。彼はさらに続けました。「★一つだけやり残したことがある。それは,身体に香水をつけ,花の王冠を載せ,音楽で満たし,二度と目覚めることのない眠りに心地よく入れるようにすることだ。ルグラン,ぼくのひげを剃るのと身体全体の化粧をする用意をしておくれ。」(日高訳:だが,たった一つだけ,まだしてもらうことがあるよ−香水をかけてもらうこと,花を飾ってもらうこと,音楽のメロディーでつつんでもらうことだ−−喜びにみたされながら,永遠にさめることのない眠りに入っていけるようにね。 レグレーンよ! さあ,ひげを剃る用意をさせなさい−−それから私の全身のめんどうをしっかり頼むよ!)」 それから,傍ですすり泣く友人の方に向きながら,「★それでは,満足されたかな,美しい死をよく知る人よ。(さあこれで満足されたかな。美しい死をまのあたりにしてね。私の名医さん!)」 最後に,幾発かの号砲を耳にしながら,「★もうアキレスの葬式なのかい(もうアシルの葬儀が始まったかな!)」 その後,口をつぐんでしまったように見えました。これ以上しゃべったら,クライマックスのムードを壊すと考えたからだと,私は想像します。彼は,先週の水曜に私があなたに主張した命題を証明してくれています。即ち,異常なまでの虚栄心が,あらゆる異常なエネルギーを喚起するということです。この異常な虚栄心以外の動機はと言えば,たった一つ,権力愛があるだけです。スペインのフィリップ二世(Philip II, King of Spain, 1592-1597)と,グローヴナー通りに住むシドニー・ウェッブは,虚栄心については,異常ではありません(注:彼らにあっては,権力愛の方がより大きいということか)

Bertrand Russell Quotes 366


(June 10, 1918) ... 'Being here in these conditions is not as disagreeable as the time I spent as attache at the Paris Embassy, and not in the same world of horror as the year and a half I spent at a crammer's. The young men there were almost all going into the Army or the Church, so they were at a much lower moral level than the average ...

(July 8, 1918) ... 'I am not fretting at all, on the contrary. At first I thought a good deal about my own concerns, but not (I think) more than was reasonable; now I hardly ever think about them, as I have done all I can. I read a great deal, and think about philosophy quite fruitfully. It is odd and irrational, but the fact is my spirits depend on the military situation as much as anything: when the Allies do well I feel cheerful, when they do badly, I worry over all sorts of things that seem quite remote from the War . . .'

(July 22, 1918) . . . 'I have been reading about Mirabeau. His death is amusing. As he was dying he said 'Ah! sij'eusse vécu, que j'eusse donré de chugrin à ce Pitt!' which I prefer to Pitt's words (except in Dizzy's version). They were not however quite the last words Mirabeau uttererd. He went on: 'Il ne reste plus qu'une chose à faire: c'est de se parfumer, de se couronner de fleurs et de s'environner de musique, afin d'entrer agréablement dans ce sommeil dont on ne se réveille plus. Legrain, qu'on se prépare à me raser, à faire ma toilette toute entiére. 'Then, turning to a friend who was sobbing, 'Eh bien! êtes-vous content, mon cher connaisseur en belles morts? 'At last, hearing some guns fired, 'Sont-ce déjà les funérailles d'Achille? 'After that, apparently, he held his tongue, thinking, I suppose, that any further remark would be an anti-climax. He illustrates the thesis I was maintaining to you last Wednesday, that all unusual energy is inspired by an unusual degree of vanity. There is just one other motive: love of power. Philip II of Spain and Sidney Webb of Grosvenor Road are not remarkable for vanity.'
(掲載日:2006.09.27 更新日)