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(朝日新聞「天声人語」より)
索 引


[ロックンロール(ロック)とバートランド・ラッセル]
『朝日新聞』1977.08.19 「天声人語」


・ビートルズのメンバーだったジョン・レノンはかつて、「エルビス・プレスリーを聴くまでは、ぼくはなにごとにもあまり影響をうけなかった」といったそうだ。「ロックンロールの王様」として知られたプレスリーは、世界の若者文化に最も影響を与えた歌手の一人として、その名をとどめるだろう。
・いつかプレスリーの舞台をテレビで見たことがある。やや太めになった「王様」は、女性群の投げるハンカチで汗をぬぐってまた、投げ返していた。それも一種のサービスで、ファンはハンカチを大切に保存しておくらしい。ハワイ公演では、日本から1,500人もの観客がわざわざ見に行ったほどで、その人気は衰えていなかった。
・『ぼくはプレスリーが大好き』(という本)を書いた片岡義男氏は、彼の最大の功績は、米国の若者にはじめて、若者だけに通ずる音楽を与えたことだという。1950年代のなかばは、ちょうどジェームス・ディーンの『理由なき反抗』が若者の心をとらえたころで、「ティーンエージャー文化」なるものが生まれつつある時代だった。若者は自分たちの音楽を求めていた。プレスリーは若者たちの飢えを満たした。
・黒人の歌とリズム、その底に流れる心情を、白人の歌にとけこませたことにも意味がある。南部の貧しい家に生まれたプレスリーだからこそ、白人文化と黒人文化を融合させることができたのだろう。
ロックンロールは、若者の思考と本能を表現している。この音楽は重要だ。真剣に考えなければならない」といったのはバートランド・ラッセルだが、プレスリーのロックンロールはやがて、ビートルズに影響を与え、ますます若者独自の音楽の世界が形づくられて行く。
・アメリカの新聞の多くは、プレスリーの急死を一面のトップ記事にした。まだ42歳のこの超スターは、薬づけの日々を送り、鎮静剤を常用していたという。人気という名の病魔が心身をむしばんでいたのだろうか。そういえばプレスリーが熱愛した母も42歳の時、やはり心臓麻痺で死んだという。//