[ラッセル生誕96年記念講演]
谷川徹三「(講演要旨)ラッセルとアインシュタイン」
『ラッセル協会会報』n.11(1968年10月)pp.2-3.

* (故)谷川徹三(1895年5月26日-1989年9月27日)氏は、日本バートランド・ラッセル協会第2代会長/京大哲学科卒、幅広い評論活動を行うとともに、1963年から1965年の間、法政大学総長を歴任。詩人の谷川俊太郎は長男。
* 「ラッセルとアインシュタイン」講演会録音ただし、途中までです!谷川氏は講演のなかで、(アインシュタインが大正時代に日本に来た時に)「アインシュタインの講演を聴いたことがある」と言うべきところを「ラッセルの講演を聴いたことがある」と言い間違えている。そのため、その後に「ラッセルが日本に来たとき講演したがそれは聴いていない」と言っており、言葉上では矛盾してしまっている。


 今度私は、昨年(1967年)12月に亡くなられた笠信太郎(1900年12月11日-1967年12月4日/右写真、ラッセル協会初代会長)さんのあとを受けて、日本バートランド・ラッセル協会の会長になった。笠さんとは長年のつきあいがあった。笠さんは近年世界政府運動に大きな情熱を傾けており、笠さんが朝日の論説主幹だった数年前には、引き続いて毎年正月の論説に世界政府問題をとりあげ、一度は、日本国憲法の精神にそって、政府は世界政府樹立を国是とせよとまで主張した。
 丁度ひと月足らず前に、この講堂で、世界連邦建設同盟が主催し、"笠さんをしのぶ会" が開かれ私も話をしたのであるが、今再びここで、会長就任のことばを述べるのも何かの因縁であろうかと思う。

 さて、私の演題は『ラッセルとアインシュタイン』となっている。ここで私は、前世紀に生れ、今世紀に活動した2人の偉大な人について、その類似と相異とを語りたい。この2人はどういう点で似ており、どういう点でちがうか。
 アインシュタインは、その風貌の印象から言っても、親切で、温い思いやりのある人柄を感じさせる。その澄んだ美しい眼は聖者を思わしめるほどである。いろんな逸話にもその人柄がしのばれる。アパートで、女中にエレヴェーターを使わせるために、自分で荷物を持ち、これを門番に認めさせたとか、ホテルについた時、ポーターに対しても同じ様にふるまったとか。ところが、ラッセルの方は、その写真が示すように、目は鋭くきびしいし、どこか、冷い印象−ボルテール的なものを感ぜしめる。
 アインシュタインは、ゴシックの大聖堂で有名なウルムの町に生れた小市民の出である。父親は電気工事店を開いたり、イギリス風酒場を開いたりしていたが、うまく行かず、ミュンヘンに移り、発電機やアーク灯の小さな製作所をやったりした。
 ラッセルは、由緒ある貴族の出身で、祖父はヴィクトリア女王の首相を勤めた人である。(大仏次郎が朝日新聞に連載している『天皇の世紀』の中に、ラッセルの祖父の外相時代のことがちょっと出てくる。祖父の邸に日本の政府から、貰ったうるしの室内用品のあったことをラッセルは自伝の中に書いている。今日でも(松下注:誤植。正しくは「今では」)ラッセルは、ラッセル伯爵である。清教徒の家の厳しい家庭の躾に彼は幼少年時悩まされたことも自伝の中に記している。
 スイス時代親しかった一哲学者は、その当時のアインシュタインを、"流行遅れの靴作り" と評した。私はかつて壇上の彼から、芸術家の風貌、町の聖者、という印象を受けた。こういう対照的ちがいがあるにもかかわらず、両者は多くの共通点をもっている。私は7つの点について両者の共通点にふれたい。
  1. 独立不羈(ふき)の強固な意志
     二人とも、宗教的、社会的偏見と常に戦った人だ。ディセンター(decenter)として、迫害にさらされても、2人とも一度も姿勢を崩さなかった。

  2. 平和の使徒
     ラッセルは第一次大戦に強烈な反戦活動の故に投獄され、アインシュタインはナチスに抵抗し、ユダヤ人問題や黒人問題で絶えず迫害された者たちの味方になった。核問題について、『ラッセル=アインシュタイン宣言』を行なった。その成果として、東西両陣営の科学者がイデオロギーを越えて話し合うパグゥオッシュ会議ができ、今もそれは続いている。

  3. 世界政府の信奉者

  4. 社会主義者
     両者は社会主義の立場に立ちつつも、共産主義には批判的であると同時に無智な反共主義者をも唾棄している。

  5. 自由に対する強固な信念の保持者
     2人とも自由世界という言葉を安易に使わない。この点、ラッセルは特にハッキリしている。彼は、英米などを、自由世界とみなさない。しかし、資本主義の害悪を憎むが、共産主義の狂信と専制とをも恒に危険とみなす。1947年、アインシュタインは、国連総会に、国連を世界政府的組織に強化改組する案を盛った公開状を出した。それに対して、4人のソ連科学者が、世界政府の運動をアメリカ金融資本の、従ってアメリカ帝国主義の仮面とする立場からアインシュタインに抗議文を送った。それに対し、翌年、『ソ連科学者への公開状』の中で、彼は、社会主義を現代の矛盾を解決する一つの方法と見なしながら、それが唯一の方法ではないこと、またそれが万能薬でないことを言っている。アインシュタインも、ラッセルに劣らず、狂信と専制とを憎んだのだ。ラッセルは革命直後のソ連を訪れ、レーニンらに会い、共産主義への情熱がさめた。しかし、社会主義への信念は今日に至るまで弱まっていない。

  6. 偉大な学者である
     ラッセルは科学的哲学者で、アインシュタインは哲学的科学者であろう。両者共に、哲学と科学とに通じ、かつ、絶対的真理という幻想を抱かない。

  7. 実践的情熱と芸術的素質
     アインシュタインはバイオリンやピアノに長じており、1920年の友人への手紙の中では、「カラマゾフ兄弟」を耽読していることを言っている。ラッセルは晩年面白い小説を書いている。2人とも名文家である。
 最後に、両者の宗教に対する態度を述べたい。ラッセルは、'恐怖より生れた病気' と宗教をみなす。人間を、霊と肉とに分けるのはおかしいと彼はみる。そして、宗教の害毒、特に教会制度を排撃し、宗教と教会が一体今までどれだけよいことをしてきたか、と反問する。宗教から人間が自由になるためには、教育、政治、経済の改革が必要だが、それが可能と考える。しかし、両者とも、純化された宗教とも称すべきものを心に抱く。アインシュタインは宇宙的宗教感情という言葉を用い、デモクリトスやスピノザを聖フランシスと同列に見ている。ラッセルは、"山上の垂訓" に真理ありとし、基督は地獄を認めた点で、仏陀やソクラテスに劣ると言う。アインシュタインは、自己の宇宙的宗教感情の発露を、"わが宗教"(My own religion)と呼び、自己を religious unbeliever としていた。ラッセルは真の宗教を求めて、教会宗教を捨てたのであろう。両人の尊敬するものと拒否するものとはほぼ一致する。(文責=編集部)