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鎮目恭夫「妻とは何か?-ラッセルの結婚観についてのお尋ね-
『ラッセル協会会報』n.15(1970年5月)pp.10-11.

* 鎮目恭夫 氏は、評論家。ラッセルの Human Knowledge, 1948 の訳者。



 こんな機会(=ラッセル死亡)にこんな問いを呈するのはエチケットに反するかもしれないが、ちょうどいい機会でもあると思うので、どなたかから何らかの形のお答をいただけることを期待して、あえてこんな形で小論を試みる。

 私はラッセルの私生活についてはアラン・ウッドの伝記(みすず書房刊の邦訳もある)に書かれている以上のことはほとんど知らないし、結婚という問題一般についてのラッセル自身の著作も大して読んではいないのだが、今度この小論を書くため手許にあったある洋書のなかのラッセルの Trial Marriage (試験結婚)と題する1929年の短い論文(これは、みすず書房刊のラッセル選集の第8巻『結婚論』に収められているかもしれない)を読み、以下のような質問を発したい気持をいっそう強められた。(松下注:収録されています。)
 右の Trial Marriage を読んでいるとき私は、だいぶ前に読んだ福田恆存氏の評論集『常識に還れ』(新潮社刊)のなかのある文章を思いだして、大変おもしろく思った。それは、福田氏がある新聞に連載した「天邪鬼」と題するコラムのなかの「一夫一婦制礼讃論」という小文、とくにそのなかの「雑婚〔乱交〕は面倒くさくていけない。人間の生活は男女関係だけでなく、他にもいろいろすることがあるのに、雑婚となると、また一つ仕事がふえる。……」という個所である。これと符合する(と私が感じた)文章を含むラッセルの右の小論は、第一次大戦の戦後時代-1920年代-のアメリカの若い人たちの性風俗の実態をみて、禁酒法とキリスト教性道徳の支配のもとで横行している乱痴気パーティーやカーセックスなどの弊害への対策について論じたエッセイなのだが、当時であれ今日であれ、若い男女にとってであれ、中老以後の男女にとってであれ、乱交雑婚が通常である社会での生活は面倒くさくていけないにちがいない、と私は思う。子どもが生まれたらなおさらだが、子どもができず、性病などの感染の心配も全くなくてさえ、やはりそうであろう。

 ラッセルは生涯に4回結婚し、その間に3回離婚したが、最初の妻アリスとは、彼が22才のとき結婚し、39か40才のときから別居したのであり、彼の数学的論理学の主な仕事と、一般哲学的ないし、社会思想的な仕事の骨格の形成とは、この最初の妻との同棲期間になされた。この妻と1911年に別居してから、やがて彼は社会活動家のドラと親密になり、1919~1920年のオランダや中国への訪問講義のさいに、彼女を内縁妻兼秘書として同伴し、1921年に正式結婚し、1935年に離婚した。この妻との結婚期間中は、夫妻とも互いに相手が婚外の愛人をもつことを許容し、妻は夫との間に2児を、他の愛人との間に別の2児を生んだという。ラッセルの3度目の妻パトリシアはケンブリッジ大学での彼の教え子で(松下注:パトリシア・スペンスはオックスフォード大学の卒業生であり、ラッセルの教え子ではない。ラッセルの2番目の妻、ドラ・ラッセルが幼い2人の子ども、ジョンとケート、の世話をさせるために、学生のパトリシアをアルバイトとして雇ったのが親しくなる最初のきっかけと思われる。参照:ドラ・ラッセル著『タマリスクの木』)、1936年に結婚し、妻兼秘書となり、1948年に離婚した。彼の最後の妻となった女性は、アメリカの女子大教師をしたこともある文筆家のエディス・フィンチで、彼が80才のときその妻となった。

 さてそこで、読者にお尋ねするに、現代の人間にとって、とくに知的職業人にとって、妻(もしあなたが女性なら夫)とは、いったい何であるか? 何であることが望ましいのか? 
の画像 ラッセルは著述活動でも自己の私生活でも旧来のキリスト教的な性道徳と結婚制度に挑戦したが、その挑戦の焦点は、終身的な一夫一婦制への挑戦だったように思われる。彼は、婚前および婚外の性交を非難する旧道徳を強く批判したが、そればかりでなく、妻が夫の安価簡便な召使い(下女兼、家政婦兼、慰安婦、夫が病気のときは看護婦をも兼ね、子どもが生まれればその保母をも兼ねる)であるような社会慣習を批判すると同時に、それと裏腹をなす妻の権利(三食昼寝付きで、夫の遺産相続権をもち、夫からの申し出による離婚を承諾した場合は、代償として離婚後一生食ってゆける一時金か年金を受けとる権利をもつこと)をも批判したのである。
 思うに、ラッセルの青壮年時代の社会ならともかく、もはや今日の高度工業諸国では、避妊技術の進歩により、男も女も自己の性的満足と女の妊娠出産とを充分切り離すことが可能になり、他方、乳児の人工栄養の進歩(人類の哺乳類からの脱皮)と乳児院・保育所などの施設の発達などによって、ますます多くの女性が、自分の1人の夫とせいぜい3人ぐらいの子どもとの世話に自分の生涯の大半を費すような生き方に満足も諦めもできなくなりつつある。
 こういう時代をむかえて、われわれは、男であれ女であれ、妻または夫とはいったい何か、何であるべきか、という問いを発することが、いよいよ必要になってきたのではないか!

 (この小稿は、拙稿「ラッセルの残した諸問題」(『自然』1970年4月号)と「保育の科学は目下ゼロ才」(『婦人公論』1970年2月号)とへのちょっとした補足エッセイでもある。)